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翌、天漢てんかん三年の春になって、李陵りりょうは戦死したのではない。捕えられて虜ろに降ったのだという確報が届いた。
武帝ははじめて嚇怒かくどした。
即位後四十余年。
帝はすでに六十に近かったが、気象の烈はげしさは壮時に超えている。
神仙しんせんの説を好み方士巫覡ほうしふげきの類を信じた彼は、
それまでに己おのれの絶対に尊信する方士どもに幾度か欺あざむかれていた。
漢の勢威の絶頂に当たって五十余年の間君臨したこの大皇帝は、
その中年以後ずっと、霊魂の世界への不安な関心に執拗しつようにつきまとわれていた。それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。
こうした打撃は、生来闊達かったつだった彼の心に、年とともに群臣への暗い猜疑さいぎを植えつけていった。李蔡りさい・青霍せいかく・趙周ちょうしゅうと、丞相じょうしょうたる者は相ついで死罪に行なわれた。
現在の丞相たる公孫賀こうそんがのごとき、命を拝したときに己おのが運命を恐れて帝の前で手離しで泣出したほどである。
硬骨漢こうこつかん汲黯きゅうあんが退いた後は、
帝を取巻くものは、佞臣ねいしんにあらずんば酷吏こくりであった。