死を見過ぎておかしくなりそう
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幼馴染の形見の寄木細を数十年後開けた結果。
涙止まらなくなった。 気持ちを落ち着けさせる為に書くので、質問には直ぐに返せないかも知れません。
家族や親戚以外の死に直面したのは少3の時だった。僕の生まれは田舎で旧家の地主さんが権力を持っいるような地域だった。
その地主の娘のSちゃんは3歳年上で周りからは高嶺の花。そのためか一緒に遊ぶ子はいなかった。でも僕とは良く遊んでくれた。
その日も夕暮れまで一緒に遊んだ。
たまにはご飯を一緒に食べようという事になってSちゃん家にいった。
Sちゃん家は旧家だけあって年期が入ってる昭和初期の家だった。玄関開けたら直ぐ茶の間と言う間取りだけど玄関から茶の間まで距離が2m位ある。
茶の間を囲うようにL字型に土間が打たれている。
昔は茶の間の横に竈門が用意してあってそこで煮炊きをした物を直ぐ横の茶の間に運べる仕組みだ。
でも、流石にその頃はその様な物は使っていない。
オブジェの様に昔の名残を醸し出しているだけだった。
そんな田舎の玄関の戸を開けると竈門の方からSちゃんのお母さんの声が聞こえた何故か力のない声で「おかえり、……ごめんね。」途中は聞き取り難かったが確かに声が聞こえて、Sちゃんにも聞こえたのだろう。
S「お母さん?」
S「… … … … … …。」竈門の方を覗き込んだSちゃんが固まっている。
竈門の方から何とも言えない汚物の匂いがする。
僕は恐る恐る竈門の方を覗き込んだ。
僕も声を失った。
確かに声は聞こえた。
聞こえたはずなのに…。
そこにはSちゃんのお母さんの変わり果てた姿がぶら下がっていた。
稲の藁で編んだ紐を首に掛けて伸びきった首、見開いた目、下半身は汚物で濡れていた。土間には3尺程の脚立と足下には汚物が垂れ流されていた。 僕は直ぐSちゃんの腰に手を回して家から引き摺り出した。
喚くSちゃんを無理やり引っ張って隣りの家に駆け込んだ。
そこからは、警察やら消防が来て田舎は騒然となった。
Sちゃんのお父さんは町工場、フロッピーディスクを作る会社を経営していて殆ど家にいなかった。
その日からSちゃんは笑わなくなった。
1年後、僕の誕生日にSちゃんがプレゼントがあると言って集会場に呼び出して来た。
昔は遊ぶ場所が限られていたから、集会場も子供達が自由に使って良かったのだ。
Sちゃんは相変わらず笑わ無かったけど一緒にゲームをしたり勉強を教えてくれていた。
そして、僕の誕生日、集会場に行くとSちゃんがうつ伏せで寝ていた。
いや、違う。
Sちゃん周りが濡れている。
近づいてみて分かった、水じゃ無い。
血
何故かSちゃんの胸の真ん中に包丁がめり込んでいた。
結局、自○か事故○か分からないけど、事故として処理された。
そして集会場のテーブルには僕宛の包み紙が置いてあった。 ひと通りの葬儀が終わって、包み紙を開けたのは1カ月後だった。
そこには、寄木細工の箱が入っていた。
頑張って開けようとしたけど開けられなかった。
オヤジはリフォーム手掛ける仕事をしていたので友達の大工さんにも見てもらったら100手以上掛かる技物らしく途中から分からなくなる様な代物だった。
小4の子供に開けられるわけがない。
結局、中学になっても開ける事ができなかった。
成人式の時に試してみた時も開けられなかった。
そして数十年経った今年、厳密には先月の末に押し入れから寄木細工の箱が出てきた。
昔はあんなに苦労したのに、何故か数十手で開ける事ができた。
そして、何十年も経っているのに少ししか色褪せて無いノートの切れ端が折り畳んで入っていた。
あの日の光景が鮮明に思い返された。
周りが真っ赤に染まって
僕の手が
体が
全てを赤く染めた
ノートには、
ありがとう。
ごめんね。
と、書かれていた。
僕は何もしてない、何もできなかった。
苦しみを和らげる事ができたなら…。
後悔と今まで直面した色々な人達の死に際が一斉によみがって来た。
自責の念に押しつぶされそうだ。 僕の生まれた田舎には、昔からの地主でやり手の社会一家が暮らす家があった。
お父さんはフロッピーディスクを作る会社の社長。
お母さんは料理上手で良く夕飯をご馳走になった。
中でもエビフライに自家製タルタルソースが美味しかった。甘辛く似たカブト煮も美味しかった。
娘さんは僕よりも3歳歳上で周りからは高嶺の花でおいそれと近づき難い雰囲気を醸し出した。
一見すると幸せそうな家族だったけど、お父さんが色々な所で浮気をしていて、家族には殆ど生活費も渡さず家にも帰らないから殆ど見たことも無い人だった。
程なくして、お母さんと娘はこの世を去った。
娘は僕の初恋だった。
それを気づかせてくれた日に彼女はこの世を去ったのだから、ずるい人だった。
Sちゃんの命日の日、僕はお墓参りに向かった。
その日はやけにカラスが多かった。
お墓に近づいて行くとコゲ臭いがお墓に充満していた
嫌な予感がして、お墓まで走った。
Sちゃんのお墓の前に知らない影がある。
影?
