【目指せ】脚本家になりたい人総合【脚本家】
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0001名無シネマさん
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2014/05/22(木) 01:05:30.40ID:pdH5DyNS
創作に関わる事ならなんでもOK

影響を受けた(好きな/知っておくべき)
脚本家・映画・音楽・小説・漫画

今考えてるアイデア
脚本家になるためにやってること
その他雑談などなんでも語ろう
0378名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/02(水) 18:09:26.48ID:3RAEq04z
町医者梅子の夜中の往診の様子や一日中患者のあれこれに応対する様子を描けば脚本家は楽だろうけど
このドラマのように脇がきちんと生きてるドラマにはならない
ヒロインを中心とした同心円のどこかに脇が乗ってるだけのドラマになる
朝ドラはこのタイプが多くて2ヵ月くらいで主演女優を観ることに飽きてくる場合がある
0379名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/03(木) 23:50:25.72ID:sTL3W+tj
臼井佳夫(映画評論家)
「面白かった。毎週色々な日常の騒動が起こるので目が離せない。
平凡な人間が、平凡に生きていくのを、”平凡でない描き方”をした素晴らしいドラマです。」
「(堀北真希)の天然ボケが可愛くて、最後まで観ちゃった。
頭の良くない子でも、”頑張れば医者になれる”と視聴者は勇気をもらえた。」(要約
0380名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/06(日) 13:52:19.88ID:geQ+EBad
松岡の別れの理由に納得するも、
営利追求の町工場の社長と、薄利でも地域に貢献したい町医者とでも
同じ事態になると思うのは自分だけか?
むしろもっと考え方の差が大きいと思う

町工場で一番たいへんなのは資金繰りで、売掛金の回収もそうなんだけど、
開業医は売掛金の回収苦労は少なくて、請求書をだせば期日に診療報酬支払基金から現金が入る
町工場の社長が、開業医の優遇税制を知ったら目ん玉飛び出ると思うぞ。すごい特別扱で。
ノブと梅ちゃんがくっつくのは現実的じゃないんだよね…
0381名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/07(月) 15:32:44.36ID:BTK4ULl7
NHK放送を視聴できるアメリカでも大反響なのだそうである。
巷の評論でも今回の作品・カーネーションは、あの名作「おしん」以来の大傑作と太鼓判を押されている。
様々な名シーンの中で、おそらく伝説的な名シーンになるのではないか?と囁かれているのは、周防龍一と糸子のラブ・ロマンス。
特にアメリカ人も心酔したという名シーンが、ミシンを打つ周防の後姿に言葉も無くササっと静かに近づいて周防の腰に腕を巻きつけるシーン。
私自身、余りに美し過ぎる二人のシーンを観た時に思わず鳥肌が立った。
何が美しかったのか?
そして、このシーンに何故、アメリカ人までもが虜にされたのか?
「君を愛してる」、「あなたの事が好き」・・・一般的に、この手のシーンで使われるであろう、この類の台詞演出が全く無い。
にも拘らず、周防の腰に腕を廻した糸子の愛情表現が海を超えて通用してしまった事の驚き!
何よりも、あのヤンチャな小原糸子が、長い物語の中で初めて視聴者に見せた<女の性欲>。
それは、夫・勝に対する愛情表現とは全く性質の異なる性欲である。
あのシーンこそは、糸子が職人でもなく、未亡人でもない、一人の女に戻った決定的瞬間だった訳だ。
綾野剛が演じた周防龍一と言うキャラクターは、本来、視聴者受けを狙ったキャラではなく、
元々は物語に直接関係の無い、通りすがりの人物であった筈だった。それが思いもよらない促進剤に大化けしてしまった。
愛情表現豊かなアメリカ人からすれば、二人の言葉の無い静かな恋の行方が気になって仕方が無かったのだろう。
くっ付きそうでくっ付かない。もどかしくも切ない二人の微妙な距離関係。アメリカには理解出来なかった日本の男女の恋愛文化が其処にあった。
0382名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/07(月) 15:33:28.90ID:BTK4ULl7
ーー私におまかせ下さい。アレレーー
<だるま食堂の店内>
<客の注文に、てんてこまいの梅子>
梅子「カツ丼 お待たせしました。」
客「俺は 目刺しだよ。」
客「カツ丼は こっち。」
梅子「あっ すいません。」
客「ビールくれ ビール。」
店主「おい 目刺し あがったよ。 ほら!」
梅子「ああ はい。目刺し はい 目刺し。」
客「俺は ビールだよ。」
客「目刺しは こっちだよ!」
梅子「ああ すいませ〜ん。はい 目刺し。」
店主「おう ビール ビール! はい。」
梅子「ビール? はぁ…」

台詞の間、表情、動きがいい。演出、編集がいいんだろうけど。
こういうのみると、昔、クレージキャッツとか、ドリフターズが受けた理由が分かるな。
彼らは、ミュージシャンあがり。リズム感、音感がいいからね。
0383名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/07(月) 18:07:02.21ID:BTK4ULl7
朝ドラ「カーネーション」では、誰も「本音を隠す動作」していない。
おばあさん役の正司照枝が裁縫をしたり、スイカを切るシーンのリアルなこと。
母親役の麻生祐未のちょっとぼんやりした風情もごく自然で魅力的。
そして男の沽券に縛られてがんじがらめの父親役を演じて、小林薫のうまいこと。
無論、我らがヒロイン、糸ちゃんを演じる尾野真千子が素晴らしい。
東京の美容師さんが「生まれて初めて朝ドラにハマった。主役のはつらつとした演技にやられた」と言っていた。 かくいう私もハマっている。
渡辺あやの脚本は精神もセンスもあり、15分という短さを枷としないでときにテンポよく、ときに余韻を残す筆運びが絶妙。
ミシンをだんじりに見立てたオープニングの映像と椎名林檎の歌も一体となって、女たちへの応援歌を奏でている。 島崎今日子

ネタの取捨選択に困るほど元ネタがあった。ネタによってはそのままだと
問題があるので加工したが、するとツッコミどころが多発した。
最後一ヶ月は、さらにオリジナルのネタは酷かった。 実話によりかかれない部分は脚本家の力不足が露呈した。
0384名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/11(金) 18:01:41.20ID:bgdrcwkd
花登 筺(はなと こばこ
昭和30年代の上方喜劇ブームの立役者であり、またテレビ草創期におけるスター脚本家であった。
高度経済成長期には、大阪の商人を主人公とした商魂物・根性物を多数執筆した

、『やりくりアパート』、『番頭はんと丁稚どん』、『細うで繁盛記』(『銭の花』)、『道頓堀』、『船場』、『どてらい男』、
『あかんたれ』、『ぬかるみの女』、『アパッチ野球軍』、『ぼてじゃこ物語』、『鮎のうた』、『女商一代 やらいでか!』などがある。人気作品の多くは、人間の成長過程を描いた物でもある
0385名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/14(月) 05:19:17.69ID:OZn0iltX
コメディにしてもリアリティのなさが致命的
クドカンのドラマなんかは変人もいっぱい出てくるけど
「こういう人いるいるw」ていうツボを押さえてたり、
その変人に対しての周りのリアクションがさもありなんなので面白い
古いけどアリーマイラブとかアグリーベティとかも、
やり過ぎとリアリティをミックスして作ってたから面白かった
こんな人間味のないドラマ(梅)に共感できる人なんているのかな
0386名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/15(火) 02:50:03.63ID:HS9S5q7U
ドラマを中心に活躍するスタッフがメインで撮った作品なので、ドラマのときのクセが出てしまったかな、と思える点だ。連続ドラマであれば、10話程度に引き伸ばすわけで、
いかにして引き伸ばすかが腕の見せ所にもなる。ところが、映画の場合は、2時間にストーリーをまとめ切るのが命題となる。ここの区別が明確になっていなかったことが問題点として挙げられると思う。
脚本の吉田紀子さんは「Dr.コトー診療所」ではしっかりと泣かせてくれるわけだから、優秀な脚本家さんだとは思うが、やはり、ドラマ向きの方である。この映画も、よくよく考えてみると、
省略したような部分を戻してみれば、十分に連続ドラマとして放送できそうな内容である。細かい泣かしのポイントは多く存在しており、
それらを各話のラストに配置していったほうがよっぽどスッキリとした作品になっただろう。
この映画はそうしたドラマのテンションを縮めた印象になってしまっている。だから、とりとめもなくエピソードが続いてしまっているという印象が残り、
泣きのポイントも配置、構成、起伏があまり計算されていると思えず、せっかくのいいシーンも泣けずじまいといったところ。そして、話を引き伸ばすという
ドラマ班のクセがエンディングをとりとめもなく続くエンドレスなものにしている。この映画はあのラストシーン以前で切っても話はうまく終わったと思うし、
続けようと思ったらラストシーン以後も話は続けられたようにも思う。これが連続ドラマのラストならば、別にそれほど違和感を感じなかったが、やはり、映画となると釈然としないラストと言わざるを得ない。
0387名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/15(火) 03:11:21.62ID:HS9S5q7U
このドラマの脚本は、あまりに例えが突飛で極端すぎるし、感情の説明も枝葉は大幅に省略しながら、押し進めている。
もっと地に足をつけて、感情も順を追って、分かりやすく説明しようという気はないものか。同じく武藤将吾が書いていた
「電車男」でもかなり感じられたが、この人の書く脚本はあまりに展開が飛躍しすぎだ。何をやるにも、方向性が極端すぎる。だから、まるで感情に入り込む余地や隙間がない
脚本はもうちょっとキャラの個性ばかりを前面に出さずに、感情を順を追って説明するくらいの余裕がほしかった

このドラマのよかった点は脚本だろう。とにかく、木皿泉さんの台詞の作り方のセンスのよさにハマってしまった
気者にも強み・弱み、長所・弱点があり、いじめられっ子と呼ばれる子にももちろん、強み・弱み、長所・弱点がある。
人間というのは、社会では上下関係が付いているように見えてしまうものだが、実際に付き合ってみると、
それぞれに違う光と影を併せ持った同質の人間だと気付く。このドラマのタイトルで言う「プロデュース」とは、
上の者が下の者へ一方的に施策を講じていくということではなく、互いに影響し合い、互いに変わっていくという意味が込められているのかもしれない
ちょっと今日はシュール傾向に走りすぎていたかな?そのシュールなんだけど、気の利いた台詞とギャグが木皿さんの持ち味なのだろうけど、
このドラマだと、スゴく分かりやすい回もあれば、スゴくシュールで分かりにくい回もあって、そこの統一性の欠如がちょっと残念かな。
0388名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/15(火) 06:09:05.34ID:HS9S5q7U
「結婚できない男」ほどリアルで鋭い人間観察をしようとしているわけではなく、個性的なキャラクターが奏でる不思議なドラマという点では「すいか」に近いものがあるかもしれない。4兄弟はマンガ家だしね。
しかし、脚本家さんに、「すいか」の木皿泉さんほど、ファンタジックな独特の世界観を構築できるとは思えないので、初回の感覚としては「結婚できない男」と「すいか」の中間くらいの印象を持った。
成功していようといまいと、どんな境遇にあったって、人は誰でも秘密を抱えながら生きている。ちょうど4兄弟のマンガの作業のように、互いに欠けている部分を、互いが補いながら生きることで、人生に前向きになれる。
そんな話なのかな。まあ、こういったごく平凡な日常を描くのは難しいことで、「結婚できない男」はリアルさ、「すいか」はファンタジックさを強調してそれに成功したけど、初回の段階でこのドラマはその中間に位置している。

