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思つてゐるのだから、暮しの穴を填うめて貰つたのに氣が附いては、好い顏はしない。
格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。
 庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。
喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云つた。いかにも哀な、氣の毒な境界である。
しかし一轉して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。
自分も上から貰ふ扶持米ふちまいを、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。
彼と我との相違は、謂はば十露盤そろばんの桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相當する貯蓄だに、こつちはないのである。
 さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。
其心持はこつちから察して遣ることが出來る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。