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騎兵を主力とする匈奴に向かって、一隊の騎馬兵をも連れずに歩兵ばかり(馬に跨またがる者は、陵とその幕僚ばくりょう数人にすぎなかった、)
で奥地深く侵入することからして、無謀の極きわみというほかはない。
その歩兵も僅わずか五千、絶えて後援はなく、しかもこの浚稽山しゅんけいざんは、最も近い漢塞かんさいの居延きょえんからでも優に一千五百里(支那里程)は離れている。統率者李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったならとうてい続けられるような行軍ではなかった。
 毎年秋風が立ちはじめると決きまって漢の北辺には、胡馬こばに鞭むちうった剽悍ひょうかんな侵略者の大部隊が現われる。
辺吏がされ、人民が掠かすめられ、家畜が奪略される。
五原ごげん・朔方さくほう・雲中うんちゅう・上谷じょうこく・雁門がんもんなどが、その例年の被害地である。大将軍衛青えいせい・嫖騎ひょうき
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