違う。
黒いだけ?
いや、それも違うら
少し煙が上がっている。
人の焼けた臭い。
独特の臭いだった。
その後も前回と同じく警察官と消防が来て
落ち着いた時にはSちゃんの家もぞうちく こうして、地主さんの家は家計を途絶えさせてしまいました まだある
小学校の給食の時間に事件が起きた
ふざけた男子が女子の牛乳にママレモン(食器用洗剤)を入れて無理やり飲ませた。
その子は直ぐに苦しみ出して、嘔吐と下痢を引き起こして救急車が来ても尚もそれが続いていた。
僕はもう人が目の前で居なくなるのは嫌だっただから必死で声を掛けて、背中をさすって、汚物が付いても必死で励まし続けた。
Mちゃんが気を失う時、「ありがとう。」と聞こえた気がした。
救急車が来た時には既に意識は無かった。
結局その子は11年しか生きられなかった。
「ありがとう。」僕は助けてあげられなかった。 中学になった頃。
僕の生まれた地域では中学校は1つしか無く他の小学校からも集まってくる。
勿論、派閥も自ずと生まれてくる。
所謂、不良もたくさんいた。
そんな中、僕は陰キャなのでゲームオタクのグループに属した。
当時はゲームボーイやスーパーファミコン、アーケードゲーム全盛期の頃だった。
でも、僕の友達でT君は不良グループに目を付けられてしまった。
カツアゲをされたり、拒んだら裸でベランダから吊るされた事もあった。
僕達は不良グループが去った後、T君を助けて暫く学校を休むように言った。
勿論、先生にも言ったけど取り合ってくれなかった。
自分達で解決するしかなかった。
イジメを苦にして死ぬなんて絶対に認めたくなかった。
ある日の夜、T君からO公園に来てほしいと言われて公園に向かった。
T君の顔は腫れ上がっており僕に仕切りに謝っていた「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」何回も、何回も謝った。
僕は理解した。
自分が助かる為に不良グループに僕を売ったのだと。
僕はそれでも良かった。
それはT君が生きるのを諦めていなかったと言う事だから。後は僕が我慢をすれば良いと、この時はそう本気で思った。
暫くして僕は気を失う直前、目の前でT君が全裸にされて、お○りにキンチョールを差し込まれている光景を見た。
そんな中、T君は僕を見て「ごめんなさい」と言ったように聞こえた。
僕はそのまま意識を手放してしまった。
翌朝、警察官に起こされた。
T君は既に息をしていなかった。
また、助ける事ができなかった。
自分が情けなかった。
最後の「ごめんなさい」と言う言葉が耳から今でも離れない。
その後彼等は少年院に入ったけど今はどうしてるか分からない。 僕は、色々ありながらも高校生になった。
バイトも初めて充実した日々を送っていた。
この頃になると、多少のケガや骨折をした人の応急処置が出来るようになっていた。
何故だかぼくの周りではケガをする人が多くてその度に応急処置を手伝っていたら自然と身に付いていた。
ガラスが割れて腕に刺さったりする人、高校にもヤンチャな人がいて所構わずガラスを割ってある人がいた。そのせいで変なとこにガラスの破片が落ちているので掃除の時とかたまに小さい破片が刺さる事があるのだ。
他にも野球ボールが目に当たって腫れ上がってしまう人、こう言う時は血をワザと出すために瞼を少し切って血を出してあげると良い。
柔道の授業で脱臼した人がいてもはめてあげる事ができるようになっていた。
中学校の時に他の派閥不良グループに目を付けられてA君が良く脱臼していたので治してあげてるうち上手くなった。
僕の周りからようやく死の影が薄まり掛けているように感じていた。
高校1年の冬、体育の授業中に事故が起きた。
校庭て鉄棒の授業中、クラスメイトが大車輪の真似事をして落下した。落下した所に何故かガラスの破片があったらしく手首に刺さってしまった。