木皿氏の卓越している点は、日常をその独特のテクニックで非日常を通して描き、そこからさらに日常を炙り出すという手法。「すいか」や「野ブタ。をプロデュース」はともにこの手法にのっとった形で描かれていたと思う。
しかし、このドラマの場合、ベースとなっているところが最初から非日常だった。非日常をベースにする際は、
事件という非日常性をもっと描き込みをしなくてはならないと思う。そうすることによって初めて、非日常の隙間から日常が見えてくるものだろうから。このドラマにおける非日常性はあまりに粗末な作りだったような気がする。
ファンタジックさは木皿脚本の特色であるが、このドラマはファンタジーという言い訳を使って、まずはスパイものとして事件を娯楽として見せようという気概があまりに欠けていた。
0389名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/15(火) 16:34:04.50ID:HS9S5q7U
おのおののキャラクターがテレビドラマらしいデフォルメされた部分はあるけれども、「こういう人いるいる」という人間的な部分を決して外していないということだ
ドラマ的な演出過剰なシーンも多いけども、決して浮世離れしてしまうわけではなく、どこかしらに自分を見ながら、ドキッとしてしまうのだが、ついつい笑えてしまう
ラブコメといわれるジャンルの作品はストーリーはどうしても似たり寄ったりになってしまう嫌いがあるし、あくまで現実から外れない立ち位置で展開させなければならないことから、
ストーリーで面白みを見せるということは基本的に難しい。やはり、人を引き付けるためには、出てくるキャラクターに何かしら共感できる部分とドラマ的な面白みを感じ取らせなければならないし、
それを体現させてくれる役者が求められるだろう。
この2人の会話は決してポンポン台詞が行き交うというものではなく、間を多用したものだけど、これでも会話からテンポが消えないのはスゴいなあ。
何かバカなことをさせて笑わせるのではなく、このドラマは役者の演技、役者の出す空気感とその余韻というものをうまく活かしたドラマなのだと思う。
バカなドタバタで笑いを取ろうとしているドラマがあると思うけど、コメディとしたら確実にこのドラマのほうが完成度は上だろうなあ。
ワンテンポ外してくるあたりが、実にこのドラマらしかったし、桑野のキャラクター性もよく表していたし、単純化できない人間の心の機微もうまく表していたのではないだろうか。
いわゆるラブ・ストーリーっぽい演出をしているわけではないのに、そういう演出をしているドラマ以上にしっかりとラブ・ストーリーだったし、
お涙頂戴演出をしているわけではないのに、最後はジンワリと感動できる結末だった。ラブ・ストーリーの雰囲気を前面に打ち出したり、「さあ、泣いてくれ」と言わんばかりの演出をしたりしなくても、
このドラマのような描き方をしてくれればしっかりとホロッとくるラブ・ストーリーは仕上げられるのだ。このドラマはそういった描き方の可能性を改めて提示してくれた記念碑的作品になると思う
0390名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/15(火) 16:42:44.35ID:HS9S5q7U
気持ちが少しずつ、だけど、確実に変わっていくのを軽いテンポの中でも、じっくりと描いてくれているからいい。やはり、
この手の微妙な心理変化は唐突になってしまうことも多いのだけど、このドラマはその唐突さがあまり見られないことはすばらしいと思う
やはり、ラストシーンは秀逸だったと思う。これまでは仕事に対する自分のポリシーを一切曲げなかった桑野だったが、
早坂先生の助言を受け、一晩で態度を180度転換。果たして、桑野の胸の内で何があったのか、
桑野は一晩で何を考えたのか?気になるところは多いけど、そこを桑野以外の目線から捉えさせることで、桑野の気持ちに含みを持たせたのは粋な演出だったと思う。

ただ、桑野の否が応でも人を自分の部屋に入れようとしないというポリシーは少しキャラクターとしては過剰すぎたかとも思う。いくら自分の部屋は聖域で、人間関係から解放されたい、
といっても、あそこまで人の入室を拒むというのは理解に苦しむ。ここまでくると、桑野さんは偏屈だから、という理由だけで片付けるのには無理が出てきたように思う。今後、何かしらの理由や背景ということへの言及がほしい。
それでも、桑野の部屋というのは、桑野の心というものを比喩したものとも捉えることができる。これまでは憎まれ口を叩いて、相手が自分の心に入り込んでくることを頑なに拒んできた桑野だったが、
今回、早坂(夏川結衣)が初めて部屋に潜入することに成功した。これは桑野と早坂の心の距離が少し縮まったことを表す印象的なシーンだったように思えた。

ひとつのエピソードとしたら決して悪くはないと思う。だけど、「結婚できない男」という連続ドラマという観点で見ると、ちょっと本筋から脱線した番外エピソードという感が強かったかな
知らず知らずの間に桑野のことを意識させている脚本は見事だった。みちるが話の本筋にどう絡んでくるのかと思っていたけど、こういう方法だったのか。
先週の桑野のケンさんとのエピソードも話に絡めていて、あまり本筋とは関係のなかった前回をしっかりと脚本でカバーしていた。
0391名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/16(水) 22:40:50.66ID:9WzStZCb
「今回の選考会はいつもと比較してかなり長い時間を要した。だが、個人的な感想として
「白熱した議論が交わされた」という印象はない。」「どの作品からも、切実さが感じられなかった。この「生きづらい社会」で、伝えるべきこと、
つまり、翻訳すべき無言の人々の思いが数多くあると思うのだが、どういうわけか、「不要な洗練」「趣味的」という二つの言葉が、全体的な印象として残った。」
0392名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/18(金) 17:35:58.71ID:zgKbNUno
つまらないギャグに下手糞で全然伏せられてない伏線を
小賢しくやたら沢山使うみたいなクドカンとかこれとか小劇場
上がりってみんな一緒
0393名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/20(日) 21:52:04.53ID:/U3JHOLv
会話のノリはちょっと古いので好き嫌いがあるかもしれないけど、今期の他のコミック原作ものと比べれば
差異は出ていると思う。
螢が働く会社内の雰囲気も悪くなかったし、セリフや心の声が入るの間も全体的にリズムがあって良かった。
とにかくTBSとフジが「花男」や「のだめ」のテイストを押しているので、
そこをちょっと外している感じはプラス要素なんじゃないだろうか
全体的には、やっぱり螢と高野の会話、醸し出す雰囲気が このドラマの最大の魅力だった。
綾瀬はるかの螢も可愛かったけど、 藤木直人が演じた高野のキャラクターは最高だった。
やり過ぎず、消え過ぎず、絶妙なバランスだったと思う。
山田姉さん(板谷由夏)も魅力的なキャラだった。 板谷由夏はこれまでの役の中で一番自然で良かったと思う。
単なるエピソードの起伏だけでなく、 登場人物の微妙な心理もしっかり描いていて、
今期の連ドラの中では一番大人向けの作品だったと思う。
0394名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/21(月) 02:09:18.90ID:7k4dyqk5
演出の武内さんも器用な演出を見せてくれていたように思う。この方は「カバチタレ!」や「電車男」のようにマンガ的な演出のうまい方で、そのマンガ的な演出センスはいかんなく発揮されていた。「電車男」のときは、
一応、実話らしいのに、演出がマンガチックに片寄り過ぎていて、不快だったが、本作はまさに実話というくくりが外れ、いかんなくマンガチックな演出を披露できる場ということで、クラシックの名曲を随所に盛り込みながら、
とても器用に映像を組み立てていたように思う。見せ場となる終盤のピアノの演奏シーンも役者本人と代役の方のそれぞれのカットをうまくつなぎ合わせながら、スローモーション、アップ、引き等、様々な素材を活かして、見せ場として平坦にならないように工夫されていた。
0395名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/21(月) 22:10:31.48ID:7k4dyqk5
中学男子的懐かしB級ネタ+稲中的ギャグ+タランティーノ(ガイリッチー)的オフビートなダベリ&時間編集
これが飽きられてからウェルメイドなモノを目指す方向性はわかるが滲み出る稚拙さが痛々しいだけ
0396名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/21(月) 22:57:17.97ID:7k4dyqk5
突然、キャラクターたちが大声を上げたり、珍妙なやり取りを繰り広げる台詞の掛け合いの妙は完全に型が出来上がっており、ただくだらないだけではなく、絶妙な間合いの調整により制御がなされている。
台詞の端々に小ネタが散りばめられ、細かいジャブで脇腹をつつきながらも、十文字(豊原功補)と蜂須賀(緋田康人)の明らかにおかしい変装ということで、分かりやすいナンセンスも含ませている。
しても、台詞の中の小ネタは日常の中のほんの些細な部分、重箱の隅をつつくようなネタでうまいところ、ついてくるんだよなあ。
台詞だけではなく、今回はニュースキャスターの事件ということで、ニュース番組のパロディネタも満載。「ニュースの森」ならぬ「ニュースの林」だったり、CX系のニュース番組
「NEWS JAPAN」をデフォルメした手前に女性キャスター、奥に男性キャスターという構図は個人的にツボだった
不満といえば、中盤が小ネタに走りすぎて、謎解きの伏線がそれほど引かれていたとは思えなかったところか。

 小ネタの面では、全体に散りばめられた小ネタの数々、珍妙な掛け合いの面白さはあって、もちろん、笑えるポイントは多かった。だけども、それらの笑いの方向性がちょっと分かりやすい大衆迎合路線に傾きすぎた気もした。
ややマニアックというスタンスが「時効警察」っぽいと思うので、やや違和感があったか

かなりの懐かしいターゲットが絞られてくる小ネタは大量にあっただろうけど、それを放出するテンポが悪かった。国生さんの妙に力んだ演技ははじけていたけど、それをやはり、笑いに転化できていたとは思えないわけだ
0397名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2015/12/21(月) 23:14:55.99ID:7k4dyqk5
とにかく音楽といい、映像といい、とても華やかなドラマだった。
ただ、原作の多い要素をとにかく消費させようという忙しい脚本になってしまったのは否めない。コミカルさとシリアスさの融合、
それをクラシック音楽に乗せて贈るという機軸が「のだめ」がウケた要因であると思うのだけど、
コミカルとシリアスの両方を語る上での共通のそのドラマらしいテンションを醸し出させる余裕がなかったように見えた。回ごとにコミカルさとシリアスさの役割分担がなされていたように思えて、
全体として滑らかというよりはゴツゴツとした印象の残るドラマだった

 細かいカット割りの画をうまく使いこなし、CGやアニメといったあたりも取り込み、場面に応じて様々なクラシックの曲を劇伴で聞かせていく。
このドラマは編集を巧みにこなして、映像をうまい形で利用しながら見せている。そして、細かい小物類など、美術にも目が行き渡っている。
ストーリーの流れは多少粗くとも、こうやって映像作品の強みを使って、見せていく。これはマンガ的演出を得意とする武内英樹氏らしさが見事に結実したものである。映像作品として、とても見事な出来だったと思う。
0398名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/21(月) 23:36:18.65ID:7k4dyqk5
期待していた通り、面白かったです。個人的には、園子温が演出している回がお気に入りだったかなあ。それでも、すべての演出家さんの回で、大衆迎合になりすぎず、
だけれどもマニアックにもなりすぎない絶妙なバランスを維持してくれていたと思う。この微妙なバランスを維持した不思議な笑いと世界観に見事にハマった。5人もの演出家さんがいたのだけども、
それぞれの個性を活かしながらも、それぞれが暴走するのではなく、しっかりと連続ドラマとして意識した作りになっていたのがすばらしい。軽く苦言を呈するとすれば、
演出家さんが5人ではなく3人くらいだったら、ギャグの色調が散漫になりすぎることなくお馴染みのギャグや展開を作ることができて連ドラとしては後々の大きな展望が開けたような気がする

取り立てて面白い初回とは思わなかったけども、キャストやスタッフでセンスの違う人を取り入れるだけで同じような題材を扱っていても、
これまでのB級街道まっしぐらだった金曜ナイトドラマの路線とは異質な雰囲気を持った作品になる
 謎解き自体はこれまでの金曜ナイトドラマほどヒドくはないものの、もちろん、緻密に練られたトリックがあるわけではない。あくまでの事件そのものはこの枠らしく緩い。これまでの金曜ナイトドラマというのは、
演出・脚本・キャストが実に粗い人たちが多くて、こんなバカな話を見てられるか、と思わせられたものだった。
それが、これまでこの枠を主に担当してきた演出家や多く出演してきたキャストを全て排した結果、同じような緩い事件を扱っていたとしても、演出・キャストが代わったおかげで随分と印象が変わった

