>>656
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男は何を目あてに生きているのかと李陵は怪しんだ
いまだに漢に帰れる日を待ち望んでいるのだろうか。
蘇武の口うらから察すれば、いまさらそんな期待は少しももっていないようである。それではなんのためにこうした惨憺さんたんたる日々をたえ忍んでいるのか? 単于ぜんうに降服を申出れば重く用いられることは請合うけあいだが、それをする蘇武そぶでないことは初めから分り切っている。陵の怪しむのは、
なぜ早く自みずからを絶たないのかという意味であった。李陵りりょう自身が希望のない生活を自らの手で断ち切りえないのは、いつのまにかこの地に根を下おろして了しまった数々の恩愛や義理のためであり、またいまさら死んでも格別漢のために義を立てることにもならないからである。
蘇武の場合は違う。
彼にはこの地での係累けいるいもない。
漢朝に対する忠信という点から考えるなら、いつまでも節旄せつぼうを持して曠野こうやに飢えるのと、ただちに節旄を焼いてのち自ら首刎はねるのとの間