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【不細工歌下手】宇多田ヒカス【中古でゴミ同然】 [無断転載禁止]©2ch.net

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0001名無しの歌姫
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2017/09/19(火) 20:19:01.85ID:yZuVdCW30
お前は本場のR&Bを知らないから宇多田ごときが凄かったと勘違いしてるんだ
90年代にTLCの2ndが大ヒットして2000万枚以上売れただろ?
TLC聴いてりゃ宇多田なんて大したことねーよって事実に気付くだろ普通は(というかあんなの偽者R&B)
その後もデスチャやアリシアやネプチューンズなどが大ヒットしてR&Bが著しく進化して売上も最盛期だったあの頃に
宇多田ごときが成功するわけがないのは洋楽好きの間では周知の事実だったわ
まぁお前らみたいなJ-POP育ちには何の話かさっぱり分からんだろうけどな(笑)



あんな中途半端な歌唱力で本物気取りやがって天下のマライアと比べたら宇多田など素人のカラオケと同然で見苦しかったわ(笑)
0379名無しの歌姫
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2017/12/03(日) 16:39:58.34ID:ARHaOaAe0
まあまあ悔しいからって意味不明な御託並べるなってw
暇ならDLしてあげて捏造売り上げに貢献しなてあげなよ
0380名無しの歌姫
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2017/12/06(水) 22:58:05.59ID:/qG0JAR10
宇多田がまたかまって創作ツイートしてる…
0381ぎりぎりあっくん ◆19lqtCZK0E
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2017/12/06(水) 23:03:22.09ID:8onzmRZf0
新スレまだ?
0384名無しの歌姫
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2017/12/07(木) 12:30:43.23ID:Fmw/02rf0
脳内カラクリ妄想婆さん、相変わらず白痴すぎるね
特典無し1種1枚売りの宇多田の最新アルバムは既にCDだけで70万枚売れてます
そもそも定額DLし放題サービス各社に宇多田曲など含まれていません

そして宇多田のように所属歌手1名で、他業種展開のない個人事務所は
メジャーレーベルから発売した楽曲売上が収益の殆どで売上を誤魔化すことなどできません
また楽曲売上で得た収益の半分は税金でもっていかれます
売上に拘るなら特殊な形態で発売する有名歌手を心配するか
それが嫌なら違法スレ立てせずに別板アンチスレに帰って妄想連投をしなさいね
0386名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 07:44:18.52ID:M8LNHcGq0
脳内カラクリって自己紹介かよw
山口県のauひかりdionユーザー、LTEでIP切り替え
IDコロコロで自演で本スレまわしの方がよほど基地外
0387名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 07:48:27.57ID:M8LNHcGq0
ちなみに384の使用機種はiPhone
気に入らないレスがつくとファンもアンチだと勝手に決め付けて
自分が責められると自演で悪にしたてルールがどうとかアンチ発言がどうとか難癖つけて
追い出しにかかるのルーティンワークで本スレを私物化してる害悪だから
宇多田も一方的に好かれてあちこちで言ってもいない言葉を言ったなど嘘つかれたりでストーキングに大迷惑
0388名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 08:28:17.11ID:2MLiYVsL0
宇多田曲が定額DLし放題と嘘を語ってアンチスレを紹介した挙句
指摘されたら妄想敵に逆ギレしてアンチではないと言い出す?
邦ソロ規約まで破って本スレ板に粘着せずにアンチスレ板に帰れという結論な
0389名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 09:21:36.55ID:dg2/m/gp0
山口の宇多田ストーカーはまたIDコロコロで朝から張り付いて擁護してんなあ
実際売れてたら今年の売り上げにだって反映されてるはずなのに全くカスリもしてないじゃんか
信者なら察してあげろよw
0390名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 10:51:06.51ID:YEcGshTC0
自己紹介がすぎる
板ルールすら守れずに本スレに貼りついく定額婆はアンチ板で好きなだけ糖質妄想を書いてこいよ
0391名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 19:09:05.51ID:PGg9Y91t0
山口さん、同じ人間があちこちのスレで連投、自作自演装った書き込み、コピペも荒らし行為でローカルどころかネットでのマナー、ルール違反ですよ?
ここもIPは管理されてるしあんたのIPは全てわかってるんだから通報されたら二度と書き込めなくなるのはあんただよ
本スレの過去ログとかのあんたの荒らし行為、アンチの100倍酷いから
0392名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 19:47:35.76ID:d+BDAoi+0
アンチスレで自演連投しても人稲だから違反スレ来て、定額?アルバムが全く売なかった妄想にすがる自称ファン
アンチの自分以外に宇多田関連スレに来るのは仮想敵1人しかいないと思ってる自称ファン