直ぐに抜かずに刺さったまま救急車を呼んで事なきを得た。
翌日、「ありがとう」と言って御礼に学食を奢ってもらった。
その日は珍しく僕の部室にそのクラスメイトが来てくれた。彼はタバコに火を付けながら、入部するから入部届が欲しいと言われたので僕は職員室に入部届を取りに行き部室まで戻るとやけに生徒が騒がしい。見ると僕の所属している部室が燃えている。
炎の中から「あつい」「助けて」「あつい」と聞こえてくる。
子供の頃に嗅いだあの人が焼ける臭いがする。
忘れる事ができないあの臭いだった。
僕は夢中で火の中に入った、そこで目にしたのは
火だるまの人らしき物だった。
それと同時に僕は駆けつけた消防隊員に引っ張られてこっぴどく怒られた。
結局、彼は助からなかった。
彼が「ありがとう」と言ってくれた事
最後の悲痛の声が耳に残っている
まだまだありますが一旦ここまで。 僕は、色々ありながらも高校生になった。
バイトも初めて充実した日々を送っていた。
この頃になると、多少のケガや骨折をした人の応急処置が出来るようになっていた。
何故だかぼくの周りではケガをする人が多くてその度に応急処置を手伝っていたら自然と身に付いていた。
ガラスが割れて腕に刺さったりする人、高校にもヤンチャな人がいて所構わずガラスを割ってある人がいた。そのせいで変なとこにガラスの破片が落ちているので掃除の時とかたまに小さい破片が刺さる事があるのだ。
他にも野球ボールが目に当たって腫れ上がってしまう人、こう言う時は血をワザと出すために瞼を少し切って血を出してあげると良い。
柔道の授業で脱臼した人がいてもはめてあげる事ができるようになっていた。
中学校の時に他の派閥不良グループに目を付けられてA君が良く脱臼していたので治してあげてるうち上手くなった。
僕の周りからようやく死の影が薄まり掛けているように感じていた。
高校1年の冬、体育の授業中に事故が起きた。
校庭て鉄棒の授業中、クラスメイトが大車輪の真似事をして落下した。落下した所に何故かガラスの破片があったらしく手首に刺さってしまった。
直ぐに抜かずに刺さったまま救急車を呼んで事なきを得た。
翌日、「ありがとう」と言って御礼に学食を奢ってもらった。
その日は珍しく僕の部室にそのクラスメイトが来てくれた。彼はタバコに火を付けながら、入部するから入部届が欲しいと言われたので僕は職員室に入部届を取りに行き部室まで戻るとやけに生徒が騒がしい。見ると僕の所属している部室が燃えている。
炎の中から「あつい」「助けて」「あつい」と聞こえてくる。
子供の頃に嗅いだあの人が焼ける臭いがする。
忘れる事ができないあの臭いだった。
僕は夢中で火の中に入った、そこで目にしたのは
火だるまの人らしき物だった。
それと同時に僕は駆けつけた消防隊員に引っ張られてこっぴどく怒られた。
結局、彼は助からなかった。
彼が「ありがとう」と言ってくれた事
最後の悲痛の声が耳に残っている
まだまだありますが一旦ここまで。 高校2年生の時、バイクツーリングに誘われた。
メンバーは主にバイト先の先輩達。
バイトの通勤用に単車(400cc)に乗っていたけどツーリングには行った事が無いと言ったらH先輩が誘ってくれた。
秋口の日曜日、6人程で出発して県境の峠を越えて温泉に入って帰ると言う計画だった。
その日会ったばかりの人もいたので全員の名前は覚えていないけど先頭は中年の30代のおじさんHは真ん中、僕と友人Jは最後尾だ。
峠道は日中はあまり車の通らない旧道なので道は狭いけどそこまで危なく無い道の筈だった。
オメガカーブにH先輩の姿が消えた瞬間、一呼吸置いてこちらに戻って来るように中を舞ったHの姿が境に入り急ブレーキをかけた。
1.5t位のホロ付きのトラックがガードレールに激突していて、Hの単車がフロントガラスに刺さっていた。年長者の人達がトラックに通ってあるのを見て僕はHの所に向かった。