 まあ、この枠らしいアホらしい話だったちゅうかね。この枠は、プロデューサーの方針なのか、謎解きは極めてB級で、ときたま不要としか思えないサブい笑いを挿入してくるとかね
ホント、この枠は揃いも揃って、大した腕もない脚本家と監督がほぼ同じ面子でぐるぐるローテーション組んで、回っているだけ。だから、作風もマンネリだし、脚本や演出のダメな部分をそのまま引き継いでしまっている。
「トリック」とか「スカイハイ」みたいな作品が生まれたのは、そのローテーションの枠外にいた脚本家さんや監督さんを呼んだからでしょ
0399名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/21(月) 23:44:04.49ID:7k4dyqk5
ドラマは必ずしも見ている人が感情移入しやすい役ばかりを描くものではなく、登場人物を一人の人間として見せ、視聴者の主観的な判断はさておき、
客観的にその人物の心理を伝えるものではないかと思う。このドラマの場合、亮司と雪穂がしてきたことに同情できる人はいないだろうと思うが、2人という人間を客観的に伝えるという役割は十二分に果たしているといえる。
ここのところ心理を単純化し、展開の分かりやすいドラマばかりがウケていることもあってか、全体的にその傾向を持ったドラマばかりが作られている。最近はそんなドラマばかりで飽き飽きしていた。
1人の人間として見せることが実に難しい悪の存在を、含みを多く持たせた心理描写で見せようとしてくれたこのドラマの製作スタンスは大いに買いたい
「世界の中心」同様、分かりやすい台詞構成に頼らず、亮司と雪穂の複雑な心理描写を何気ない言葉を積み重ねていくことで炙り出していくような見せ方にしたあたりは、森下さん、さすがの脚本である。
細かいキャラが回ごとに増えていくというあまりない形のドラマとなっていたが、それらのキャラも満遍なく活用していたことも見事
 今回の脚本は、善意と悪意が混然一体となった人間の複雑な感情の機微を巧みに表現していたと思う。はっきり言って、雪穂の言動・行動には「どっちやねん」とツッコみたくなる部分が多いが、それこそが人間なんじゃないか、と思う。
そういう感情の揺らぎの表現は失敗すると、実に不愉快な脚本になりがちだが、森下さんはさすがである。ここまでスラリと感情の揺らぎを表現するとは。台詞の構成が実に見事である。ただ、単純な話ではないので、一度では理解しきれない
0400名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/22(火) 01:47:01.78ID:GGN76tmF
「すいか」は不思議な数々のエピソードやギャグが実に有機的に結びついていて、直接的な台詞のある展開じゃなくても、妙に胸に迫るものがあった
「すいか」はキレイごとの部分と現実の部分を、巧みな台詞構成ですごくうまく結び付けている。あのドラマも幽霊とか、
ファンタジックな要素を入れ込んで入るものの、それが嫌らしく映らない
すいか」は何の珍しくもない日常という基礎がしっかりとしている。その日常に潜むすばらしさ、平凡であっても人生は捨てたものではない、というあたりを木皿泉さんの独特のレトリックでファンタジックに語られていた。
その日常を描くという絶対必要なリアリティーと不思議なファンタジックさがまさしく共存していた。
........//////////神はサイコロを振らない////////////////
この能天気に明るい雰囲気を堅持しているのは、暗いドラマになりすぎないように配慮しているのだろう。だけども、暗いドラマにしないように配慮する、というのは、
内容そのものから暗い部分を極力排除するということではないだろう。絶望するほどのことも含みながらも、刻むようなテンポの演出に仕上げてみたり、
映像を工夫してみたりする方法でも、暗いイメージを払拭できるのではないか。人の心のいい部分だけを切り取ろうなどと都合のいいことを考えて、重層的なドラマなどできるわけもない。人の暗部を描かずして、人のいい部分など描けないのだ。
SFとファンタジーを作り手側が混同しているからだ。SFではなく、ファンタジーの側面を強調させていれば、展開や結末は活きてきたと思う。
SFとファンタジーはその境界線こそ、曖昧ではあるが、少なくともSFとファンタジーとでは描き方は変えるべきだと思う。SF的な設定を使いながらも、
科学的な理論付けはほとんど無視してファンタジックな描き方ばかりに偏向していた。これは私はいただけないと思った。テレビドラマはどうしてもファンタジーの方向に行きがちだ。SFとなると、
考証が面倒だし、脚本家の方もたぶん科学に精通しているというわけではないだろうから、感情に訴えかけて逃げたのだと思う
0401名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2015/12/22(火) 02:17:52.21ID:GGN76tmF
あいのうた
岡田さんは日常のことと非日常のことを組み合わせて、ありえそうだけど、ありえないという独特な世界観を出すのがうまい。
だから、基本的にはありえないストーリーにも生活観を滲ませてくれるから、結構、スンナリと入り込めることが多い。ただ、そうなると、結末への持っていき方が難しい。だから、たまに微妙な結末になるパターンもあるのは玉に瑕です

今回は岡田さんの脚本のうまさを感じたね。軽いお弁当箱が返ってきて、その弁当箱を振ったときのお箸(ドラマの中ではスプーンとフォークだったけど)のカラカラという音。
こんな実に些細で小さな音で、人を感動させることができるって、スゴいと思う。ここに洋子が愛というものを知らないという設定が活かされている。
玉置さんの主題歌じゃないけど、私たちが何気なく暮らしている中にも、見落としてしまっているだけで愛が溢れているのだ、と。
愛に恵まれた人からすれば見落としてしまうようなことでも、愛を知らない洋子にとってはそんな些細なことが極上の幸せにもなったりする。弁当箱のカラカラ、あれほど美しい音は久々に聞いたな。

私はいわゆるラブストーリーと言われるようなものはあまり好きではないのですが、このドラマはすばらしい。洋子と優二が互いに惹かれていく過程が全然刹那的じゃないし、
互いに共鳴しあって好きになっているんだなあ、というのが分かる。それをこんなにシンプルなお話で表現しちゃうんだからなあ、岡田さん、スゴいや。
0402名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2015/12/22(火) 04:12:42.17ID:GGN76tmF
日本民間放送連盟賞
。。。。。。。のだめカンタービレ
人気コミックスに材を得ながら、単純な映像化ではなく、コミックスとドラマの違いを突き詰め、
格闘させた形跡が見える。キャスト陣の捨て身の演技も楽しく、軽いタッチの中に、
音楽に真剣に取り組む学生たちの真摯な姿勢も浮き彫りにされ、教養小説的な味わいも。一般には敷居の高いクラシック音楽を、
ドラマの中でわかりやすく説明し、じっくり聞かせ、幅広い世代に馴染み深いものにした功績も高く評価される。
・・・・・最高の離婚
現代の複雑な結婚事情を背景に、アラサー世代の未熟な結婚観を通して、結婚のあり方や家族について描く。主人公二人だけでなく、
親や家族など登場人物の描き方やセリフが緻密に練られており、特に孤独の描写が胸に迫る。脚本、演出ともにリアリティーを感じさせながら現代を批評している作品である。
0403名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2015/12/24(木) 20:48:24.41ID:e7m/NbXL
ダントツで森下さんだね。感情を分かりやすく直接的に訴えかけるのではなく、言葉を幾重にも折り重ねていって、
混沌として複雑な心理を実に緻密に描き出してくれていたと思う。こういう重層的に人の心理を紡げるドラマの脚本家さんって、
今はほとんど見なくなったなあ。そのような感情描写をさせたら、森下さんはピカイチの脚本家さんだと思う。

「野ブタ。」の成功はこの方の脚本に依拠する部分が多いんじゃないかな。ジャニーズものでも、こういう脚本家さんが書いてくれれば、ただのアイドルドラマではなく、
これほどまでに個性のある作品が出来るのだと思った。各回に割り振られたメッセージというのにもグッときたし、
それをストレートな台詞で語るのではなく、独特の小ネタやたとえを使ってみたり、実に台詞にウィットが富んでいた。
0404名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2015/12/27(日) 14:08:30.45ID:jFpNpiJ3
正直上田と山田の関係なんてどうでもいい
このドラマが良かったのは
オカルトを否定して否定して否定し倒した後に
最後にはっきりと科学主義も揶揄して終わること
各エピソードに最低でも1つは未解決ポイントを残していた

それがあったから、「山田奈緒子はやはり霊能者かも」という設定
が最後まで引っ張れたんだよな。
0405名無シネマさん(やわらか銀行)
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2015/12/29(火) 15:54:39.56ID:TwRxNyl7
私はこれまで木皿さんの作品で、嫉妬したり人のものをうらやんだりする役はやったことがなかったのですが、今回はまさにそういう役でした。
誰にでもそういうところあると思いますが、内面と外面で違うところがあって少し生身っぽいというのは、
今までの木皿作品の中で言うとだいぶ現実的な女性だと思います。

――お話にも出てきましたが、脚本家・木皿泉さんの作品の魅力はどんなところにあるとお感じになりますか?

私は「Q10」で木皿さんの作品に出合いましたが、せりふがすてきだなと思って。
そこからご夫婦で脚本を作っていらっしゃることなどを知って、台本を読むのが楽しみになりました。

私が普段感じていない、あるいは感じているかもしれないけど表面に出していないような感情を言葉にしてくださったり、
背中を押してくれるような言葉があったり、演じていて楽しいですね。

――女優として木皿作品を演じるのは、難しいですか? それとも演じやすいですか?

木皿さんの作品は何作か出演させていただいていますが、自分の中に木皿作品の引き出しのようなものがあって、そこを開けると、
私なりに作品に移行する感じがあります。
頭で理解しようとするよりも、いかに木皿さんの書いたせりふに乗っかっていけるかなのですが、
周りの人の描写や背景からヒントをたくさん得られるのであまり難しいことはないように思います。

――共演の皆さんとのお芝居はいかがでしたか?

他の作品で共演している人も多かったのですが。今回も、木皿さんの作品だから集まったという人が多くて…。
本を信頼して集まって来るんですね。実際、木皿さんの作品というのは、
お引き受けしたときにはどんな作品になるのか分からないことが多いのですが(笑)、それすらみんなが楽しみにしているように思います。

自分に与えられたせりふを大事に抱えて、自分の役目をしっかりやっていれば、
きちんと見た方に伝わるというか、木皿さんの言葉を信じているんだと思います。
0406名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/01/01(金) 01:47:59.51ID:sbxxPIv3
最近のドラマが風呂敷広げっぱなしなのは
ネットの発達に影響しているのかもね
何の意味もない伏線みたいな謎をいくつも散りばめて
視聴率稼ぎして、全部ほったらかしにしても
視聴者達がいいように解釈して神ドラマに仕立て上げてくれる
巧みな脚本なんていらない
スポンサーのご機嫌取りが出来て1日で話を書き換えられる
字書きさえいればいい
0407名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/04(月) 14:44:37.07ID:JzF0RCSn
なぜ真田信繁を主人公に?
敗者が好きなんです。時代を作った人よりも時代に取り残された人たちの人生に興味があります。戦国では信繁がやりたいと思っていました。その夢がかなったという感じです。
勝者は1人だけど、敗者はたくさんいます。何かを成し遂げられず、世に出ずに人生を終える人の方が多い。そういう人たちのために、彼らの代表として敗者を描きたいんです。
−どのように描きますか。
最後、大坂夏の陣で信繁は死にます。僕は敗者が好きだとは言いましたけど、滅びの美学みたいなものは苦手で、
最後まで希望に満ちた信繁でありたいと思っています。死に花を咲かせるためではなく、勝つつもりだったと考えています
−ユーモラスなシーンも多そうですね。
通常の大河ドラマよりは多いかもしれないですが、コメディーにしようとは思っていません。僕にとってユーモア、笑いとは人を描くことなんです。年表を見て笑う人はいませんが、
だんだん目線を下げていくと、それぞれの登場人物として生きている人たちの顔が見えてきて、言葉や息遣いが見えてくる。
彼らも泣いたり怒ったりするのと同じように笑ったでしょう。そうなると当然そこにはユーモアが必要です
0408名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/01/05(火) 00:52:46.34ID:KHsuKx3G
咲と仁の恋愛モードに不満を感じる視聴者もいるみたいだけど、4話ではその関係性が生かされてた。

屏風一枚に百十数年の隔たりを仮託してそれぞれ感じ入った後に
現代人と江戸の武家に生まれた娘の「子を為すこと」への価値観の違いが明らかになり
仁との子を為すことのできない咲の哀しみが、こぶをつけた恵姫の哀しみを裏書きする。
その恵姫の「意地」や「覚悟」を逸早く察する咲やおばば様の表情をピックアップしたり
「女の戦」を強調するためなのか仁先生にコメディリリーフの役割を振ったのも印象的。

脚本も素晴らしかったけど、よどみない物語の流れから心情をじんわり描出する
那須田Dの演出は1期を通しても一番好きだ。TBSのベテランらしいいい仕事だった。
0409名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/01/07(木) 15:24:31.94ID:jxCiS3I0
仕かけの大きいおもしろい小説だったが、先行する美意識に合わせて事実を無理につくる欠陥と独り合点の思い入れのために、せっかくのおもしろさが半減する。」
「奇説も独断も大いにけっこうだが、作者は一度考証以前の、虚構は細部の真実から成り立つというあたりの平凡な認識に立ちもどってみる必要がありはしないか

