平成29年もあっという間に半ばを過ぎ、8月を迎える。北朝鮮による拉致問題は膠着(こうちゃく)したまま、拉致被害者、日本で帰りを待つ家族は共に、さらに年を重ねた。今年は政府が認定する中で最も古い昭和52年9月に発生した久米裕さん(92)=拉致当時(52)=の拉致事件から40年目にあたる。

 松本京子さん(68)=同(29)=や横田めぐみさん(52)=同(13)=も拉致されてから40年となる。「なぜ救えないのか」。長年、重すぎる現実に悲痛な思いで向き合ってきた家族に残された時間は限られている。朝鮮半島で軍事的緊張も高まる中、救出への道筋は見いだせるのか。(社会部 中村昌史)

早紀江さんの問いかけに学生は… 長期化がもたらす新たな懸念

 「日本はとても平和で、自由もある素晴らしい国だと思います。ただ、拉致問題を解決できず、本当に平和といえるのでしょうか」

 7月25日、東京・永田町。横田めぐみさんの母、早紀江さん(81)は、大学生らのために開かれた講話で、静かに語りかけていた。

 昭和52年11月15日、めぐみさんが行方不明になってから、北朝鮮による拉致だったという事実を知るまで20年間、苦しみ抜いた。めぐみさんが北朝鮮にいると分かった平成9年、全国の拉致被害者家族とともに、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)を結成し救出運動を始めた。

 14年には日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認め、蓮池薫さん(59)ら被害者5人が帰国したが、北朝鮮はめぐみさんを「死亡」と説明。不自然で曖昧な説明に終始し、めぐみさんの「遺骨」として他人の骨まで提出してきた。

 そして今年、めぐみさん拉致から40年がたってしまう。「めぐみちゃんは絶対生きていると信じてきた」。慢性的なのどの不調でかすれる声を振り絞り、早紀江さんは思いを伝えていた。

 この日、集まったのは医療系の大学生らによる「交響楽団はやぶさ」のメンバーで、バイオリニストの五嶋龍氏が拉致問題啓発へ開催するチャリティーコンサート「プロジェクトR」で演奏に参加する若い学生たちだった。拉致問題を幼少時の“実体験”として、かろうじて知る世代だ。

 「タラップから5人が降りてくるニュースを見たのは小学生のときだった」。学生の1人はこう振り返った。14年10月15日、拉致被害者が飛行機で羽田空港に降り立ち、帰国を果たした瞬間のことだ。「あのときは、日本全体が動いているように感じた」

 一方、別の女子学生はこう話した。「私たちは拉致問題の記憶があるが、今の高校生や小中学生は印象さえないはず。忘れられる危機感を覚えた」。風化への懸念。早紀江さんとの出会いを通して、学生たちは被害者家族の多くがたびたび口にする危惧と同じ思いを抱いていた。

 高齢に加え、夫の滋さん(84)の体調が優れないこともあり、早紀江さんの講演の機会は激減した。若い学生の姿を見つめながら「めぐみも音楽が大好きだった。とても懐かしい思いを感じます」と話し、思いを託すようにこう続けた。

 「日本全国で1300回も講演して思いを伝えてきました。でも、めぐみたちはまだ帰国できません。政府はなぜ動けないのか…。非常に苦しい思いです」

「毎日が節目」の家族 待ちわびた再会は実現するのか

 家族会と、拉致問題の解決に取り組む「救う会」は2月、新たな運動方針で「政府は拉致問題を最優先とし、今年中にすべての被害者を救出せよ」と訴えた。

 初めて時期を区切って救出を求める方針を打ち出すとともに、全被害者帰国の「見返り」に独自制裁解除などの“条件”を示し、北朝鮮の具体的対応を引き出す実質的協議を求めた。

 踏み込んだ方針の背景には、老いや病に直面し、拉致被害者との再会まで時間が限られた家族の厳しい現実がある。家族会結成から20年。当初から参加した家族はさらに高齢化した。その間、政権交代もあり、首相や拉致問題担当相が替わるたび繰り返し、必死に救出を訴えてきた。

http://www.sankei.com/world/news/170729/wor1707290005-n1.html

>>2以降に続く)

http://www.sankei.com/images/news/170729/wor1707290005-p2.jpg