アンチスレ立て厳禁板で宇多田叩いて批判されたらIP山口といいながらIDコロコロしてる自称ファン
0393名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 20:52:35.81ID:EDDHt+OW0
うん、こういうのが↑いるから宇多田のファン減ったんだと確信
こいつさ自分が全く同じ事を繰り返し連投してるのにIDが変わってると言うありえない現象で
自演、同一人物視されてるのに全く気づいてないんだね
0394名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 20:59:22.47ID:EDDHt+OW0
しかも定額ダウンロードにしつこく物申したいようだが
公式で配信ダウンロード数と言ってるわけだからこれは覆しようない事実で売上実数ではない
0395名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 20:59:54.48ID:c/r9j4U20
要するに邦女板スレを荒らして宇多田叩きながらアンチスレ往復する奴が
この邦女板で自由に叩かせてくれない本スレ民の1人に発狂して闘ってるという紹介だな
板の規定を遵守して、アンチスレ板と住み分けする事ができない理由はなに?
0396名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 21:44:41.65ID:HOdTRIAW0
逆に大嘘ついてまでここのスレのみ執拗に監視して執着するのはなぜ?
過疎スレに爆弾投下して存続させてるのあんただよ?
こういう事やってたらお前と同じ事、要するに本スレにアンチスレと本スレ避難所への誘導を執拗にやるけどいいのか
0397名無しの歌姫
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2017/12/09(土) 21:56:34.89ID:ORMuzrPs0
まず邦女板はどんなに多い歌手スレでも述べ数十人しか来ていません
もしスレ民がファンを辞めて売上が数枚減っても売上全体からすれば取るに足りません
数少ないスレ民が迷惑する位で、邦女板に宇多田スレが有っても無くてもファン数も変わりません 

それから去年の宇多田のオリアル曲はCD売上は1種で70万枚突破、定額DL除外曲なので個別DL購入です
数万枚しか売れないはずだと言って叩くのは好きにすればいいですが
叩きしかせずファンを名乗って居座るのは迷惑で時間の無駄でしょう

この板の規約どおりに邦女板から出て、アンチ板と住み分けできない理由は何ですか?
0398名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 22:04:07.57ID:iq4Bk8UL0
はい、また大嘘↑
保身のための嘘を根拠もないのに平然とつく
そんな売れてたら三分の一以下の売上の星野より話題になってるだろう
なぜならない?????

したらば避難所で自演がばれて引っ込んでもここでも丸見えですよw
0399名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 22:06:27.57ID:ORMuzrPs0
IDコロコロ即レスだね