気をうなっているようだけど幸い命に別状はないようだった、ただ脚から出血をしていたので念のためあて木をして止血の処理をした。
僕の周りでは良くケガをする人がいるので応急処置セットを持ち歩いてるのが役に立った。
次にトラックの運転手の所に向かうと、悲惨な状態だった。刺さった単車が顔半分位の肉を抉っている状態だった。其れにも関わらず、男性はまだ意識があった仕切りにダッシュボードを指差して「捨てて」と言っている。ダッシュボードを開けて中身を見た僕達は男の要望を理解して、それを崖下に捨てて男に向かって処分した事を伝えると男は安心したように意識を手放したように見えた。
その後はお決まりの消防と警察の対応に追われた。
H先輩は全体3ヶ月の骨折。
トラックの運転手は残念ながら助からなかった。
僕達が捨てた物は、 誤字脱字があるけど誰も見てないだろうからこのまま書いていく。
高校3年生の春頃から付き合っていた彼女Eちゃんがいた。
1歳年下の小柄で良く転んだり、普通に歩いても電柱に頭をぶつけるような子だった。
心臓に持病を持っていて胸には大きな傷跡があった。でも、子どもの頃の手術の跡らしくかなり薄くはなっていたし、私生活に影響はないらしかった。
ファンタジー系の映画が好きで良く観に行っていた。大人しくて彼氏をたててくれる、僕には持った無い位の子で良くお弁当も作ってくれたりした。
初めてクリスマスを異性と2人きりで過ごしたもの子が最初だった。
お互いに初めての事ばかりで凄く新鮮で幸せな時間を過ごす事ができた。
初詣も一緒に行った。学校の冬休みも終わりを迎えて卒業式ムードになった学校に彼女の姿は無かった。3学期の始業式当日に体調を崩して入院してしまった。
うっ血性心不全だった。
2週間以上意識が戻らないままだった。
ようやく意識を取り戻しても虚な目で虚空を見上げてるだけだった。
その顔を見た時、僕は昔のSちゃんの事を思い出した。お母さんを失った時の空っぽになったSちゃんの表情に似ていた。
涙が勝手に出てきて抑える事ができなかった。
毎日手を握って話しかけた。
そんな生活を1ヶ月程続て卒業式まであと3日と言う時に、彼女に変化が起きたこちらを見て微笑み掛けて来てくれた。
先生を呼んで見てもらうと回復の兆しがあるとの事でEの両親とほっと胸を撫で下ろした。
嬉しくて心臓がバクバク、ドキドキ脈打ってるのが分かった。手を握って「おやすみ」と声を掛けると呼吸器越しに「おやすみなさい」と言葉までかけてくれた。そしてEが「ありがとう」と言って眠りにつくのを確認して彼女両親と病院を後にした。
翌朝、久しぶりに気持ちの良い朝を迎えた。
まだ少し肌寒いけどこんなに清々しいくあったかい気持ちで朝を迎えた時は無かったと思うくらい本当に気持ち良い朝だった。 彼女の目覚めた翌日の午後2時過ぎ、職員室から呼び出しが掛かった。
職員室に行くと先生が僕に話してきた内容の意味が分からなかった。
いや、一緒懸命に伝えようとしているのに口をパクパクしてるだけで何を言ってるのか分からなかった。別に周りが騒がしいわけじゃないのに全く聞こえない。
…。
いや、最初は聴こえた様な気がした。
たしか
「Eさんが………とった。」
あれ?
思い出せない?
何て言った?
Eさんが何?と思い、しっかり聴こうと耳を澄ます。
「………とった」
やっぱり上手く聞き取れない。と思った瞬間、突然大音量で音が戻った。
「Eさんが息をひき取りました。Eさんのご両親から希望ですぐに伝えて欲しいと言われました。」
朝はあんなに清々しく、太陽が眩しかったのに急に光を失った。
よく、目の前が真っ暗にる。と、言うけど本当にその通りだった。
見えてる筈の物が見えない、何も考えられない。
目の前から色が消えて、また音が消えて、何も考えられないまさに暗闇だった。
昨日のあれは何だった?
