>>336
今なお耳底じていにある。しかし、今疾痛しっつう惨怛さんたんを極きわめた彼の心の中に在あってなお修史の仕事を思い絶たしめないものは、その父の言葉ばかりではなかった。
それは何よりも、その仕事そのものであった。
仕事の魅力とか仕事への情熱とかいう怡たのしい態ていのものではない。修史という使命の自覚には違いないとしてもさらに昂然こうぜんとして自らを恃じする自覚ではない。恐ろしく我がの強い男だったが、今度のことで、
己おのれのいかにとるに足らぬものだったかをしみじみと考えさせられた。理想の抱負のと威張いばってみたところで、
所詮しょせん己は牛にふみつぶされる道傍みちばたの虫けらのごときものにすぎなかったのだ。
「我」はみじめに踏みつぶされたが、修史という仕事の意義は疑えなかった。このような浅ましい身と成り果て、自信も自恃じじも失いつくしたのち、それでもなお世にながらえてこの仕事に従うということは、
どう考えても怡たのしいわけはなかった。それはほとんど、いかにいとわしくとも最後までその関係を絶つことの許されない人間同士のような宿命的な因縁いんねんに近いものと、
彼自身には感じられた。とにかくこの仕事のために自分は自らを殺すことができぬのだ(それも義務感からではなく、もっと肉体的な、この仕事との繋つながりによってである)ということだけはハッキリしてきた。
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