材料はいいのだが、骨格だけで肉付きが薄く、シノプシスを読むような味気なさがある。史実を曲解した面白さでなく、正統のなかのふくらみをもった作品を読ませてもらいたいものである
0410名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/01/07(木) 17:57:54.85ID:jxCiS3I0
原案から作られたヒロインは、歴代の連続テレビ小説シリーズの中でも特異なキャラクターである。子供の頃から大人しくて内気であり、家長的な父親に口答えする活発で開放的な性格の次姉・妹と対照的である。
また結婚まで暮らした実家は家族仲が良く貧しくもなく戦争の傷跡もない。そのため、ヒロインが実社会の荒波にもまれるのは29歳で専業主婦になってからである(当時としては晩婚)。
しかも、ヒロインは結婚前に実家(酒類小売業)の、結婚後に夫の手伝い(漫画のアシスタント)をするが、家業を継いだことも外で働いたこともまして芸術や芸能など自ら好きな道に進もうとしたこともない。
このように大人しい性格で、親の事情や戦争など運命に翻弄(ほんろう)されて生きることもなく[8]、男社会に進出して奮闘することもなく、成長物語として周囲から温かく見守られるよりもむしろ専業主婦として家族を支え見守る立場に置かれた
0411名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/14(木) 04:34:17.91ID:F1Jtku0v
今年のNHK大河ドラマ「真田丸」も勝頼や、信長や、豊臣や、上杉が出てくるけれど、戦をしたりするけれど、真田家の家族のドラマになるのではないかということだ。
筆者にとっては少し、残念なことだ。なぜなら筆者は歴史ドラマが好きだが、家族のドラマはあまり好きではない。

それからもう一つ心配は、大泉洋と堺雅人の真田兄弟コンビである。
この二人、役者だが笑いもできてしまうので、台本につられてつい笑いに傾いた芝居をしてしまう。
抑えた芝居に軽いセリフを乗せた方が上品な笑いになるのに、軽い芝居に軽いセリフになってしまっているところが、気になってしまう程度に目に付いた。
実は、コンビというのがまた良くなくて、笑いのできる人がコンビになると、笑いを取ろうと競いあってしまうのである。演出家はそれを抑えるのが役目だと考える。
それから、草笛光子は良いが、高畑淳子と木村佳乃がダメである。草笛さんは決して「面白そうに」演じない。だから良い。
高畑淳子さんという役者さんを筆者はあまり好きではないが、なぜなら、「面白いセリフ を面白そうに」演ずるからである。
真田丸の中でもそれは同じだった、ゾゾッと背中が寒くなる。木村佳乃に至ってはセリフ棒読み。
笑いも芝居も全てにおいてわかっていらっしゃると思ったのは真田家の当主・昌幸を演じた草刈正雄さんであった
0412名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/01/22(金) 06:14:47.65ID:EN+oyXGY
結局、このドラマはいろいろな重たい問題自体は掘り下げずに、そこに関わる人間関係だけでストーリーを組み立てた作品だった。
もしかしたら作っている側はそういう問題を掘り下げているつもりだったのかもしれないけど、
出来上がりとしてはそうではなかった。
ただ、結果的にそれが高視聴率につながったんだと思う。
実際は誰も自分と関係ない問題に本気で頭を悩ませたくないし、
ましてやドラマを見ながらそんな問題を考えたくもないだろうから、
誰かが殴られたり、血を流したり、死んだりするところで盛り上げて
エンターテイメントにすれば、テレビの前では多くの人が楽しめるということなんだと思う。

それぞれの問題の描き方は決して深くないんだけど、人間関係の絡ませ方は妙にうまいんだよな。
そこには求心力があると思う。

ドラマとしての盛り上げ重視で登場人物の心理描写はかなり雑な気がする

基本的にこれはバブリーな頃のトレンディドラマの作りにDVや性同一性障害や児童虐待などの問題を
単にアイテムとして加えた企画モノのエンターテイメント
0413名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/22(金) 20:27:01.27ID:EN+oyXGY
「彼(ルビッチ)の考え方は常に遠回しに表現するということだ。彼は人の頭を叩いて『ここに2と2がある。2と2を足せば4だ。そして3と1を足せば4だ』と説明するタイプの監督ではない。
彼は単に『ここに2と2がある』とだけ言い、あとは観客に足し算をさせる。観客が共同脚本家となる。そこに笑いが生まれる。
「大学に講義に行った時に、こんなことを言った。『こういうシチュエーションがある:王様と女王がいる。王様には副官がいて、彼は女王とできている。そのことに王様が気付く。さあ、家に帰ってこのシーンを脚本にしてきてごらん』
この課題を1000人の聡明な脚本家(や脚本家志望者)に出すと、20ページの脚本を書いてくる者もいれば、
簡単なセリフのシーンを書いてくる者もいる。でもルビッチが(「メリイ・ウイドウ」(1934)で)やったような回答を思い付く者は誰一人としていない。
「これがルビッチの答だ。王様と女王はベッドルームにいる。王様は服を着ながら、女王にキスしている。カメラは部屋の外に出る。
そこに見張りの少尉(モーリス・シェヴァリエ)が剣を持って立っている。王様はベッドルームから出てきて、シェヴァリエに笑いかけると、階段を降りて行く。
そこで、シェヴァリエはもう安全だと考え、女王のいるベッドルームへと飛び込む。ドアが閉まる。カメラはベッドルームには入らない。
0414名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/22(金) 20:29:01.90ID:EN+oyXGY
「王様は階段を降りながら、剣と、それを腰に差すベルトを着け忘れてきたことに気付く。そこで彼は階段を昇り、
ドアを開けてベッドルームに入り、ドアを閉める。3秒後に、彼は依然として笑みを浮かべ口笛を吹きながら、
剣とベルトを持って出て来る。彼は、階段を降りはじめ、ベルトを着けようとする。が、短かすぎる。彼のベルトではない。彼は太っちょなのだ。
「ここで観客はピンとくる。王様は踵を返し、ベッドルームへと戻る。観客は、王様がここで(女王の不貞を)見つけるであろうということだけでなく、
シェヴァリエが裸であるということも既に知っているわけだ。ここでカメラがベッドルームに入る。シェヴァリエはベッドの下に隠れている・・。ルビッチがいかにエレガントに描いているかがわかるだろう
0415名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/01/23(土) 14:54:23.37ID:3c8FsbMU
【演劇】倉本聰さん「日本人そのものが卑怯になっている。情けない日本人になってきた。その怒りを作品にぶつける。遺作のつもりで
「日本人そのものが卑怯(ひきょう)になっている気がするんです。情けない日本人になってきた。
その怒りをこの作品にぶつけたい」。劇作家の倉本聰(そう)さん(81)が作・演出を手掛けた公演
「屋根」が七年ぶりに再演され、二月五日から東京公演(新国立劇場中劇場)が始まる。
笑いあり、涙ありの物語の中に、経済優先で突っ走った戦後社会への厳しい視点が貫かれている。(瀬口晴義)
東京から北海道の富良野に移り住んだ約四十年前、倉本さんは原野の中を歩き朽ち果てた廃屋を探した。
腐った床板の向こうには、農業を捨てざるを得なかった一家の残り香が色濃く漂っていた。
「カレンダーの日付が大みそかだったこともありました。食事の途中、家族で夜逃げしたんだなと…」。
その体験は「北の国から」をはじめとする創作の原点になった。
「屋根」の舞台は原生林の中に建てられた開拓小屋だ。大正末期、若い夫婦の間に次々と子どもが生まれる。
雨風をしのぐ小さな屋根の下、貧しくも幸せな暮らしを営む家族に荒波が押し寄せる。徴兵された息子の
相次ぐ戦死、戦後復興、高度経済成長、バブルとその崩壊、IT革命。時代の奔流に翻弄(ほんろう)される
一家の姿を上からずっと見守っていた屋根の視点で、戦後の家族の一つの形が描かれる
0416名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/23(土) 14:55:20.84ID:3c8FsbMU
息子の一人は広告代理店の社員になる。こんなうたい文句が登場する。
<もっと使わせろ!><捨てさせろ!><季節を忘れさせろ!><流行遅れにさせろ!>。
節約が善で浪費が悪だった時代は遠くなった。
「今は都会が日本全体を動かしていると思い込み、食料をつくっている生産地はないがしろにされている。
コンピューターやITでは食べ物はつくれないのに…。農村はますます高齢化して疲弊してます」
二〇〇九年以来の再演となる。脚本も改稿した。この間、一一年には東日本大震災が起きた。
国策の犠牲者になった福島をテーマにした「ノクターン 夜想曲」を上演した。
「原発の核のゴミはどこも受け入れない。沖縄の基地も同じ構造です。
同情はしてもそれをなんとかしようという方向には行かない。
戦前生まれの僕みたいな者は、日本人がものすごく変わった、と怒りを持っています」
貧しいけれど幸せな生き方。それを倉本さんは「貧倖(ひんこう)」と表現する。
貧しくて困る貧困は避けたい。でも、貧しくとも幸せな生き方はできるはずだと。
本当の豊かさとは何か。倉本さんは「遺作のつもりで取り組みたい」と意気込んでいる。
0417吉本隆明(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/30(土) 02:52:41.74ID:3A5gdKIe
吉川英治の物語性の背後には、日常的な、ごく普通の生活から発する好奇心
があるのではないか。日常生活を送りながら体験するさまざまなこと。どんな
ことでもいい。あの時にけんかをしたら涙がこう出たとか、いや別な女はこん
なふうに涙をためたとか、そんな日々の生活の機微に大そう惹かれる気持ちが
物語性の細部を成り立たせている。
 純文学作品だったら、それは第二義的でいいと思うようなささいなことかも
しれない。でも本当は大事なことなのだと思う。

男女の恋愛関係のなかでいちばんむずかしいのは三角関係なんです。三角関
係というものを最後まで追いつめていくと、どうしても死ぬか生きるかといい
ますか、相手を殺してじぶんの恋を成就するか、それじゃなければじぶんが死
ぬかというようなところに追いつめられるほどきついものです。
 一人の女性をめぐって二人の親しい人間が葛藤するのが三角関係の小説で、
これは不倫小説とか浮気小説とはまるで違います。何が違うかというと、二人
が親しいこと、もしかしたら広い意味での同性愛に近いかたちで親愛感をもっ
ていることが三角関係小説の大きな特徴です。これがなければ、単なる姦通小
説で、トルストイの『アンナ・カレーニナ』とかフローベールの『ボヴァリー
夫人』みたいな小説になりますが、漱石が書くとそうはならないで三角関係小
説になってしまいます。
つまり三者三様にギリギリに追い詰められて、『こころ』の場合では親友は
自殺し、自分は下宿の娘さんと一緒になって暮らしますが、やがて年を経て明
治の終わりとともに先生も自殺して終わります。つまり、三者三様に自滅して
いくようにもっていく。大なり小なりそれが漱石の主題になってきます。
0418吉本隆明(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/30(土) 02:57:01.60ID:3A5gdKIe
漱石は、誰もが認める知識人で、世間的に立派な人物とされていました。けれども、漱石自身の中では、他人に対して小さな虚偽を犯し続けている卑小な人間であるという思いがあったのではないでしょうか。
それで、自分の内面にさらにどんどん入り込んでいき、ますます世間とのギャップが大きくなっていく。
これは日本の知識人の典型とでもいうべき姿で、現代でもだっしゅつできていないのではないかと思います。
西欧ならば、この種のことで悩むことは、まずありえないでしょう。漱石がもっていたような倫理観、つまり日本の知識人における内向する倫理観とでも言うべきものは、西欧における倫理観とはぜんぜん違うものです。

もし西洋の小説なら、三角関係になったら、女がどちらかの男を選ぶ。しかし漱石の小説でははじめからそのような可能性は考えられていない。それが日本の後進性であり、西洋風の自我がそのまま日本には通用しないことを示すのだという
0419吉本隆明(やわらか銀行)
垢版 |
2016/01/30(土) 03:01:28.34ID:3A5gdKIe
その次の段階にくる恋愛は、三角関係の恋愛です。恋愛というのは対幻想であって、その恋愛が一時的な気まぐれの恋愛であろうと強烈な恋愛であろうと、いずれにせよ、
一人の男性と一人の女性、あるいは一人の男性と一人の男性、あるいは一人の女性と一人の女性のあいだ、つまり一対一のあいだにしか起こりえないのですけれど、
三角関係というのは三者の間に起こるので、これは矛盾なわけです。つまり、恋愛における矛盾、あるいは矛盾としての恋愛です。
三人というのは、共同性のいちばん原型にある関係で、恋愛感情とか男女の恋愛という対幻想とはぜんぜんちがいます。本来ならばちがうはずなんです。
ですから、三角関係における恋愛というのは大なり小なりごまかしであるか、二重操作であるか、あるいは一方の対幻想の場面ではもう隠しておく、そういうでしか成りたたないのです。しかし、この種の恋愛はしばしば起こります。
0420名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/02/03(水) 21:25:44.31ID:Kgxe5VUM
山田太一といえば、活き活きとした味わい深いセリフ回しで知られる。山田は、常に脚本を書く時「そんなことを言えるか?この俺が?」と自問自答するそうだ。
「たとえば『生きなきゃダメ』といった決まり文句があるじゃないですか。僕は『そんなことを言えたら簡単だよ』と、そのセリフを自分で批評してみる。そうすると、少しのぼせていたなあと思ったりします」
山田は、やはりどんどん良い映画やドラマを見て、書きたい題材を書いていくことが大事だと言う。「すごく才能がある人なんて珍しいでしょ。物語を書いたことのない人が、いきなり書く時、
何となく今のテレビドラマに近いものを書いてやろうと考えがちですが、そうなるとパワーがないんです。やはり自分の物語をつくるべきです。そして書いて、段々に自分の輪郭をはっきりさせないとね。時間はかかりますよ」
0421名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/05(金) 22:42:26.74ID:48/00pRg
やはり思ったのは時代の空気の変化。