要は本スレで叩き連投を止めさせるのは1人だけ、他は宇多田を叩きたいファンが大量にいると激怒してるんだね
アンチスレ立て厳禁と板トップページに書いてあるんだから守らないのは非常識な人だけ
宇多田叩きたい人ばかりなら避難所やアンチスレでも1人以外の全員で移ろうよ
0400ぎりぎりあっくん ◆19lqtCZK0E
垢版 |
2017/12/09(土) 22:07:03.42ID:PZNyo5uU0
ヒカル痩せたなぁ。
0401名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 22:24:13.00ID:XSMGrhsT0
個別購入だなんてどこにも発表されてない
そんな発表するアーティストは殆どおらずでよくやる商法じゃん
100万ダウンロードとかの裏は全部そんなんだし
やっぱりまずい事実を嘘に仕立てるのは本当だったね
こうやってどんどん事実が明るみに出ないように都合よくなるように嘘をついている証拠が5チャン上に増えている
この信者の愚行は拡散しなきゃいかんな
0402名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 22:43:27.17ID:7jxyaWPx0
宇多田アルバム売上は70万枚だけど、自分の周りで星野源より話題にならずメディアに出てないから
数万しか売れてないのは間違いない?は?どんなアンチ脳なんだよw

まず星野源は業界最大手で音楽以外の幅広い事業展開をする上場企業に所属する歌手

宇多田は所属歌手1人で、宇多田マネージメント以外の業務のない個人事務所で6年も休業中
アルバム1枚の売上30億円と所得税など捻出など資金などない
もし宇多田家の全財産はたいてCD買って路頭に迷う位なら復帰作は出さずに30億円使って暮らすだろう

全国各地のCDショップのレジを自動集計したCD売上が各社から発表されてるので
もし全国回って70万枚もの大量のCDを宇多田事務所がどうやって買い集めてどこに保管するか考えても無理

もし少しでも売上を伸ばしたいならイベント応募ID封入や曲違いやDVDの複数盤など
今は色んな売り方があるけど何もせずにCD1枚で発売しただけしかしていない し
想定以上に売れただけ

ありえない売上妄想を書いてIPが透視できると書いてたら頭がおかしいと思われるので
少し冷静に考えるか、それが出来ないなら突っ込まれない板から出ない方がいいですよ
0403名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 23:06:32.18ID:XSMGrhsT0
はいはい嘘はいいから
誰からも気にされてないヒット曲があるなら教えてくれw
0404名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 23:24:47.66ID:ec6s3MFe0
いくら金持ちの宇多田でも個人資産30億円だしてアルバム買って活動再開したと本気で思ってるなら笑うね
そんな妄想叩きで私は本スレ板から追い出された宇多田ファンだと
単発IDで複数人が言ってるテイなら池沼揃い、妄想スレから出てくんなよ
0405名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 23:25:12.05ID:o6vS1Au/0
嘘っていうより長文でID変えて自演してまで否定して。そこまで焦る内容なんだね
売上とかこのSNSで広がってるかどうかが重要なご時世に何の武器になると言うのか
捏造して売れてる事にただしても世間の空気だったら意味がない
宇多田は売れてようが売れていまいがもういつかのような勢いはないから痛いファンが1人でもいると目立つよ
マジレスするけど本当に好きなら足引っ張るのはやめよう
アンチは言わせとけってやってないと本当に潰れるよ
0406名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 23:31:06.51ID:ec6s3MFe0
宇多田に30億円も貯金があって、誰かが全国回ってアルバム買って全部使って今は一文無し?
幼い子供もいるのにそれは凄いね
どんどん拡散してきてwww
0407名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/09(土) 23:52:53.02ID:qoWJPOPX0
宇多田ファンだけど自分は宇多田にたいして?とおもえばアンチ意見に同意するタイプだからあえて物申すけど宇多田の歌詞集恵比寿で今日見てきたんだけど買うつもりだったんだけどあまりにつまらなくて買うのやめたよ。
0408名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 00:03:37.56ID:BH8GUEd+0
こんな違法スレでファンだと言い張るほど行く場所も話し相手もないのか
何千万人が使ってるSNSならまだしも、こんな板に張り付いても
世間に1ミリも影響ないんだから、自分で立てたスレ帰ろうな
0409名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 00:09:05.99ID:keCg5SUA0
もう何言っても無駄なのかね、まともなファンがそりゃ本スレにいつかずにこの人のアンチスレ作るわけだ
アンチスレの方が本スレみたい
普通はファン同士結託するのに宇多田はこいつに潰されて終了ですかね
ネットしか今や生き残るすべがないのにこんなのが匿名性強い場所でこんな独裁的な自治してたら

