>>543
ホイミンやケケケからナニかを掘り出そうなんて考えてないよ

弄って遊ぶだけw

古本屋バイトは馬鹿臭いんで相手にしたくないんだけど♪


>>523
寝る前に思い出したんで・・・

>楽曲構成の妙であるパートの接続ではない、グラデーションの結果の『厚塗り』に感じるカタルシスは、ゴミ屋敷に見られるゴミの蓄積に感嘆するのと同様で、俺が言う「構築」にはあたらない


コレ、音やエフェクトのテンポの加算による厚塗りは「構築」にあたらないってハナシなんだけど、
例えばゴミ屋敷のビニール袋や弁当のガラや空き缶ペットボトルやらが積み重なって、ヒトの顔に見えたりするのと同様で、
ビニール袋や弁当のガラや空き缶でヒトの顔の様に見える模様を形造るのは簡単でしょ?

それが、アンチボルドの絵画やRドーキンスの「ブラインド・ウォッチメイカー」(この学説は最近確率的に不可能だって否定されてるね)みたいなハナシならば全然変わってくる

ギターの主旋律に、それを邪魔しない音を足したりそれっぽくエフェクトを強めたりして「らしさ」を損なわず「らしく」するのは前者

アンチボルドやブラインド・ウォッチメイカーの果物やアミノ酸や塩基と同様に楽曲の中の音やパートに意味が有るっていうのは、
その音やパートがその前後の音やパートや楽曲全体の中で有機的に接続されてる、その音そのパートでなければならない、という必然性をもって配置されてるという事

その様な音の構成がロック楽曲に於ける「カタルシスの為の構築」やダイナミズムの創出であって、ゴミでそれらしく形造られたヒトの顔の様な「貼り絵/ちぎり絵」とは違うってハナシ

その様な構築性の極地、ロックの真髄にたっしたのがユニヴェル・ゼロの UZED なんだけど、眠いので続きは明日♪