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めちゃくちゃに彼は野を歩いた。激しい憤りが頭の中で渦うずを巻いた。老母や幼児のことを考えると心は灼やけるようであったが、涙は一滴も出ない。あまりに強い怒りは涙を涸渇こかつさせてしまうのであろう。
 今度の場合には限らぬ。今まで我が一家はそもそも漢から、どのような扱いを受けてきたか? 彼は祖父の李広りこうの最期さいごを思った。(陵の父、当戸とうこは、彼が生まれる数か月前に死んだ。陵はいわゆる、遺腹の児である。だから、少年時代までの彼を教育し鍛えあげたのは、有名なこの祖父であった。)名将李広は数次の北征に大功を樹たてながら、君側の姦佞かんねいに妨げられて何一つ恩賞にあずからなかった。部下の諸将がつぎつぎに爵位しゃくい封侯ほうこうを得て行くのに、廉潔れんけつな将軍だけは封侯はおろか、終始変わらぬ清貧せいひんに甘んじなければならなかった。最後に彼は大将軍衛青えいせいと衝突した。さすがに衛青にはこの老将をいたわる気持はあったのだが、その幕下ばっかの一軍吏ぐんりが虎とらの威いを借りて李広を辱はずかしめた。憤激した老名将はすぐその場で――陣営の中で自みずから首刎はねたのである。祖父の死を聞いて声をあげてないた少年の日の自分を、陵はいまだにハッキリと憶おぼえている。……
 陵の叔父