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2017/08/02(水) 02:34:52.94ID:CAP_USER東京五輪・パラリンピックの開催まで3年を切ったが、1964年10月に開かれた最初の東京五輪から話を始めたい。
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日本と世界の人々が、アジアで初の東京五輪に沸いていた最中に、冷や水を浴びせた国がある。
台湾問題を理由に五輪をボイコットしていた中華人民共和国だ。
新疆ウイグル自治区で同年10月16日、初の核実験を行ったのである。
隣国で「平和の祭典」が開かれている最中に核実験をぶつけなくてもいいと思われるが、先の大戦から復興し、平和の祭典を開いた日本への妬みもあったのだろう。
かの国の了見の狭さは、昔も今も変わらないようだ。
「中共、初の原爆実験に成功」「“力の道”選んだ中共」
産経新聞の翌17日付朝刊1面の見出しの一部である。
中国は核戦力を強化し、いずれ日本を攻撃できるようになる。池田勇人内閣は、国民の動揺を防ごうとした。核実験に「厳重に抗議」し、「日米安保条約が現存しているかぎり、わが国にはなんの影響も、危険もありえない」とする官房長官談話を発表した。
しかし、この後、日本政府は中国の脅威にどのように備えるかを意識せざるを得なくなる。
3カ月後の65年1月のことだ。
首相になって初めて訪米した佐藤栄作は、米国防長官のマクナマラと会談し、日本は核兵器の開発・保有をしないと伝えた上で、「陸上への核兵器持ち込みには発言を気を付けてほしい。もちろん戦争になれば話は別で、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と要請した。
もし中国が戦争を仕掛けてくれば、通常兵器だけで攻撃してくる場合も含め、米国は核兵器を使って直ちに報復するよう、佐藤は要請したのである。
佐藤は核戦争を好んだわけではない。米国に、核兵器の先行使用を選択肢に含める態勢をとらせ、中国の侵略、暴発を抑止することを狙っていた。戦略的要請である。
実は、東西冷戦期には、その末期を除くほとんどの期間、欧州の自由陣営すなわち北大西洋条約機構(NATO)側は、通常兵力で圧倒的に優勢なソ連軍の侵略を防ぐため、ソ連軍よりも先に核兵器を使うことで対抗する戦略を立てていた。
このような態勢をとり、ソ連に侵略を断念させる抑止効果を狙ったのである。
佐藤の発想は欧州の自由陣営のそれと似ていたといえよう。米大統領ジョンソンとの首脳会談でも佐藤は「核の傘」の保証を認めさせている。
67年12月に非核三原則を表明した佐藤は、日本の防衛に米国の核戦力をどのように役立てるかの算段もしていたことになる。
究極の戦いに備えることで、日本の独立と国民の生命を守り、平和を保とうと努めたリーダーだった。
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日本政府は今も、日本の平和と安全を保つには核兵器が必要と考え、それを米国の核戦力で充てる政策をとっている。
自民党政権も民主党政権も、閣議決定した「国家安保戦略」や「防衛大綱」において「核兵器が存在する間は、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠」と明記してきたことから、それは分かる。
核兵器禁止条約が7月7日、122カ国の賛成で採択された。核兵器を保有する国は加わっておらず、実効性はない条約だ。日本も参加しなかった。
核兵器禁止条約に同調して、日本が米国の「核の傘」から出てしまえばどうなるか。中国、ロシア、北朝鮮の核兵器の脅威を前に無力極まる存在になりかねない。残念ながら、日本にとってこの条約は、平和に逆行しかねない危うい代物だ。
「平和の祭典」を控えた日本はむしろ、国民を守る「核の傘」あるいは核抑止力の有効性を確保するために、米国と話し合いを進めなければならない立場にある。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/170801/mca1708010500005-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/170801/mca1708010500005-n2.htm
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/170801/mca1708010500005-n3.htm