家に帰ってジャージに着替えて「ビールプシュッ!」とするささやかな幸福や、
外で遊ぶより「家がいちばん!」という価値観は、 今では賛同者も多いだろうけど、
約10年前は誰もが大きい声では言わなかった本音であり、 「身の丈のしあわせ」の可視化でもあった。
そこが共感を呼び、さらにダラダラ&グダグダと甘える綾瀬はるかが可愛いかったわけですが、
いまや「中食(ナカショク)」「家呑み」派が大多数、 若者の海外渡航も減っているというし、
「イタリアなんか行くより、家がいい〜」という ホタルの言動が、ネタにもなにもならないんですよねー(笑
0422名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/07(日) 16:45:49.64ID:Du4FA3Vo
 極めつきは「ウンコ」。好きなマコト(加藤和樹)と暮らし始めた翌朝、蛍は幸せそうにトイレの鏡の前で化粧。ハッと我に返って思う、
「ヤバ早くしなくちゃ。ウンコしてると思われる」。
ドラマでは心の中で思う言葉だけれど、今どきの若い女性は親しい同性ばかりのときは平気で口にする。トイレに行く時は「ウンコしてくる」
「固体出してくる」と言うのです!信じてくださらない方は、拙著『若者言葉に耳をすませば』をお読みあれ。
 蛍は、部長に電話を切られると、「くそー」とつぶやく。部長に言い返されると、「チェーッ」とあからさまに嫌な顔をして睨む。
仕事で頑張る若い女性が求めているのは、こんなむき出しの言葉をぶつけても受け入れてくれ、飾らぬ姿を認めてくれる男性。
ドラマには、今どきの若い女性の願いが込められていた。
劇中で、こういう「リアルな会話」が交わされている、ということすら気付かないで視聴しているのです。まったくもって自然に劇中に溶け込んでいるのです。私たちが日常的に接している会話に近いセリフが交わされているからでしょう。
 こういうリアルな会話というのはさりげないけれど、ある世代以下の脚本家だけが持つチカラのような気がしますね。
例えば、今年になって放送された新作ドラマの中でも、山田太一氏が書いた『ありふれた奇跡』あたりは「ぎこちないセリフ」が各所で指摘されました。
あるいは昨冬、倉本聰氏が書いた『風のガーデン』、あるいは4月期でも池端俊策氏が書かれた『ぼくの妹』あたり。
 これらの作品はどちらかといえばオールド世代が書いた作品群ですが、こういう書き手の作品と決定的な違いがこの「リアルな会話」なのだと思えるのです。
とはいえ、ここで誤読されないでいただきたいのは、私は「リアルな会話」のほうが優れているといっているわけではありません。
 このあたりの「リアルさ」も実は程度問題ではあるのです。何でもかんでも「リアル」だとドラマになりません。実はこのあたりもこの『ホタルノヒカリ』の書き手はちゃんと分かった上で「リアル」を追求している
http://tvdramadb.blog23.fc2.com/blog-entry-545.html
0423名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/02/07(日) 18:12:50.97ID:Du4FA3Vo
 例えば今のテレビドラマでは作り手が描きだす場面が明らかに過去の映像作品に依拠していることが多々あります。そして結果として現実離れした描写になっているのに作り手があまり気づいていないように見えるケースが散見されることがあります。
 例えばラーメン屋の描写あたりは端的でしょう。テレビドラマに出てくるラーメン屋って、例えば客のことを放ったらかしに店主と店員がしゃべっていたり、
あるいは客に世間話を気楽に話しかけてきたり、店主と奥さんが場合によってはつかみあいのけんかまでおっぱじめたりします。
 …そういう描写がいとも平然と日常の描写として出てくることがあります。
 ですが、どうでしょう?実際に我々が日々訪問するラーメン屋さんでそんな場面に出くわすことってあるでしょうか。
 このあたり、なぜこんな描写が無自覚にテレビドラマの中に登場しているのかと言えば、恐らく、過去のドラマなどの映像作品の視聴経験におけるラーメン屋の描写に引きずられている面があるためではないでしょうか。
 例えば1980年代後半、TBSで放送された『親子シリーズ』あたりに出て来たラーメン屋のイメージ。こういったものがあたかも実体験と混同されて執筆してしまっている可能性があるわけです。
最初にこういう描写をドラマに持ち込んだ書き手は恐らく、現実から飛び越えたデフォルメの世界としてこういう描写を入れたのだと思います。
ところがそれを視聴して育った世代が書き手となったとき、当初デフォルメのはずだった世界が実体験のように書かれてしまったのです。その結果、超現実のラーメン屋がいとも平然と劇中に現出しているわけです。
 まぁ、この程度なら可愛いレベルですが、過去の映像体験で実体験を補うと、昔どこかの映像作品でみたような感動しか生めないことにつながります。「だから、生の実体験を積むことが大切で、そこからはじめるのだ」
0424名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/07(日) 19:54:17.17ID:Du4FA3Vo
本作は原作を忠実には訳しておらず、仏教用語や日本の諺、慣用句など同じ意味合いを持つ言葉に置き換えて訳してある。
これについて訳者も意訳より相応しい訳がないためと述べ、渋々で意訳している。これは無理に日本語にすると解らない英語発音の言葉遊びや、特有の暗喩、
比喩などを解りやすくするための苦肉の策であり、なおかつ解りづらい訳で原作の盛り上がりがしぼまないようにとの配慮である。後ろに直訳と意味解説があり、私はこの意訳でも楽しめたが、
原作通りじゃないと駄目な方には向かないだろう。内容を解りやすく把握するには最適であるからこれを読み他の直訳を読むとよいと思う。台詞等が理解しやすくなるだろう
0425名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/09(火) 21:41:00.05ID:LjF7V3mq
人生は動く影、所詮は三文役者。色んな悲喜劇に出演し、 出番が終われば消えるだけ。シェイクスピア『マクベス

【ウォルポール】 この世は、考える者にとっては喜劇であり、感じるものにとっては悲劇で ある
0426名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/02/11(木) 04:02:57.54ID:dNCNsqdH
「物語と科学」(河合隼雄
「……私はよく言うのですが、私は釣りが趣味でものすごい大きな魚を釣った。
体長何センチの魚を釣ったという事実ではなく、私の心のなかの感動を語りたい、
私の気持を語りたいという場合に、
魚の長さをどのくらいに表現するかは非常にむずかしいことです。
「海へ行きまして、体長二三センチの鯛を釣りました」と言えば、
「ああ、そうですか」と終わりになります。
ところが「こんなん釣った」とか、ちょっと手で示した幅を動かしたりすると、
向こうの心もそれにつれて動いてきて、
おれも釣りに行こうかとその人が思ったりする。
ただし、このぐらいの魚を釣って、とあまり大きすぎる話をすると、
相手は「かたられた」ということがわかってきます。
その場合は「だまし」になりますね。
つまり「語り」にはつねに「だまし」がどこかに入り込んでいるところがおもしろいのです」(
0428名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/02/14(日) 03:39:10.47ID:+PjB6WnH
ギャグと小ネタがつまらないのなんて最初からずっとそうなのに
そのくだらなさがトリックの醍醐味だと思うんだが、14年も続くと飽きられるのかね

くだらないネタとつまらないネタは別
昔のネタはくだらなくはあってもつまらなくはなかった
霊能力者が山田に赤い紙を取らせようとする、引き寄せられるようにそれを取る山田
霊能力は実在するのか!?(ここまでは超シリアス)→実はお札でした
くだらないオチだけどそれを大真面目にやるから落差で笑えた
今は真面目な雰囲気がなくつまらないネタだけがあるからただの三流コント

シリーズ追うごとに小ネタは捻らずそのまま…というか あからさまになっていった気がするな
そういうの好きな層ってSNSとかで騒いで褒めてくれるだろうから
作ってる方も楽しいのかなと思ってしまった
0429名無シネマさん(家)
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2016/02/14(日) 23:21:04.82ID:3cb/UyB4
オリガミクスに入る
0430名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/15(月) 12:00:20.89ID:y0aYQTdy
黒澤明は「とにかく若い奴はホンを書け」と言ってたよ
まぁそれは監督に向けて言ってたけどね
0431名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/19(金) 01:58:43.61ID:MNN8WYhU
深い絶望をかかえた青年を元気にさせること。それが自分の仕事であると思い、青年と一緒に暮らし、実践しようとする。しかし、現実はそう簡単ではない。
「ある程度距離をおいて人を助けることは、わりとよくあることなんです。ところが距離がなくなると難しくなる。お互い、聖人でもないし煩悩があるわけですよ。
2人の背負っている過去が出てきてぶつかったり」
 ひと口ではいえない複雑微妙な感情が、老人と若者の間で交錯する
いまはドラマの現場も変わりましたね。みんなで議論して意見を出しあって作る。頭がいい人たちなのでしょうが、1人の人間が切実に考え抜いて書いたものは、
複数の人が話し合って描けるものではないと思うのですよ」
「数字を取るため、マーケティングの手法を取り入れることも必要でしょう。でも、どうもそちらに傾きすぎて人間が描かれなくなった。
それで本質的に新しいものを創れるのか、という思いが僕にはあります」
0432名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/19(金) 05:42:12.13ID:MNN8WYhU
初回の終わりの方を見た時はもう少し深い内容になるのかなと思ったけど、
基本的にはアラフォー世代の身の回りに起きるありがちな出来事をカタログのように見せただけのドラマだった。

そういう意味ではかなり期待はずれだったんだけど、ドラマで描くヒロインの年齢が時代と共に上がってきて、
40歳前後をハッキリとターゲットにした作品としてはこれでよかったんだと思う。
今後、また同じような切り口でドラマを作るなら もう少し深いところまで描いて欲しいけど、
とりあえず今回はこういうテイストでOKだったんじゃないだろうか。
ドラマとしてのクオリティーは決して高くなかったものの、
企画をそのまま組み立てた作品としてはそこそこ面白く見られた。
96年に放送された「ロングバケーション」の南(31歳)と同い年だった人も今は43歳。
そういう当時のF1層が、今、共感できる内容だったことは間違いないと思う。
0433名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/21(日) 03:32:40.82ID:0MOEnkwF
このシリーズが実に長続きしているのは、見る人の目線を事件の本筋から山田と上田の大ボケぶりと掛け合い、
そして、数々のナンセンスなギャグと小ネタの数々に実にうまく推移させているからだ。私は、山田と上田のキャラクターが事件よりも魅力的な内容にしてしまったことが、
堤監督の仕掛けた最大のトリックだと思う。それと、実に細かな部分にまで小ネタを満載させ、
現実の世界から離れた「トリック」でしかありえない世界観を作ってしまっていることも長続きの理由だ。リアリティーを一切排除することにより、
逆に「トリック」という一つのリアリティーを生んでいる、というわけだ。これは、こういうギャグドラマでは実に難しいことで、ふざけたことを実に真面目に、そして、緻密に創り上げてきた結果なのだと思う

