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2017/08/15(火) 08:36:22.00ID:CAP_USER中国のビッグデータリサーチ社の「2016中国シェアサイクル市場研究報告」によれば、2016年末、中国のシェアサイクル利用者数は1886万人に上り、2017年末には5000万人に達することが見込まれている。中でも上海は、その利用登録者数と実際の稼働率が最も高い都市だ。
中国において自転車の利用が盛んになったと言えば、何も今に始まった現象ではない。1980年代まで「自転車」自体が中国のイメージだったように、自転車専用の広い道路に見る都市計画は、中国が「自転車大国」だったことを象徴するものだ。
本格的なモータリゼーションが到来する前夜の1997年、上海で生活を始めた筆者が真っ先に購入したのも自転車だった。当時は上海といえども、地下鉄はわずか2線のみ、マイカーも普及しておらず、自転車なしには移動が不可能だったからだ。
自転車利用者にとって、盗難は最も頭の痛い問題だったが、2000年代初頭には電動自転車の出現とマイカーの普及により、それも消えてなくなった。スピードの出ない自転車は次第に「時代遅れな乗り物」になり、社会から見捨てられていったためだ。
上海で官民合作の公共自転車は失敗
ところが、万博間近の上海で、再びこの“見捨てられた乗り物”に目が向けられた。「エコロジー」という観点から再評価され、2008年、上海と杭州の限定されたエリアで「公共自転車プロジェクト」が動き出したのである。
“急速発展”に貪欲な中国政府は、欧州の交通革新と言われた「パークアンドライド」(P+R)という試みを取り入れ、年々深刻化する交通渋滞を解消する実験に乗り出す。上海では、東西に走る地下鉄2号線の「張江高科駅」、南北に走る1号線の「シン庄駅」(※シンは草かんむりに「辛」)の、二つの終点駅で取り組みが始まった。
2009年、筆者は上海市閔行区の「シン庄駅」を訪れ、稼働を始めたばかりの公共自転車の実態を見学したが、駅前に整列する手つかずのオレンジ色の公共自転車から「市民の関心の高さ」はうかがえず、むしろ市民はそれを遠巻きに観察するかのようだった。
当時、上海では「官民合作モデル」として、閔行区政府の取り組みを上海の老舗自転車メーカーの「上海永久自転車」が請け負った。初期の2009年は「模様眺め」だったようだが、2012年には2万6000万台の自転車稼働数が見込まれ、閔行区も約2600万元(約3.4億円、当時1元=約13円)の年間予算を投入した。
中国の民間環境組織・自然之友が発表した「都市公共自転車調査報告」によれば、同区ではカード登録者が利用できるシステムを構築、2011年には23万枚までカード発行枚数が伸びた。ところが、これに対し自転車は1万9000台にとどまってしまった。最大の課題は「供給を上回る莫大な需要」にあった。
中国の公共経済の専門家の一部は、これを「官民合作モデルの失敗」と結論づけている。失敗の原因は「収益性の低い事業」。「指定スタンドへの返却型」の場合、地価が急上昇する上海で駐輪場用地の仕入れが容易でなく、これを請け負った企業は政府の補助金に頼るほかなかったのだ。
その後、中国のいくつかの都市でも試みられたが、補助金は不正に不動産投資に転じられ、駐輪場も自転車も放置されるという都市もあったようだ。
“民”が主導する市場で発展しながら生まれる混乱
2015年に入ると、公共自転車は新たな局面を迎える。「摩拝自転車」や「ofo自転車」といった民間事業者が中心となって、アプリを使った「乗り捨て」のレンタルサービスを開始したのだ。
「乗り捨て」の場合、用地仕入れの必要がなくなるのでコストが削減できるし、政府人脈との癒着もなくなる。また、デジタル技術を駆使すれば、資金集めも難しくはないといった点で、中国に画期的な「自転車革命」をもたらした。
また、新技術が切り開いたのは、規制に左右されず、民間企業が自由に参入できる市場でもあった。2017年に入ると、上海ではあっという間に市場が広がり、街は縦横無尽に走るカラフルな公共自転車で埋め尽くされた。
http://diamond.jp/articles/-/138211
(>>2以降に続く)