最近 GYBE やら MONO やらを聴き直して、カタルシスの為の構築って条件に訳注を付け加えるか若干改変しなきゃなんないのに気が付いた

基本的にほぼ同じパートを反復延長しながら、少しずつ音の種類を増やしたりエフェクトを厚くしていってエンディングにかけてテンポと音量を増していき、
最終的に音が「ワーン、グワーン」と鳴ってる状態でカタルシスを感じさせる(俺は感じませんけどw)タイプの楽曲ばかり作ってるそれらのバンドの楽曲のやってる事を「カタルシスの為の構築」にしちゃうのはダメだね

1984年作品なんで、もう三十七年も前に出されたあぶらだこの「翌日」の手法だけど、それを「構築」と言えばそうだし、それで「カタルシス」を感じると言われたらそうなるが、
異なるパートの接続や「伏線とその回収」「起承転結」の様な音の「ストーリー」の創造を「構築」と呼ぶべきで、
GYBE や MONO がやってるのは同一リズム・コンビネーションパートの単純な反復と音の加算による「グラデーション」でしかない

楽曲構成の妙であるパートの接続ではない、グラデーションの結果の『厚塗り』に感じるカタルシスは、ゴミ屋敷に見られるゴミの蓄積に感嘆するのと同様で、俺が言う「構築」にはあたらない

なので、「同じパートの反復や、そこに音やエフェクトやテンポの『加算』を基調とする『構築』は含まない」と加えておくか



>>522
主観的感覚的な「分かりやすいメロディ」という条件ならば、どちらにも当て嵌められるでしょ