緩いギャグと緩いストーリー展開、それを演出するテンポも緩い。裏では「電車男」がいろいろな要素を詰め込んで、濃度の濃い作品をやっているとしたら、このドラマはストーリー的にも、
映像的にもかなり濃度の薄いスカスカさが目立つ。しかし、このドラマのスゴいところはそのスカスカさがある程度、このドラマの個性になりつつあること。
さすがに、今回ほどスカスカな話だと退屈すぎるが、「特命係長」が濃度が濃くなりすぎてしまうと、何か違ったものになってしまうから、前回のスペシャルくらいの薄さを堅持してくれたらいい
0434名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/21(日) 18:15:05.67ID:0MOEnkwF
この映画の大ヒットは、いかにも現代の日本社会の風潮というものを、反映している。テレビ番組で見てよく知っているドラマの、そのパターンや人物の性格やギャグなどを、観客なと馴れ合う形で展開していく劇場用映画が、
まるでファン大会みたいに、多数の人々を集めているのである。いくつかの映画館では、ラストの主題歌がうたわれる個所で、場内に若者たちの大合唱が起ったという。
 渥美清の死によって、「男はつらいよ」シリーズの寅さん映画は、四八本で終ってしまったのだけれども、その流れはみごとに、こういう形で引継がれていることになる。
一本の独立した、日本社会の現状の矛盾を衝いたような映画を、能動的に映画館に出かけて行って見て、自分を新しい状況に追いこむような、映画の見方がなくなりかけてきているのである。
 既によく知っている、一つのパターンをふんだ、心地よいものと馴れ合って、その場限りの楽しい思いをしたい。テレビのブラウン管で見た時は、自室で一人だったが、
映画館に行けば同好の士が集って、同じムードに酔って、主題歌が大合唱できる。そんな思いの人間たちが集って、こういう映画を大ヒットさせているのである
http://www.tokakushin.org/cosmos/eiga/eiga.htm
白井佳夫
0435名無シネマさん(家)
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2016/02/22(月) 02:58:11.54ID:AsHnIpe3
オリガミクス、オフィスブルー、JCM
この辺りのマネージメント会社にお世話になればデビューくらいはできる
間違ってもマネージメント料抜きまくり
所属作家は海外ドラマパクりまくりの悪徳会社には入るなよ
0436名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/24(水) 03:45:53.55ID:M0k3LULw
あざとくていやらしい商売っ気感じるのよ、橋田、内舘の本。
同じ修羅を描いても、りんとした品格を感じさせるのよ、向田さんの本は。
通俗的に恥部と醜態を晒すのみに終わらない。
かと思えば、ドタバタコメディも書けるし、その落差が好き(

向田作品は 父権社会の中で女がどう生きてきたか、に尽きます。
その辺りを今の女性にも通じる表現で描いているところが 向田邦子さんは本当に才能のある方だと思います。
橋田作品や内館作品は基本的に女性達へエールを贈るスタンスが
あるように思うので、男性を情けなく描きがちかもしれないですね

橋田寿賀子さん、一度でいいです。
岡田惠和さんのように登場人物が穏やかで、 全員馴れ合いのドラマを書いてください。
猜疑心の塊と疑心暗鬼になるのは健康によくないです(w

内館牧子さん、一度でいいです。
独身のヒロインをいたわり、素敵な奥さんを素敵なままに描くドラマを書いてください
0437名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/24(水) 16:43:50.20ID:M0k3LULw
「週刊少年ジャンプ」は長くマンガ誌で人気がある雑誌ですが、あの雑誌の編集方針は「友情、努力、勝利」でした。
『ドラゴンボール』『キン肉マン』『北斗の拳』など多くのヒット作があります。
ところが昨今のジャンプの方向性は「運、血筋、才能」だというのです。
どれも自分の努力ではいかんともしがたいものばかりで、前近代、中世のようです。
とはいえ、読者のニーズを捉えてマンガがつくられているとすれば、社会はそうした現実をすでに受け入れているとも言える
0438名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/02/24(水) 19:28:41.58ID:M0k3LULw
綾瀬さんも作品によって良し悪しが激しい方だけど、やはり、クセの強い役をやらせたら、この方は輝く人だなあ。藤木さんもあまりピンとくる作品がなかったのだけど、このドラマが自分の中ではベストの演技だったと思う。
脚本についても、蛍(綾瀬はるか)と高野(藤木直人)の掛け合いの妙はうまく作られていたし、基本的にゆっくりと進む蛍のウジウジとした恋愛、高野との距離の変化も飽きさせることなく描き切れていたと思う。
演出に関しては、チーフの吉野さんの回よりも、セカンドの南雲さんの回のほうが仕上がりが安定していたと感じた。特に、第九夜の蛍が慣れ親しんだ縁側に別れを告げ、
マコト(加藤和樹)との同居を始めるという嬉しいはずなのに、寂しくて仕方がないという複雑な心境をうまく表現していたと思う。
ドラマとしては「すいか」的なのんびりとした部分と、「ハケンの品格」的な働く女ものとしての部分を持ち合わせた企画であると思うのだけど、両者をうまく折衷させた仕上がりになっていた。
0439川本三郎(やわらか銀行)
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2016/02/25(木) 21:39:27.02ID:WXyRdV73
川本ご紹介いただきました川本です。よろしくお願いいた します。ほかの講師の方は、みんな外国の旅行ですが、私だけ
身近な「千葉の旅」という割とさえないタイトルです。ご存じ のように、千葉県は非常に虐げられている県です。(笑)特に、
東京の人間は何となく千葉、茨城、埼玉というのはちょっと小ばかにして、「ちばらき」と言ってみたり、千葉県の北習志野
市というところを「きたならしいの」と言ってみたり、千葉というと何となくばかにしがちです。「男はつらいよ」の映画で
も、あれだけ寅さんは日本じゅう旅をしているのに、房総半島だけはなぜか行っていないんです。浦安には行っていますが。
海辺には行っていない。行けばいいのに。千葉県の人が一回、山田洋次監督に「ぜひ寅さんを房総半島のほうに旅をさせてく
れ」と言ったようですが、結局だめだったようです

http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/pdf/24SaburoKawamoto_p3.pdf
0440中島丈博(やわらか銀行)
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2016/02/28(日) 02:30:25.30ID:yUKZDcdA
 今のドラマはリハーサル日を取らない。ほとんどの局でドラマ作りが簡略化されて、撮影の当日に役者がスタジオに入って、カメラの前で簡単な動きを決めて、
セリフを言ってテストして、すぐに本番。そうすると役者が自分たちの芝居を高める時間が足りないんです。
台本はあるけど、現場は役者任せの状態で、役者も“セリフを言っとけばいいんでしょ”という役者ビジネスな人が多くなってしまった。
自分の言葉に置き換えてセリフを言うのを個性だと思って、きちっとセリフを言って演じようという志向がないんですよ」
また、しっかりした仕事のできないスタッフにも問題がある、と指摘する。
「僕たちは必ずプロデューサーと話し合いながら脚本を作るんです。アイデアを出してもらったり、
このセリフがよくないとか具体的にダメ出しされて作っていくんですが、いま、それができる人がほとんどいない。
“なんかここちょっとタルい”みたいな感覚でしか指摘できないから、きちっとした本作りができてないんです。だから、自分で企画が立てられないので、オリジナル作品が作れず、
小説や漫画の原作に忠実なドラマを作ろうとする。そうすると、原作者や出版社がどんどん強く出るようになって、何かあると、“原作どおりにやってくれ”となる。
でも東海テレビの昼ドラは、自由な発想のオリジナル作品で、リハーサルもきちっとやって、しっかり作っていたんです
そうやって面白いもの、ユニークなもの、そして深く人間の情感とか葛藤を書き込めるドラマだったから、なくなるのは本当に寂しいです。
0441中島丈博(やわらか銀行)
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2016/02/28(日) 23:36:09.92ID:yUKZDcdA
文学史的には第三の新人って言われる人たちで、人気作家が結構多いんです。安岡章太郎とか遠藤周作とか吉行淳之介とかですね。
私からすると、この人たちは単に人気商売にあぐらをかいているだけであんまり格好よくない。戦後派の先輩に言わせると、
俗情と結託しているヤツらなんです。エンターテイナーとしては良いのだけれど、戦争責任なんかはいっさい口にしない。言うならば、不都合な真実については口をつぐむところはあったと思います

日本文学の平安から続くコンセプトは色好みですから。もう一度色好みに返してやればいいじゃないかと。エロスには、日本の独自の進化プロセスがあるじゃないですか。エロコンテンツだって、
よその国のものと比べるとバリエーションがあって、めくるめく世界でしょ。輸出用のサブカルチャーとして最も稼いでいると思います。
文学が最もクリエイティヴィティを発揮できるエロスを忘れるべきではないと思いますけどね。それにかまけた文豪も多々いて、それゆえ優雅でエッチな、
ちょっと風変わりな日本文学というのがひとつの世界的地位を得ているわけですから。だいたいエロに規制をかけていくのは輸出関税をかけるような門です
0442島田雅彦(やわらか銀行)
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2016/02/28(日) 23:38:07.46ID:yUKZDcdA
近代文学の役割は間違いなく終わっています。経済成長は終わったというのと同じ意味です。経済成長とか都市化とか、どの国も発展途上国から先進国になる途上で一回はチャンスがあるわけですが、
近代文学というのもそれらとパラレルなんです。それまでの第一次産業のライフスタイルが変わり、都市に集まってきた者の人間関係や挫折、出世を題材にするものなので。
日本はそんなものとっくに終わっているでしょ。模造のレベルでは残っていますけどね。例えば『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』みたいなノスタルジックな作品がそう。
0443島田雅彦(やわらか銀行)
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2016/02/28(日) 23:40:56.72ID:yUKZDcdA
昔の選考委員を知る人たちは、彼らが文学に対していかに真摯であったかということを強調しますね。もちろんそれに越したことはないですけれど、それが何なのって。あまりに強調されると、瑣末主義に陥っているんじゃないかとは思いますね。
そういう見方が、文学として認められる範囲を狭めているんじゃないか、と。文学は自然界と同様に多様性が命だと思っていますから、変なものもどんどん世に送り出すのが良いのだと私は昔から言っています。
言論や出版が全部ナショナリストになるよりはよっぽど健全だと思っていますからね。でも放っておくと多様性は得られませんのでね。かつての文学界の暴れ者みたいな人ほど保守化が激しくなる世界ですから。石原慎太郎や村上 龍がそうです。

あの作品は三島由紀夫の『仮面の告白』を意識しているんです。一種の境界例の少年の話ですよね。でも基本的に小説を書きたいと願うような者には、多かれ少なかれ、そういう部分があるわけですよ。私小説を書いている人だって、自分にかまけているけれども、
その自分がどんどん複数化している感じを味わっていると思うんですよね。あるいはストーリーテリングを意識している人は、毎回違うキャラクターを作っては、彼らに血を通わせるということをやっていますから、
自身の中に人格をたくさん育んだ者勝ちなわけです。『僕は模造人間』みたいな小説は、20代の私にとって一番自然だったんですよ。アイデンティティ神話みたいなのが流行っていた時代でもありますから、それに対するアンチテーゼという狙いもありましたけど
0444名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/03/01(火) 18:26:15.99ID:11vJ5Vbs
、「小津映画に親しむようになってから、多くの映画がうるさく感じられるようになった。
ここでいう「うるさい」というのは「騒々しい」という意味ではなく「煩わしい」問う意味です。
悲しい場面になると、演者が悲しい顔やしぐさをして、悲しいセリフを吐き、悲しい音楽が流れる....これでもかとばかり、
見るものを1つの感情へと、出来合いの大ざっぱな感情へと追い立てようとする。そういう映画を世間で「わかりやすい」というのだが、私は「うるさい」と感じる。
子供じゃないんだ。そんなに「ここは悲しい場面」と説明されなくても、普通の人間なら十分に察するところであろう。」と記し、音楽については

斉藤高順の言葉「小津監督は、心理描写の音楽は大変きらったんですね。どんな悲しい時でも....病気の時でも太陽は頭の上にキラキラと輝きますからね
天気が良いような音楽やってくれと言われました」を引用し、小津が説明ではなく表現を目指していたことを示していく。
0445向田邦子(やわらか銀行)
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2016/03/02(水) 18:53:24.35ID:AHpUA5gb
戦争間近の情景と、ユーモアあるセリフ、秘めたる性の表現を、十八歳の一人娘さと子の目線で描ききる
優れた人間観察で人々の素顔を捉え、生の輝きを鮮やかに浮び上らせた
なにげない日常や仕事先で出会った人々や出来事を、鋭くも温かい観察眼で綴る
父のいる懐かしい家庭の息遣いをユーモアを交じえて見事に描き出し
表向きの顔とは別に、姉妹それぞれがのっぴきならない男と女の問題を抱えている。猜疑心強い阿修羅になぞらえ女の姿を軽妙に描いた
できの悪い奴と疎まれる菊男。彼は、その冷たい家庭よりも、たまたま行き会った靴屋夫婦の元に実の息子のように通うようになる。家族とはいったい何なのか。
現実の家族ともう一つの家族が交錯したとき、厳格に見えた祖父、そして父も、どこか温かな場を求めて走っていたことがわかったのだった

端的なト書きと贅肉のないせりふで構成されたシナリオだと思います。
演出家や役者を枠にはめるような記載がなく、自由に映像化できるように書かれているような気がしました。しかし、作者の表現したいことが的確に伝わってきます
0446名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/03/02(水) 19:55:00.79ID:AHpUA5gb
身体意識”とは、“体性感覚的意識”を短く表現したものです。視覚的意識や聴覚的意識とは異なる、身体の筋肉・骨格・内臓・皮膚・血管・経絡・細胞等々の上に成立する力感・圧力感・流動感・接触感・質感・温感・気感そして
存在感などの一切の体性感覚を根拠として成立する意識系のことです。
 人というものは、“身体で感じ、身体で考える存在”であるということなのです。
 誰しも生まれてからしばらくの間は理想に近い形で、“身体意識”が働いているのです。しかし言語を習得しつつ成長し…人はしだいに、“身体意識”との結び付きを喪失した視覚・聴覚的意識の過大な意識世界を作り上げてしまうのです。
20世紀の哲学者や詩学者が問題にしたという「身体性を喪失した言葉の氾濫」というのは、このことを言葉の面から捉えたもの。しかるにさらに重要なことは、身体でさえ“身体意識”を喪失することがある、ということなのです
0447名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/03/02(水) 20:48:15.28ID:AHpUA5gb
http://members3.jcom.home.ne.jp/balloon_rhetoric/index.html
ふき出しのレトリック 〜マンガの修辞学
http://script.novelgakuen.com/
シナリオの書き方+徹底研究+20枚シナリオの書き方事講座
http://otoku55.capoo.jp/scenario/
ハリウッド式脚本術に学ぶ脚本の作り方
http://acting.jp/wordpress/2012/04/27/02381164.htm
1965年のシナリオ作法書 by新井
http://www.sakuranbo.co.jp/livres/index.html
小説家になりま専科
http://gigazine.net/news/20140615-instant-bestselling-novel/
簡単に「ベストセラー小説」を書くための文章テクニック
http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2015/02/16/211516
対談 山田太一 × 奥田英朗“
0448名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/03/08(火) 18:03:13.57ID:8siPnveL
太一さんはフジの仕事が少ないね NHKとTBSがほとんど中心だったと思う

あのクラスの脚本家でフジと懇意だったのは、晩年の倉本ぐらいでしょう。
フジは大物脚本家から相手にされなかったので、トレンディドラマ&シナリオ大賞立ち上げて、
若手の育成と称して、プロデューサードラマを作った元凶だから。
けど、フジにはその選択肢しかなかったと思うが
0449名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/03/08(火) 18:14:54.05ID:8siPnveL
山田ワールドを醸し出すのに成功していたと思う。
ただ、言いたいことを最初に言って継ぎ足し継ぎ足しで話を進める無駄の多い(?)独特のセリフ回しが、
必要なことしか言わせない脚本に慣れている世代と噛み合わなくなって来たのかもしれない、とも感じた。
プログを回ってみると、ふぞろいファンの「あの間合いに久々に酔った」という感想ある反面、
若い世代かな?セリフが要領を得なくてだらだらと退屈だったという人が結構いた。
あと、SF作品があまりにも普及したせいか、タイムスリップの原因とか、
過去を変えた事によるパラレルワールドの展開とか、オチの意外性とかが重要視されるらしい。
そういう点に伏線がはりめぐらされてラストに繋がっているかが、傑作か駄作かを決める
ポイントになっているようで、少し複雑な思いがした
0450名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/03/08(火) 21:41:38.50ID:8siPnveL
宮崎駿がこんなこと書いてますね。

「いま、作り手たちは、もはや主人公たちに自発的な動機を与えることができなくなっている。
管理社会の中で、人間の努力の空しさを、どうしたわけか何もしないうちに受け入れてしまったようだ。
かつての、当面の敵「貧乏」も何やらはっきりしなくなって、戦うべき相手が見つからなくなって
しまったのである。
残るは、他のジャンルがそうなっているように、職業意識しかない。ロボットの兵士だから戦い、
刑事だから犯人を追い、歌手を志望しているのだから競争相手に打ち勝ち、スポーツ選手だから
努力するのである。あとは、スカートの中への関心か、ズボンの中へかくらいになってしまった。」
『動機の喪失について」(1988)
0451名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/03/12(土) 19:42:48.63ID:tqHj2ZZj
赤の他人とはうまくいくのに、本当の家族とはうまくいかないというのは、アン・タイラー作品で繰り返されるテーマのひとつである。後半、彼女は自分の家庭へと戻ってくる。まるで何事もなかったかのように、いつもの日常の雑踏に溶け込んでいくディーリア。
家出をしたのはちょっとの間、家庭を離れ生活をリセットしてみたかっただけなのだろう。そして物語は唐突過ぎるくらいにあっさりと終わってしまう。まるで、ディーリアの行動を安易に結論付けするのを避けるかのように。
だがそのおかげで、この本は大人のメルヘンとして、読み終わったあともその余韻を楽しむことができるだろう。(
0453名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/03/31(木) 19:09:08.44ID:so0yz7gO
ジェームス三木

テレビという媒体は、電気や水道と同じように、各家庭につながるので、
エロとか残酷の描写に、ある程度の規制はやむを得ないだろう。
表現の自由は大切だが、そこには美学がなければならない

昨今のテレビ番組は、やたらに叫び、だらしなく騒ぎ立て、節度のかけらもない。
テレビドラマについていえば、ナレーションが多く、回想場面が入り、心の声まで聞かせて、
説明、解説、誘導、結論まで出してしまう。視聴者は参加できないから白ける。

ドラマは隠せば隠すほど、見る人の想像力がふくらむ。
上等なドラマは、七割見せて、残りの三割は見る人の想像力にゆだねるものだ。
ドラマが完成する場は、スタジオや撮影所ではなく、見る人の心の中である。
0454名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/04/09(土) 00:51:27.10ID:hMFj4ED7
きっと物語に夢中になった経験のない連中が作るから、
>夢中になれないものしかあがってこないに違いない。

わかる気がする。料理で言うなら、本当にうまい物を食べる幸せを
感じたことのない人が「砂糖を入れたら甘いはず」「醤油をかければ
辛味が出るはず」といったような、セオリーだけで料理したものを
客に出して「おいしいはず」と思い込んでいる。

「不機嫌なジーン」なんか「裁判沙汰を取り入れたらハラハラするはず」
「変人ぽい学者的行動は笑いを取れるはず」って感じのドラマ制作で、
自分たちがつまらないものを作っている実感がなさそう。

他にも「主人公に闘病させれば応援してもらえるはず」「父親と息子が
母親の死を機にすれ違う設定は視聴者が泣くはず」というドラマが……

そこらに浮かんでるパーツを組み合わせるだけで一応物語はできるけど、
やっぱり制作者の内側からほとばしり出る情熱や使命感や人間臭さが
伝わってこそ、視聴者も心を揺さぶられるわけだから。
0455名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/04/09(土) 02:41:02.67ID:hMFj4ED7
Around 40〜注文の多いオンナたち
結局、この作品はアラフォー世代に関するあるあるネタを集めて共感させることが
一番の目的なんだろうなあ。だからひとつのドラマとしての完成度は自ずと下がる
ドラマとしてのクオリティーは決して高くなかったものの、
企画をそのまま組み立てた作品としてはそこそこ面白く見られた。
もう少し深い内容になるのかなと思ったけど、
基本的にはアラフォー世代の身の回りに起きるありがちな出来事を
カタログのように見せただけのドラマだった。
そういう意味ではかなり期待はずれだったんだけど、ドラマで描くヒロインの年齢が時代と共に上がってきて、
40歳前後をハッキリとターゲットにした作品としてはこれでよかったんだと思う
0456名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/04/10(日) 16:00:12.67ID:J4uwtmsM
市川森一さんが、なぜ脚本展を開くのか、脚本アーカイブズが必要なのかについて熱弁を振るった。
「ドラマの質が落ちている」。市川さんは、こう切り出した。
一因として、プロである脚本家が、作劇法の素人のプロデューサーらに書き直しを命じられる
うちに、単純なスローガンだけで、人間の複雑さを欠く深みのないドラマが出来上がる事例を
挙げた。「脚本家が書く複雑な心理は、素人には『余計なもの』にしか見えず、削られる。それは
もう脚本家の作品ではない」
「日本のテレビの出発点は“時間芸術”。消えることを当然としてきたが、その結果、テレビは、
その瞬間の視聴率さえ良ければいいという価値観をつくってしまった。残すという概念がない
ところに文化はない。未来の脚本家と放送文化のためにアーカイブズは必要なんです」
0457吉本隆明(やわらか銀行)
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2016/04/17(日) 17:13:52.71ID:bwd5P5cF
僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。

俺だけにしか分からない」というのが、自己表出性。しかし「俺だけにしか分からない」と誰もが思うわけですから、その「誰もが」思う表出性が指示表出性です。
優れた作品(=優れた表現)というのは、ディスコミュニケーションを共有するものなわけです。
これが吉本の〈表出〉概念の根源です。〈表出〉の本質は、まずもって〈沈黙〉としての自己表出にあるわけです

文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、
俺だけにしか分からない、と読者に思わせる作品です、この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。

コミュニケーションは「指示表出」。
俳句は五・七・五の限られた文字の中に自己表出があって、小説は、筋として「指示表出」があって、
そこに価値が生まれ、間接的に「自己表出」がされている。純文学が「自己表出」で、大衆文学が「指示表出」

「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが
縦糸と横糸として織り合わさったものであると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。
0458吉本隆明(やわらか銀行)
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2016/04/17(日) 17:17:24.32ID:bwd5P5cF
インターネット、携帯電話と、コミニュケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、
これに逆行することはできないんですが、コミニュケーション自体が自己目的化したら、それはちょっと病気です。

文化芸術というものは、 人を強制したり、または、 人に導いたり、ということはできないんです。
つまり、もともと、役に立たないことです。 そのかわりに、自由度があるんですよ。

帰するところ、最も重要なことは何かといったら、自分と、 自分が理想と考えてる自分との、
その間の問答です。「外」じゃないですよ。つまり、人とのコミュニケーションじゃないんです。
先生だったら「子どもに対して」ということじゃありません。 子どもに対してちゃんといい授業を見せる、
実行するということは主たることではないんです。 人に対して、というのは あとでいいんです。
自分と、自分が理想と考えるもの、そことの内的な問答が いちばん大切なんです。
先生だったら先生なりに「俺はどうなればいいんだろうか」と、考えていることが必ずあるはずです。
人になんか、わからなくていいんですよ。
自分だけの心の中に問答も反省も絶えずある、ということが、「自分そのもの」にとって大切なんです。
問答の道の行き帰りの回数が多くなればなるほど、そこが豊かになります。それは、最も価値あることです。
先生だけじゃなくて、何の職業であっても、 問答をくり返したそのことは、ひとりでに、自然に出てくるんです。
無理なんかちっともしてないところで、 完全に出るし、わかります。
子どもは鋭敏だから、なおさらよくわかるんだけど、 大人にだってわかられますよ。
自分の中の問答の行き来が豊富になって、 自分の中にたまっていくことが、いちばんです。
先生は、子どもに何か教える必要もないし、「おまえ、こうしろ」なんて言う必要もありません。
問答の道を豊かにくり返している先生が、ただ自然に振る舞っていること、
それが子どもにはいちばんいいんです。
0459名無シネマさん(dion軍)
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2016/04/18(月) 02:44:08.56ID:oR+CzURh
書いてる人に聞きたいんだが話に詰まった時に開く本はあるか?
俺は笠原和夫の「映画はやくざなり」からシナリオ骨法十箇条の部分を読んでるんだが
0460名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/04/18(月) 03:17:45.11ID:gTXFFe8V
>>459
ありゃ、古臭さ過ぎる。

俺は、笠原が「仁義なき戦い」を書く際に「ゴッドファーザー」よりもむしろ「我等の仲間」から影響を受けた、
と語っていた事に影響を受けた。
「あァ、そういう‘影響の受け方’もあるのか」と。

「何からどう影響を受けるのか」は自分なりに考えるべきであって、
「シナリオ骨法十箇条」のような最初から説教を目的にして書かれたモノに影響を受けるべきじゃない。
0461名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/04/19(火) 15:17:43.07ID:9/d7pGRS
セールスマンの死』は、平凡なセールスマンに米国の夢を仮託し、子供への過大な期待を抱いて自滅する姿を、現代の悲劇の象徴として描いた。
また、1953年の『るつぼ』では、魔女狩りを素材にマッカーシズムへの警鐘を鳴らした。その他、代表作に1955年の『橋からのながめ』、
1968年の『代価』などがある。ミラーは、社会と個人の接点からドラマを構築し、社会の矛盾を風刺し、近代化による人間疎外を批判した
0463名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/04/21(木) 14:41:39.95ID:vjREWxxC
ドラマの脚本もストック作るようにすればいいのに。
放送と同時進行して書くようなナメた製作体制を未だにやってるなんてな。

