北朝鮮は7月28日深夜、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射し、北海道の奥尻島沖に着弾した。NHKが室蘭市内に設置した固定カメラが閃光(せんこう)をとらえていた。NHKはミサイルかどうか確認できないとしているが、位置と時間を考慮すれば、間違いあるまい。

 着弾海域の北には好漁場の「武蔵堆(たい)」があり、深夜はイカ漁の繁忙時間帯である。現場海域には第1管区海上保安本部(小樽市)が急行した。漁船への直撃もあり得た。豊穣(ほうじょう)の海であるはずの日本海が、きな臭い危険海域と化している。

◆ジャパン・シー

 日本海の中央に位置する「大和堆」へは北朝鮮の漁船が大挙して押し寄せ、日本の排他的経済水域(EEZ)で違法操業を繰り返した。

 日本漁船が集めたスルメイカを流し網で横取りするなど乱暴な行為が目立ち、周辺海域では水産庁の取締船が銃口を向けられたこともあった。

 7月上旬からは第9管区海上保安本部(新潟市)を中心とする海保の巡視船が違法漁船の取り締まりにあたり、8月8日時点で799隻を排除した。

 漁船の多くは老朽、小型のもので、1千トンクラスの海保の巡視船には対抗できない。ハングルなどによる電光板、拡声器での警告に応じて網を放置して逃げ出すのがほとんどだが、なかには、放水で退去を促すケースもあったようだ。

 「日本海(Japan Sea)」の、「大和堆(Yamato Bank)」である。その名称からも、必ず守りきってほしい海域である。

◆屈指の大漁場

 花村萬月は小説「永遠の島」の序章でこう書いている。

 《堆はその構造から魚介類の集合棲息場所であり、重要な漁場である。そのなかでも大和堆は武蔵堆や最上堆、あるいは壱岐堆といった漁場をしのぐ日本海屈指の大漁場であった》

 「堆」とは海底の浅くなった所を指し、大和堆は日本海の真ん中にそびえる長大な海底山脈である。最も浅い部分は水深236メートルしかない。

 昭和元年に海軍水路部の測量艦「大和」が精密測量を行い、艦名にちなんで大和堆と名付けられた。大和は、英国人、E・H・キルビーが設立した小野浜造船所で建造された汽帆兼用の鉄骨木皮スループ(巡洋艦)である。

 建造途中でキルビーが拳銃自殺(異説もある)したことから海軍が造船所を引き取り、明治20年に竣工(しゅんこう)した。

 ちなみにキルビーの下で造船技術を学んだ英国人、E・H・ハンターが独立し、後の日立造船へと発展を遂げる。

 大和の初代艦長は、後の海軍大将、東郷平八郎中佐だった。日清戦争では劉公島砲台の砲撃などに参加した。日露戦争でも第三艦隊で参戦し、35年からは測量任務に従事した。

 同型の姉妹艦「武蔵」は21年に横須賀造船所で竣工。大和同様、明治天皇が命名した。武蔵も日清戦争では旅順攻撃などに参加し、測量艦となって後は大正14年、北海道礼文島の南南西沖で武蔵堆を発見した。

 昭和10年に大和とともに海軍除籍となり、空いた艦名が、巨大戦艦「大和」「武蔵」に引き継がれる。「堆」には、そうした歴史もある。

◆一丁目一番地

 7月、本紙記者が新潟港で巡視船「だいせん」(舞鶴海保、3100トン)、「しきね」(下田海保、1300トン)、「きくち」(門司海保、335トン)などの姿を確認した。大和堆の違法漁船を取り締まるために、全国から参集した援軍だろう。

 だが、守らなくてはならないのは日本海だけではない。3年前には小笠原諸島の周辺海域で中国の密漁船が大挙し、サンゴを乱獲した事例もあった。

 日本の領海とEEZを合わせた面積は約447万平方キロで領土面積約38万平方キロの約12倍もある。日本の海は広く、隣国の行儀はいずれもよろしくない。

 しかも、海保にとっての「一丁目一番地」はあくまで、中国が野心を隠さない沖縄・尖閣諸島周辺の海域である。

http://www.sankei.com/column/news/170813/clm1708130007-n1.html

>>2以降に続く)

http://www.sankei.com/images/news/170813/clm1708130007-p1.jpg
大和ミュージアムの戦艦「大和」の巨大模型を見る来館者=4月23日午前、広島県呉市