関東大震災朝鮮の混乱の中で、朝鮮人が暴れてるというデマから朝鮮人虐殺があったと在日は日本人を非難します

工藤美代子著、『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』で、著者はこのような(在日のうそ)定説に異議を唱え、
震災時に暴徒化した一部の朝鮮人が暴行や略奪、放火を行ったのは事実であると主張しています。
☆ 朝鮮人殺害は正当防衛だった
朝鮮人がまず最初に暴徒化したのは、震源地に近く、被害が格別、甚大だった横浜で、
地震により警察組織が機能不全に陥ったことをよいことに、不逞鮮人と呼ばれた朝鮮人の不満分子が徒党を組み、
略奪を欲しいままにし、日本人婦女を暴行してまわったといいます。
この不逞鮮人の集団は、暴行、略奪を繰り返しながら、多摩川を越えて、東京西部に侵入してくるのですが、
東京では震災直後から火事場泥棒など震災のどさくさに紛れて悪事を働く人間を取り締まるために
各町内ごとに自警団が組織されていて、これら自警団が暴徒となって襲ってくる朝鮮人の集団を迎え撃ち、
その結果として殺害される朝鮮人が出ました。
【書籍】「実は朝鮮人がテロリストだった」〜『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』工藤美代子著★5[12/20]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1261329741/

 『少なくとも横浜〜品川において朝鮮人による暴動破壊活動は有った』
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横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、暴れまわって婦女を強姦していた
という事実を追求して行くとこの騒動の実態が見えると思われます。
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☆関東大震災の(在日)朝鮮人による日本人大虐殺
◇鮮人一味 上水道に毒を散布 ◇囚人三百名脱獄し鮮人と共に大暴状(下越新報 大正12年9月3日)
◇不逞鮮人益々広大 不逞鮮人300余名が手に手に爆弾を携え、之を投じ、或いは放火し…
◇全暴徒の一隊が爆弾を投じ放火せりを目撃(庄内新報(号外) 九月三日)

「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」 (小樽新聞 大正12年9月3日号外第一)
「朝鮮人、各所暴動検束数千名」 (小樽新聞 大正12年9月3日号外第三)
「朝鮮人、横浜〜王子放火」(大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外)
「朝鮮人、爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」(荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報)
「朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」(新愛知 大正12年9月4日号外)
「朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」(名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二)
「朝鮮人、殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」(福岡日日新聞 大正12年9月4日号外)
「朝鮮人、爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」 (小樽新聞 大正12年9月4日号外第一)
「朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。軍隊が治安維持に出動したため、不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ」
(九州日報 大正12年9月4日号外第三)
「朝鮮人暴挙は完全取締を遂行」(大阪毎日新聞 大正12年9月4日号外第二)
関東の地震なのに、報道は地方のものばかり、とお気付きになられる方もおいでのことと思います。
大正時代のことです。 当時、新聞社は、東京に一局集中していました。
この頃の新聞は、活版印刷といって、一文字ずつ文字を手作業で拾って並べて新聞紙の印刷をしています。
東京にあった新聞社は、ことごとくこの活版印刷のための活字ケースが地震発生によって倒れ、活字が散乱し、
印刷機能が停止してしまい。さらに大火によって東京日日新聞・報知新聞・都新聞を除く13社がすべて焼失した。