「おやすみなさい」って言ってくれた。
「ありがとう」って言確かに言ってくれた。
…。
最後の言葉
皆んな最後にはそう言って…。
… … … 皆んな、いなくなる。
正直、卒業式も葬式も覚えていない。
確かに参加したとは思うけど記憶ない。
記憶として残っているのは、眠ってるような顔。
そして、誰もいないお墓の前でただひたすらに泣いた事だった。
僕の高校生活は終わった。
まだまだ続きます。
何せ僕はまもなく50歳なのだから 声が枯れるくらい沢山叫んだ。
涙が枯れるくらい泣いた。
そして、大学生になった。
バイト先の先輩のツテで格安の下宿先を紹介してもらった。
バイトの内容は日が暮れてからトラックステーションや街の駅に停まっている運転手の人にAVや女の子を斡旋するバイトだ。
昔は10本、1000円〜2000円で販売していて、他にもワンボックスに女の子を乗せてハンドマッサージをお薦めするお仕事を高校生の時から続けていた。
因みに峠で事故ったトラックの運転手もウチのお客様だった事がダッシュボードの中を見た時に判明した程には売れている。
下宿先は民家でも寮でもは無い。
大家さんの敷地の中に4世帯が入れる平屋の長屋があってそこに住むことになった。
和室8畳、シャワー室、トイレ、簡単な自炊もできるが付いている。1k、価格は2万円/月、食事は別途。600円で朝と夜を準備してくれる。
でも何故かシャワー室はガラス張りだ。
隣には3歳年上の女子大生でMさんと言う子が住んでいた。その隣は空き部屋だがスポット的に使われていた。一番奥、隅の部屋には大家さんの甥っ子が住んでいた。少し知恵遅れのようだった。
大家さんは年配のおばちゃんが1人できりもりしていて、母屋にはよくそっち系の人達が花札をやりに来ていた。
大家さんが買った日には皆んなにラーメンや寿司の出前を頼んでくれた。
そっち系の買った日には決まってMさんを空き部屋に連れ込んでいた。
Mさんは普通に気がくし賢そうだ。俺も時々お世話になっていて、そんな事する様な見た目じゃ無いのに…。でも、自分にはそんな割り切った関係の方が有り難かった。
その他にもお金が無いときはご飯を作ってくれたり、勉強を教えてくれたりと何かと世話をしてくれて助かっていた。
お盆がすぎたころ、常連の〇クザの所に小学生の女の子を連れた女性がやって来て
女「これ、誰かわかる?」
女「あんたの子供よ!」
◯クザ「あ〜、そんなガキしらねぇよ」
女「あんたの女は何処にかかってんのよ!」
◯クザ「てめぇーに関係ねぇだろが、会いたきゃそこのボロ屋にいるぜ!」
と、言って呼んでいたタクシー乗って帰ってしまった。 女は子どもを連れて勝手に大家さんの家に入った思うと一人で出てきて自分達の長屋に向かって来た。
Mさんの部屋のドアを壊すような勢いで叩いて
女「出てこい!殺してやる!出てこないならぶち壊すよ!」と怒鳴り散らしていた。
何かヤバそうなので自分の部屋に入るタイミングを逃して駐輪場で傍観するしかなかった。
少しして観念したのかMさんが戸を開けると女はMさんに体当たりをした。
次の瞬間Mさんが女に覆い被さるように崩れ落ちた。その時、女の手に光る物を見た。Mさんの腹部が赤くなっているのも見えた。
とっさに走って女を突き飛ばしていた。
女は呆然としている。
Mさんを見る。
腹部からは血が出ている。
急いで服をめくって傷を確認して少しホッとした。
幸い腹部の横を刺されたらしい。
そして、真っ直ぐ横に刃が入った跡があるので、刺した後に捻っていないようだった。
刺した跡に、刃を捻られていたら内臓を傷つけて助ける術が無かったからだ。
そうは言っても至急対処しないとヤバいのには変わらない。
自分は女に対して「この子は助かる。だから協力しろ!子供を残して殺人者になりたく無いだろう?」
と言うと女は頭を縦に振って「な、何をすれば…」
かなり気が動転してるらしい、思ったより使い物にならなかったが救急車を、呼べる位はできたようだ。
救急車が来る間に自前の応急セットの中から医療用ホッチキス(ステープラー)で簡単に縫合し、圧迫止血を施した。
そして、警察を呼んで5分後には警察も救急車もほぼ同時に到着した。
Mさんは無事一命を取り留めた。女は勿論逮捕。でも、殺人では無いので数年で出所できるだろう。
