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入相いりあひの鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つ東へ走つて加茂川を横ぎつて下るのであつた
此舟の中で罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ
いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である護送の役をする同心は傍でそれを聞いて罪人を出した親戚眷族けんぞくの悲慘な境遇を細かに知ることが出來た
所詮町奉行所の白洲しらすで表向の口供を聞いたり役所の机の上で口書くちがきを讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である
 同心を勤める人にも種々の性質があるから此時只うるさいと思つて耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へばしみじみと人の哀を身に引き受けて
役柄ゆゑ氣色には見せぬながら無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた
場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に弱い涙脆い同心が宰領して行くことになると其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた
そこで高瀬舟の護送は町奉行所の同心仲間で不快な職務として嫌はれてゐた