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暫くして、庄兵衞はこらへ切れなくなつて呼び掛けた。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」
「はい」と云つてあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見咎められたのではないかと氣遣ふらしく、居ずまひを直して庄兵衞の氣色を伺つた。
 庄兵衞は自分が突然問を發した動機を明して、役目を離れた應對を求める分疏いひわけをしなくてはならぬやうに感じた。そこでかう云つた。「いや。別にわけがあつて聞いたのではない。實はな、己は先刻からお前の島へ往く心持が聞いて見たかつたのだ。己はこれまで此舟で大勢の人を島へ送つた。それは隨分いろいろな身の上の人だつたが、どれもどれも島へ往くのを悲しがつて、見送りに來て、一しよに舟に乘る親類のものと、夜どほし泣くに極まつてゐた。それにお前の樣子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはゐないやうだ。一體お前はどう思つてゐるのだい。」
次の日からまた、もとの竜城りゅうじょうの道に循したがって、南方への退行が始まる。匈奴きょうどはまたしても、元の遠巻き戦術に還かえった。五日め、漢軍は、平沙へいさの中にときに見出みいだされる沼沢地しょうたくちの一つに踏入った。水は半ば凍り、泥濘でいねいも脛はぎを没する深さで、行けども行けども果てしない枯葦原かれあしはらが続く。風上かざかみに廻まわった匈奴の一隊が火を放った。
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