大家さんは、「Mがいなくなったら商売あがったりだっよ!」と言って笑ってお礼を言ってきた
「ありがとうね。」
その言葉を聞いた時の感想は、嬉しいとか、良い事をしたと言う満足感は微塵も感じ無かった。
不思議と、Mさんを道具としか見ていない態度に憎悪したと同時に心に何か引っ掛かる違和感を感じた。
そして、この事件をきっかけに自分の何が壊れ始めてる事に気がつき始めた。 >>19
本当です。でも、個人を特定できないように少しだけ嘘が混じってます。 >>21
急に昔の事を一度に思い出してしまった為気持ちを整理したくて書いています。 Mさんが入院して3日後位だった思う。夕方に大家さんがいつもより1週間早く週間に来た。
大家「ごめんなさいね。ちょっと物入りで早めに集金させて欲しいの。それとね、言いにくいんだけど来月分の家賃も前払いできたらお願いしても良い?」と言って来た。
多分、博打で擦ったのだろうと思った。元々、安い家賃で借りてるし了承したら、今度は「1カ月分の食事代を2万円におまけするからどうお?」って聞いた。渋った顔したら、「今すぐどうしてもいるの!じゃないと大変な事になるの!ねっわかるでしょ!」と、切迫詰まった感じでグイグイきたので家賃代と合わせて合計10万円渡した。勿論家賃以外は貸したかたちだけど…。 その夜、多分深夜0時過ぎ警察にもそう言った。
爆竹の様音で目が覚めた。
気のせいかと思ったけど、その後エンジンを吹かす音が聞こえて外を見たら常連さんの車が走り去って行く所だった。
ちょっと嫌な予感がして大家さんの母屋に行ったら玄関が空いていた。
そのまま家に入ると、僅かな火薬の匂いと昔嗅いだ事ある忘れる事の出来ない臭いがした。
その時に大体の事は予想が付いたけど不思議と冷静でいられた。
まずは、状況を確認して、生きていれば救急車、死んでいれば警察に電話して指示を仰ごう。と余裕をもって考える事ができた。
そして、今に行くと予想通り大家さんは血を流して倒れていた。
腹部と胸の出血が多いのが目に入ったので多分胸と腹部を打たれたのだろうと思った。
大家さんに近づくと驚くべき事にまだ息があった。
そして、大家さんと目が合って僕に手を伸ばして口をパクパクしている。
その目を見て僕は、もうダメだと確信しながらも大家さんの最後の言葉を聞く事にした。
コメントがあったら続きを書きます。 ホラーでは無く真実です。実話の為地域は完全に伏せて書き込みしています。
大家さんはそのまま息を引き取りました。
結局そこには住めなくなり、色々あって大学も中途しました。
住むところが無くなったので今度はショットバーで働き始めました。
初めて3ヶ月で地方大会で入賞したので店長になりました。
でも、そっち系の人が運営しているのでやはり色々ありました。
何だか応急処置のスキルが爆上がりしたのはこの時期です。
辛かったのは、朝方に空きっ腹でバーボンやウィスキーを飲みながらミーティングをする事で寝たらティーテーブルで殴られます。
鼻が折れて血の泡を吹くヤツが何人かいました。 一年位経った頃、職場の同僚Hが悪い事した売り上げを横領して別勢力の店に流しているのが上にバレてHの行方をおって俺の店に来た様だ。
たまたま居合わせたHの頭を鉛玉が吹き飛ばした。
目がえぐれて後頭部を弾が貫通した為、目と後頭部の穴から血が噴き出していた。
発砲した男はその足で横流ししていたスナックの店主の何処まで行き同じ様に射殺した。
翌日ニュースにもなったその事件は、それ以上騒がれる事なく田舎の地方新聞の3面記事を飾るに留まった。
それから頑張って後釜を育てて無事に半年後辞める事ができた。
そして、別な街へと移り住む事にした。
この時21歳。
また、書き込みがあれば続きを書きます。 >>32
どうとるかは読み手次第だと思います。
私はただ起こった出来事を書いています。
自分の中で留めておかなくなったから…。
書いて行くと少し、気持ちが和らぎます。 5ちゃんでバズりたいの?
もうそんな時代じゃなくね?w まともな男性は、連絡が取れている子全員に、『パパ活界隈は詐欺師だらけで、どんな手口があるか』を教えてあげて下さい。
少しずつでも全員がそれをする事で被害は減っていきます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています