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「つらの憎い子を まな板にのせて 青菜切るよに ザクザクと…切ってきざんで 油で揚げて 道の四辻に ともしおくよ」

昔、日本にこの様な「子守歌」があったという。「恐ろしい子守歌」だ。もしかしたら赤ん坊はこの様な子守歌を聞いておびえて寝ついただろう。<仮面の中の日本人、キム・ギ著>

日本には悪い「風習」があった。赤ん坊を殺害する悪い風習だ。その「殺人方法」がぞっとする。「田舎の貧しい人々に子供が多いことは、すぐ生計の負担になった。彼らは子供を産む時、子供の口をふさいでお尻を押して圧死させたり、腹の中にいる時、飲み薬や座薬を利用して堕胎することがあったが、これを「子供送りかえす」または「間引きする」といった。

その方法は主に圧殺・餓死・窒息死などだった。母親が腰、お尻、膝で殺したり胸で押し殺した。または、臼や槌で打ち殺すこともあった。「窒息死」させる場合は母親が乳児の口と鼻にぬれた紙を付けて口にぞうきんをいれた。主に家長の判断により母親が殺し時には産婆も加担した。産婆に依頼する時は高額の礼金まで渡した。この様な事をする産婆を「鬼婆(グィバ)」または「子供刺す婆」等と呼んだ.…<常識外れの日本史、アン・ジョンファン著>

日本の人々は赤ん坊をこのように残忍に「間引き」した。その対象は主に「女の子」であった。理由は様々あったが、暮らしが苦しいためだった。赤ん坊を育てること自体が難しいだけでなく、家族全体の生計も困るようになるからだった。「口」を一つでも減らしたかったのだ。「間引き」は日本の人口がほとんど増えなかった程、盛んに行われた。1726年、日本で初めて人口調査が行われた時、2655万人だった人口が1828年の調査では2720万人だった。100年間でせいぜい60万人余りの増加だ。新生児を捨てる寺まであった。子供を育てなかったので「生産人口」も増えなかった。

この「間引き」に似たことが大韓民国で広がっている。忘れた頃に赤ん坊を捨てて殺害する事件が発生するのだ。報道によれば、去る17日、釜山(プサン)の家庭冷蔵庫で赤ん坊の死体2体が発見された。ある赤ん坊は昨年1月、また、ある赤ん坊は3年前に生まれた赤ん坊だという。

仁川(インチョン)では女子高生が家で赤ん坊を産んだ後、ビニール袋に入れてベランダに捨てて亡くならせた。女子高生は「先輩との間で子を持った」という。京畿道(キョンギド)安山(アンサン)では20代女性が赤ん坊の死体をゴミ袋に入れて多世代住宅の屋上に捨てていた。生後2カ月なる息子だった。生後6カ月になった赤ん坊の「厄運を払う儀式」をして亡くなりそうにした30代のママもいた。赤ん坊の死体を山で焼いた後、捨てたという。4年間に赤ん坊3人を捨てた「常習間引き」するの人もいた。20代のママが病院で赤ん坊を産んだ後、3回も消えてしまったのだ。結局、懲役刑を宣告された。

最近の報道だけでもこれだけある。21世紀の大韓民国は18〜19世紀の日本に似ているのか。

イ・ジョンソン論説委員兼選任記者

ソース:アジアタイムズ(韓国語) 「恐ろしい子守歌「[イ・ジョンソンのカチルトーク]
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