>>407 自分も同じですが歌詞については初期から軽すぎて重視してませんでした
今はとにかく曲がクソ
0410名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 00:57:35.65ID:EPeST0eU0
だからアンチスレか避難所いけよ
嫌いになったとか言い出す明らかなアンチじゃなければ本スレいけよ
歌手の本スレ1本だけの厳格なルールがある板なのに何年もスレ乱立させてるだろ
どうしてもこの板で叩きたいと違反スレに張り付くなんか、ガイジ扱いされて当然な
0411名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 01:13:12.61ID:ymYgwhNU0
ここがアンチスレだけど頭おかしいの?
お前が住み分けできてなくて矛盾してるのわかってるんか?
あとさあドヤ顔で毎回ルールどうのこうのとさ?
あくまでローカルルールであって絶対じゃないんだよ
だから今までほぼ削除されてない(のに削除したと大ボラ吹いたよな?お前)
あと過疎板のローカルルール程度で5ch運営陣が削除してたら人がいなくなるから
そもそも重複スレ禁止などは一時期のスレ乱立からのサーバー負荷を恐れての措置で出来たローカルルール。今のこの板には不必要なルールなんだよ
だいたいお前が自分で言ってるじゃん
「邦楽女性ソロ板には人がきていない」ってな?
自分で言っててその意味に気付いてないのか?
しかしまー宇多田の全盛期時代から時間止まっちゃってる人もまだいるんだね〜
おまけに思慮が浅くて嘘つきで間抜け
ファンは鏡とはよく言うよ。宇多田にそっくり
0412名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 01:20:29.54ID:s4Pymciz0
板の基本ルールすら守らずに何年間もスレ立て続けてる荒らし
本スレを追い出されても、このスレに居座る人も荒らしキチガイ認定れされます


>2ちゃん運営規約で、邦楽ソロ女板は歌手1人あたり1スレ
本スレしか立てられないとルール規定されているので板トップの説明を一読ください
邦楽ソロ板はアンチスレや噂スレ等を個別に立てるのも厳禁が大原則です

ここに書き込みのは全て違法行為の荒らしですので音楽サロン板など
スレ立て可能な該当板に移動してください


叩き荒らし目的やスレ潰し目的ではない人は本スレへどうぞ
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/musicjf/1486880599/


>【邦楽(ソロ女)@2ch掲示板】


>■邦楽(ソロ女)板は、現在ソロで活動している国内女性アーティスト
>(専門板※があるアーティストを除く)の情報のうち、 本スレのみを扱う板です。


>■誘導案内
>アーティストのネタ・妄想・雑談・アンチ等は邦楽サロン板へ。
>ジャンルが特定出来るものや専門板のあるものは【総合案内&自治】を参考に各板へ。


>■禁止事項
>1アーティストにつき1スレまで!!!
>話題ごとに別スレッドを立てるのは禁止。
>アーティストの叩き・中傷目的で個別にアンチスレを立てないで下さい。
0413名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 01:20:55.81ID:TtLx38p10
ここを荒らすんなら同様に本スレ荒らしまくるからな
覚悟しとけクソが
お前のせいで何年も続いた避難所潰れた事がまだわからんのかクズが
0414名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 01:30:13.85ID:s4Pymciz0
避難所立て直せよ
板ルールすら守れないゴミクズ
0415名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 01:36:18.05ID:gQ3WMK4Z0
避難所あるじゃんw
ここ荒らすならって?
違法スレ立てアンチスレで宇多田を叩かせろと言ってる基地外か
まさかアンチスレで粘着して宇多田叩いてる屑のくせにファンの避難所いって
スレ潰したことまで有るとはな