視聴率などを見てのテコ入れ・話数増減とか、反響が大きい登場人物・エピソードをふくらませたりとかで、
プロットや構成を企画書段階で組んでいたものから急遽変更して脚本書き直しという事態も珍しくない。
(特にオリジナルもの)
そういうドラマだと、制作と放映の同時進行はテレビならではのフレキシビリティとして利点だったりもする。

レキシビリティに対応しつつ、質が良いものを書ける脚本家って一部の天才だけだと思うんだよ。
そうじゃない人まで無理やり同じようにやらされて総崩れになってるのが今のドラマ界だと思う。
才能あっても、そういうやり方を嫌う人もいるだろう。で、ドラマ脚本の仕事なんてやってられっか。ってことで人材も枯渇しつつある気が・・・

好評だったハゲタカは、脚本家の林が製作時間をたっぷり貰えて何度も書き直しが出来たことが一因だろうしな
もちろん、回ごとに視聴者の反応で脚本や演出を変えられるのは連続ドラマの強みだけど、
元々芯のない脚本が多すぎるから、結果的に駄作に陥るドラマばかり量産されてる
0464名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/04/23(土) 18:18:02.69ID:wjy2yxG3
『Foujita』はなぜ映画としても伝記としても失敗なのか 浅田彰
http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160107/
最近の日本映画の文字通りの停滞には目を覆いたくなるものがある。マンガの実写化(それも三池崇史くらい破天荒ならばともかく、多くはマンガをなぞるだけでマンガそ
のものの魅力に遠く及ばない)が氾濫する一方、そんな流行に背を向けたシリアスな作品として評価されているらしい映画はたんに貧乏くさく辛気臭いだけで輪をかけてつ
まらないものがほとんど。困ったことにそんな「日本映画」をありがたがるモントリオール世界映画祭のようなものさえ現れる始末だ。
。「シリアス」な日本映画の端的な欠陥は、「はい、出会いの場面」「次は、語らいの場面」と律儀につないで
ゆくだけの義務的な編集に見られるリズム感のなさであり、それが映画を鈍重なものにしている。言うまでもなく映画とは文字通りの「動画(motion picture)」であり、
運動感(蓮實重彦のように「動体視力」という言葉を振り回す気はないけれど)のない映画は映画ではない――これはもちろんストローブ&ユイレやアンゲロプロスの長回
しのように外延的・相対的に遅くとも内包的・絶対的な運動感をもった映画があることを前提としての話であって、たんに速ければいい(それこそアメリカのTVドラマ「SC
ANDAL」のようなあざとい編集がいい)というのではまったくないけれど(ドゥルーズ映画論の枠組みでいえばこれは「運動イメージ」と「時間イメージ」の差異にもかか
わる問題だが、さしあたってはドゥルーズ&ガタリの「速くあれ、たとえその場を動かぬときでも」という一文を引いておけばすむだろう)。そうした意味でも、とくに近
年の「シリアス」な日本映画の運動神経の鈍さは致命的に見える。この際、編集が乱暴になってもいいから――それこそゴダールのような確信犯的「つなぎ間違い」(faux
raccord)を連発してもいいから――上映時間をとりあえず5〜10%削ってみてはどうか。それだけでも少しはましになるような気がするのだが。
0465名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/05/12(木) 22:50:04.50ID:e+4bjDq4
月9を書く即戦力を求めているので、プロデューサーが企画を出させて1年くらい現場主義で育てていくシステムがある」と話す。現在の5大コンクールは「ヤングシナリオ大賞」「創作テレビドラマ大賞」(NHK)
「TBS連ドラ・シナリオ大賞」「テレビ朝日新人シナリオ大賞」「WOWOWシナリオ大賞」の5つ。映像化の有無やカラーなどそれぞれ特色があるが「即戦力」にこだわりどんどん現場に出していく育成ぶりは、
ヤングシナリオ大賞が群を抜くようだ。
0466名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/07/07(木) 21:05:06.18ID:2fw0rlf7
特撮】円谷プロダクションが“金城哲夫賞”を設立し応募受付中。受賞作品は映像化に向けて円谷プロがサポート©2ch.net
2016/07/07(木) 20:38:15.41 ID:CAP_USER
円谷プロダクションが、“円谷プロダクション クリエイティブアワード 金城哲夫賞”を創設しました。
本日7月7日より応募受付を開始しています。
http://dengekionline.com/elem/000/001/313/1313495/tca_01_cs1w1_595x842.jpg
“円谷プロダクション クリエイティブアワード 金城哲夫賞”は、『ウルトラマン』シリーズ放送開始50年の節目の年に、
シリーズの原型を築き上げた脚本家・金城哲夫さんの功績を改めて讃えるとともに、
『ウルトラマン』のような永久不滅の作品を生み出すべく創設されました。
テレビドラマの企画・脚本を募集し、受賞作品は映像化に向けて円谷プロがサポートする他、
円谷プロ作品の制作に參加する機会が提供されます。 詳しい情報は特設サイトでご確認ください。
■“円谷プロダクション クリエイティブアワード 金城哲夫賞”概要
【募集内容】 テレビドラマ(30分×13話程度を想定)の企画書と第1話の脚本
※SF、ファンタジー、サスペンスなどジャンル不問
【審査員(敬称略・順不同)】
・大友啓史(映画監督)
・高橋洋(映画監督・脚本家)
・田中芳樹(小説家)
・中島かずき(劇作家・脚本家)
・大岡新一(円谷プロダクション社長)
【応募期間】7月7日〜11月30日
【賞金】 ・大賞(1篇):100万円 ・佳作(数篇):10万円
0467名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/08/06(土) 01:09:33.76ID:GgaLn4Uo
高倉健さんのインタビューを集めた本で、おそらくこの本は決定版だと思う。非常に面白く、かつ奥深い内容だった。そして、彼の人間性の素晴らしさだけではなく、
その言葉一つ一つの素晴らしさが伝わる内容だった。
例えば、
セリフのうまい下手よりも大切な事があるのです。(略)
本当に嬉しい、もしくは悲しいと感じたとき、人は「嬉しい」とか「悲しい」なんて言葉を口にするのでしょうか。僕はしないと思う。声も出ないんじゃないかな。
優れた脚本家は言葉で悲しさを表現するのではなく、設定で表現するのですよ。
仕事を決めるにはまずホン(脚本)を読みます。ホンのなかに一言でもいいから、ゾクゾクっとくるセリフがあればやることにしています。
人生に取って大切なものはたったひとつ。心です。
0468名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/08/07(日) 00:44:05.19ID:OLGIKlkP
単調な毎日の中でささやかな喜びを見つけて生きること
人生はその積み重ね
ささやかな喜びは大きな成功に決して劣らない…
0469名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/08/12(金) 18:52:37.42ID:Petly1fS
結婚できない男

小津映画との相似性
軽妙なバックグラウンドミュージック
同一カット/せりふ シーンの繰り返し
他愛のない日常生活の中のちょっとした出来事の連続
ローアングルの視線 同一構図の重複
小市民的な恋愛喜劇(実は結構ハイソサエティだが)

こんな感じかな 幸福感溢れたドラマですね
0470名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/08/23(火) 18:42:26.93ID:F+Vbo7j0
東京物語にも嫌な人物は出てくるがそれは理不尽な行動ではなく、
リアリティを追求した結果として必然的に出てきた人物像。

それに対して渡るの嫌な人物は作者の都合だけで事件を起こすために突然理不尽なワガママを言い始める、
軋轢がどんどん深くなっていってリアルに考えたら解決は不可能などうにもならない状況になったところで、
「ワガママ言ってた当人が突然何の必然性もなくそれを撤回する」か「当事者の誰かが妊娠する」のどちらかで強引に解決させる、

要するに登場人物は脚本家のコマに過ぎず、作家の都合だけが行動原理なので必然性、リアリティが全く無い。
0471名無シネマさん(茸)
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2016/08/23(火) 21:20:22.60ID:t/Ncw6LR
主人公の目的の設定について質問です。

そもそも目的はなくて、外部のトラブルでの主人公のリアクションを中心とした話はシナリオとして成立すると思いますか?
例えば、目的地のないロードムービーで旅先での問題を解決するのみ。日常もの。

あと、主人公の目的を適当に設定した場合、この目的を達成しないのは有りですか?
例えば、スポーツ物としたら全国大会で優勝することが目的だが、話の根幹はそこではなくて人間ドラマにあって、全国大会に出たが勝ち負けは描かずに終わる。(若干意味わからん例えだな、、、

なんだか目的のない主人公だと味気ない感じがしますが、そういう作品など知ってたら教えて下さい。
0472名無シネマさん(茸)
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2016/08/23(火) 21:29:55.73ID:t/Ncw6LR
ヤンシナ・城戸賞等に入賞した作品で、スポ根やアクションシーンの多い作品は何かありますか?
0473名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/08/26(金) 02:48:24.53ID:6LwV2f19
尾崎将也は今まで書いてきたドラマでもそうだけど、
ホームコメディやラブコメは面白いが、そのキャパを超えるものは全然書けないなと思ったな

梅ちゃんでも家庭内の話と色恋の話は面白かったけど
仕事の描き方や問題が起こる→解決までのプロセスは雑で適当脚本だったし
0474名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/09/17(土) 04:24:11.79ID:LwWMVcLJ
設定で役者と視聴者を煽ろうとし過ぎてて
演出に自由度がないからリアリティが出てこない
結果、説得力のない突飛な感情表現だけが上滑りしていく
 
物語やドラマの中にショックを配するのではなく
ショックそのものに力点が偏り、自己目的化しているから効果が出ない
キャラクターが自立せず最終的に全員が遊川の分身に収斂する
せっかく積み上げたドラマを自分で壊さないと気が済まない幼児かよ
0475名無シネマさん(やわらか銀行)
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2016/09/18(日) 00:51:07.19ID:pT59Utjr
尾崎将也 ‏@ozakimasaya · 8月19日

脚本教室で初心者がまず知るのは「ドラマは主人公が困ることが起こらないと面白くない」ということ。その次に「その困ることが解決するとき、
単にこうすれば解決したという現実的解決法を示しても面白くない」ということを知る。しかし「ではどうすれば面白くなるのか」を知ることはものすごく難しい。
0476名無シネマさん(やわらか銀行)
垢版 |
2016/09/21(水) 04:33:45.54ID:DzvFbKLw
これもまた別の話 新潮文庫
『ジョーズ』、『赤い河』、『アメリカの夜』、『5つの銅貨』、『ニノチカ』、『男はつらいよ』、『薔薇の名前』、『タイタニック』、『猿の惑星』、『マダムと泥棒』、『カサブランカ』、『雨に唄えば』の12作品
0477池上(やわらか銀行)
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2016/09/21(水) 19:57:29.91ID:DzvFbKLw
“関西風味ハードボイルドの大傑作”というコピーの黒川博行の『疫病神』(新潮社一八〇〇円)も、僕には脆弱に映る。直本賞候補になった短篇集『カウント・プラン』(文藝春秋
も凡作ばかりだったが(佳作になるはずのネタを揃えておきながら詰めが甘いからだ)、これは今回も同じ。
産業廃棄物をめぐるヤクザ同士の複雑な戦いに巻き込まれた建設コンサルタントの二宮。錯綜した事件の背景とそこから浮かび上がる巨悪の構図。そこでの苦闘をじっくり描きこめば傑作になっただろうに、作者は易きにつく。
主に二宮と相棒の桑原との会話で物語をつないでいくからである。その会話は掛け合い漫才に似て笑わせてくれるが、しかしそれは会話の面白さであって対立する性格のそれではない。花村萬月ならやくざの何気ない仕種からも不気味さを引き出すのに、
黒川はそれをしない。会話に淫して人物の性格など二の次なのである(だから行動に迫真性がない。主人公以外に魅力的な人物がいない)。ラジオ・ドラマの良き原作といった程度だろう。
0478名無シネマさん(家)
垢版 |
2016/09/22(木) 23:35:05.61ID:HoHKvhqD
>>464
いちいち的確だから腹が立つなw

浅田さんは『イワン雷帝』はどう評するのかなあ。言うところの「シリアス」な日本映画っぽいと思うのだが。

某政治家は置いておいて(といっても自分も重ねて観てしまうが)ああいう“鈍重な”映画が好きな人も、洋の東西問わず一定数いると思うんだよな。
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