日本には、数えきれないほどの「ことわざ」が存在する。それは、代々の日本人が蓄積してきた知恵の結晶というべきものであり、その1つ1つを見てみると結構奥が深い。そして、「尻」やら「クソ」やら、俗っぽいものが多いことに気づく。堅苦しいものよりも、俗っぽい方が庶民としては覚えやすいからだろうか。
 
 中国メディア・今日頭条は27日「よくよく考えるととても恐ろしい日本のことわざ」と題した文章を掲載した。文章は「日本のことわざは多くが中国の故事から来たものだが、その一方で、日本本土で生まれたことわざもある。ことわざは内容を分かりやすくするために比喩が用いられているのだが、それゆえにしばしば誤解を招くこともある。しかも、一部のことわざは、その場面を想像すると極めて恐ろしい、直視できない光景になるのだ」としたうえで、日本のことわざをいくつか紹介している。
 
 まずは「猫の額ほどの狭さ」だ。何かと狭い場所の多い日本では今でもよく使われる代表的なことわざだが、猫の額を比喩に用いるところに、猫好きが多いことで知られる日本らしさを感じたようだ。中国では狭い場所を「弾丸の地」と表現することが多いが、弾丸よりも猫のほうが愛嬌があるではないか。
 
 次に挙げたのは「青菜に塩」。これも怖いというより、その比喩センスに感心しているといった趣である。想像した時のグロテスクさという意味では「ナメクジに塩」のほうが勝っているように思える。
 
 ここからが「想像すると怖いことわざ」の本番だ。1つ目は「爪の垢を煎じて飲む」を挙げた。「あらゆる手段を尽くしてでも優秀な人により近づく努力をせよ、という意味だが、あまりにも不衛生すぎる」とのことである。2つ目に挙げたのは「あんころ餅で尻を叩かれる」。思いがけずウマい話が舞い込んでくることの例えだが、確かにシュールな光景だ。
 
 文章はさらに「クソも味噌も一緒」、「泣く子に唐辛子」ということわざを取り上げて、想像した時の恐ろしさについて説明している。「泣く子に唐辛子」はあまり見聞きしないことわざだが、泣く子に唐辛子を与えればその怖さにピタリと黙るという意味のようだ。その荒療治っぷりは、想像すると確かに怖い。(編集担当:今関忠馬)


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2017-06-29 15:12