宇多田叩いて、どうしても違法スレから離れられないっめ発達障害アスペかよ
0416名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 02:19:14.29ID:+amsb5+H0
>>413
こいつ避難所潰し前からやってたんだね?
本スレにしたらばの本スレ避難所とアンチの避難所のURLしょっちゅう貼って誘導しましょうかね
本スレ巣食う害悪が誰かなどがしたらばの各スレにあるし
したらばの本スレ避難所を荒らした証拠もバッチリ残ってます

それよりこいつ違法スレとかおかしなこと言ってるけど何言ってるか全然わかんない
ガイジとか発達とか言ってる本人がまさにそれにしか見えないって突っ込まれるの待ってんのかなw
0417名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/10(日) 02:25:35.91ID:/E8d8SIW0
狂った妄想で叩く人に同調もしくは自演擁護して宇多田ファンを名乗られてもな
アンチスレ禁止板で、別板に移動を促す人に噛み付いて叩きまくってファンもクソもない
宇多田が好きなら本スレか避難所、叩きまくりたいなら別板アンチスレに行け
宇多田叩きしないと生きていけない暇人でも板の規定くらい読めるだろ
0418ぎりぎりあっくん ◆19lqtCZK0E
垢版 |
2017/12/10(日) 20:01:41.29ID:dKwAt/L00
本スレ立てないの?どなーたぁー!
0419名無しの歌姫
垢版 |
2017/12/11(月) 00:31:32.93ID:HDqSOdux0
あっくんは京浜東北線と埼京線どっちをよく使うの?
やっぱり車文化だから電車は乗らないよね
0421名無しの歌姫
垢版 |
2018/01/02(火) 22:59:36.98ID:rWYGjkj20
邦楽もおもしろいけど、小遣い稼ぎの方法とか

