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単于ぜんうは手ずから李陵の縄なわを解いた。その後の待遇も鄭重ていちょうを極めた。且※(「革+是」、第3水準1-93-79)侯そていこう単于とて先代の※(「口+句」、第3水準1-14-90)
犁湖くりこ単于の弟だが、骨骼こっかくの逞たくましい巨眼きょがん赭髯しゃぜんの中年の偉丈夫いじょうふである。
数代の単于に従って漢かんと戦ってはきたが、まだ李陵ほどの手強てごわい敵に遭あったことはないと正直に語り、
陵の祖父李広りこうの名を引合いに出して陵の善戦を讃ほめた。虎とらを格殺かくさつしたり岩に矢を立てたりした飛将軍ひしょうぐん李広の驍名ぎょうめいは今もなお胡地こちにまで語り伝えられている。
陵が厚遇を受けるのは、彼が強き者の子孫でありまた彼自身も強かったからである。
食を頒わけるときも強壮者が美味をとり老弱者に余り物を与えるのが匈奴きょうどのふうであった。ここでは、強き者が辱はずかしめられることはけっしてない。降将李陵は一つの穹盧きゅうろと数十人の侍者じしゃとを与えられ賓客ひんきゃくの礼をもって遇ぐうせられた。
 李陵にとって奇異な生活が始まった。家は絨帳じゅうちょう穹盧きゅうろ、食物は羶肉せんにく、飲物は酪漿らくしょうと獣乳と乳醋酒にゅうさくしゅ。
着物は狼おおかみや羊や熊くまの皮を綴つづり合わせた旃裘せんきゅう。牧畜と狩猟と寇掠こうりゃくと、このほかに彼らの生活はない。
一望際涯いちぼうさいがいのない高原にも、しかし、河や湖や山々による境界があって、単于ぜんう直轄地ちょっかつちのほかは左賢王さけんおう右賢王