一度単于は李陵を呼んで軍略上の示教を乞こうたことがある。それは東胡とうこに対しての戦いだったので、陵は快く己おのが意見を述べた。次に単于が同じような相談を持ちかけたとき、それは漢軍に対する策戦についてであった。
李陵はハッキリと嫌いやな表情をしたまま口を開こうとしなかった。単于も強しいて返答を求めようとしなかった。それからだいぶ久しくたったころ、代・上郡を寇掠こうりゃくする軍隊の一将として南行することを求められた。このときは、漢に対する戦いには出られない旨を言ってキッパリ断わった。爾後じご、単于は陵にふたたびこうした要求をしなくなった。待遇は依然として変わらない。他に利用する目的はなく、ただ士を遇するために士を遇しているのだとしか思われない。とにかくこの単于は男だと李陵は感じた。
 単于の長子・左賢王さけんおうが妙に李陵に好意を示しはじめた。好意というより尊敬といったほうが近い。二十歳を越したばかりの・粗野そやではあるが勇気のある真面目まじめな青年である。強き者への讃美さんびが、実に純粋で強烈なのだ。初め李陵のところへ来て騎射きしゃを教えてくれという。騎射といっても騎のほうは陵に劣らぬほど巧うまい。ことに、裸馬らばを駆る技術に至っては遙はるかに陵を凌しのいでいるので、李陵はただ射しゃだけを教えることにした