グーグル検索⇒『増田のセンジョイウツツノ』

9HF7CXXCJU
0423名無しの歌姫
垢版 |
2018/01/29(月) 22:06:17.96ID:Dt5v6Qnp0
宇多田も才能枯れたな
0424名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:50:52.75ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0425名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:51:08.30ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0426名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:51:23.52ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0427名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:51:38.74ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0428名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:51:53.95ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0432名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:53:13.50ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0433名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:53:28.57ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0434名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:53:43.73ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0436名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:54:32.12ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0441名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:55:47.92ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0442名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:56:03.17ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0443名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:56:18.42ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0444名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:56:33.46ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0445名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:56:48.66ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0446名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:57:03.84ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0451名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:58:19.54ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0452名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 18:58:34.71ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0453名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:58:50.00ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0454名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:59:05.26ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0455名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:59:20.44ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0456名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 18:59:35.50ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0461名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 19:00:51.21ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0462名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 19:01:06.52ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0463名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 19:01:21.67ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0464名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 19:01:36.85ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
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2018/03/31(土) 19:01:51.89ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0466名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 19:02:07.25ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0470名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 19:03:07.56ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0472名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 19:03:38.08ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
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当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
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その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0473名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 19:03:53.36ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0474名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 19:04:08.68ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0475名無しの歌姫
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2018/03/31(土) 19:04:23.91ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
0476名無しの歌姫
垢版 |
2018/03/31(土) 19:04:39.18ID:0cBElySa0
シーズンのはじまりはいつでも高揚感を伴うものだが、2018年のイチローの歩みが、楽しみでならない。
開幕前日。「9番・左翼」での開幕スタメンをスコット・サービス監督が発表した。
指揮官は右ふくらはぎを痛めたことや頭部死球を受けたことを振り返り、イチローの今キャンプを「クレイジー」と表現した上でこう続けた。
「最後の2日間で右ふくらはぎの状態が大丈夫であることを示してくれた。9番打者として、チームにさまざまな貢献をしてくれるはずだ」
実は、イチローには“もしや”の不安があった。それは“自分は開幕ロースターに入れるのだろうか”ということだった。
首脳陣は最後の最後まで2つの選択肢を持っていた。
右ふくらはぎに不安を抱えるイチローを登録するか、それともイチローをロースターから外し、内外野を守れるユーティリティーのテイラー・モッターにするか。
首脳陣がその決断を下したのは28日午前。イチローに伝えられたのは、外野守備練習中のことだった。
指揮官から直接聞かされたその吉報に、44歳のメジャーリーガーは何を感じたか。
率直に訊ねると、彼は喜びを隠すことなく表現した。
「まず、ここ、セーフコフィールドに立つことが大きな目標でしたから。途中からは。こんなギフトがあるなんて思いもよらなかったですから。
いやーもうー、なかなかこう言う気持ちになることはない。アメリカでは少なくともなかった。ここまで我慢してくれて、最終的にこの判断をしてくれた。
(キャンプの)途中から入ってきて、ケガをして、の選手に対する扱いではないですからね、これは。
当時、仰木監督がそういう思いにさせてくれたんですけど、20歳の時ね、僕が。それに近い感覚がある、この判断は。びっくりしました」
聞き手として、心が動かされるような言葉だった。
イチローが思い起こした20歳の時の出来事。それはイチローが210安打を放ち、旋風を巻き起こした1994年シーズンのこと。
開幕してすぐ、オリックスが福岡遠征でダイエー(当時)に負けたある試合後のことだった。イチローは、そのときの光景をこう振り返る。
「帰りのバスの中は、負けたので真っ暗なんですね、空気が。僕も空気を読むじゃないですか。
同じように頭を下げて行ったら、監督がバスを降りた時に『イチロー、お前なに下を向いているんだ。ヒット1本、二塁打打って、お前はそれでいいんだ』って、
『勝ち負けは俺が責任とるから、選手は自分のやることをちゃんとやれ!』って、言われたんです、20歳の時に。
その時にこの人のために頑張りたいと思った。芽生えたんですね。
当時はレギュラーで1年目のシーズンなので、自分のことを考えてやるのが精一杯じゃないですか、当然ですよね。
でもチームのために頑張れというのじゃなくて、自分のために頑張れって、なかなか言えることじゃないですよね。
しかもこれからっていう選手に対して。それですごく心が動いた記憶が鮮明にあるんですよ。
それとはもちろん違いますけど、心が動いたと言う意味では(今回のことは)似ていますね」
シーズン210安打を放ち、大ブレークを果たした1994年のイチロー。
やがて世界歴代最多の4356安打の放つことになるその背中を後押しした故・仰木監督の「らしい」言葉を思い出させた、マリナーズ首脳陣の計らい。
サービス監督はこう言った。
「我々は選手を信じなければいけないんだ」
故・仰木彬氏には筆者も、伝説となった1988年10月19日の「川崎球場の激闘」を取材して以来、'05年12月15日に他界するまでメディアの1人として深く関わらせていただいた。
サービス監督の言葉を聞き、私もまた、お世話になった仰木監督のことを思い起こしていた。
首脳陣だけでなくセーフコフィールドのスタッフも、凱旋を温かく迎え入れている。
クラブハウスのロッカーは、6年前と同じ場所。“いつもの場所”でグラブを磨くイチローの表情は実に生き生きとしていた。
「本当、アメリカ人にも粋と言う概念がね、ないと思っていたけど、ちょっとあるかもねって、思ってしまいました」
自宅から通える環境を「最高っす」と喜んだイチロー。開幕スタメンは2013年4月1日、ヤンキース在籍時以来1823日ぶり。
セーフコフィールドに限れば2008年3月31日のレンジャース戦以来3650日ぶりとなる。
また、44歳5カ月での開幕スタメンは1998年に日本ハムに在籍した落合博満の44歳3カ月を上回り、日本人最高齢記録となった。
常に歴史を作り、日々更新していく背番号51の2018年が、いよいよ始まった。
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