>>509
司馬遷しばせんの場合と違って、李陵のほうは簡単であった。憤怒ふんぬがすべてであった。(無理でも、もう少し早くかねての計画――単于ぜんうの首でも持って胡地こちを脱するという――を実行すればよかったという悔いを除いては、)ただそれをいかにして現わすかが問題であるにすぎない。彼は先刻の男の言葉「胡地こちにあって李将軍が兵を教え漢に備えていると聞いて陛下が激怒され云々うんぬん」を思出した。ようやく思い当たったのである。もちろん彼自身にはそんな覚えはないが、同じ漢の降将に李緒りしょという者がある。元、塞外都尉さいがいといとして奚侯城けいこうじょうを守っていた男だが、これが匈奴きょうどに降くだってから常に胡軍こぐんに軍略を授け兵を練っている。現に半年前の軍にも、単于に従って、(問題の公孫敖こうそんごうの軍とではないが)漢軍と戦っている。これだと李陵りりょうは思った。同じ李り将軍で、李緒りしょとまちがえられたに違いないのである。
 その晩、彼は単身、李緒の帳幕ちょうばくへと赴おもむいた。一言も言わぬ、一言も言わせぬ。ただの一刺しで李緒は斃たおれた。
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