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2017/08/15(火) 14:22:35.66ID:CAP_USERそれは、米国の歴代大統領が朝鮮に対する侵略と戦争挑発をこととしたが、悲惨な惨敗だけを喫したことである。
創建されてから2年もならないわが共和国を併呑しようと1950年6月25日に戦争を起こしたトルーマンは、戦争の初期から始まった退却の恥、相次ぐ敗戦に対する責任を負って退任した。
彼の後を継いで大統領になったアイゼンハワーも、破局状態に瀕した戦争の運命を逆転させようとあがいたが、結局は1953年7月27日、鋼鉄の総帥の指導を受けた英雄的な朝鮮人民に膝を屈した。
1968年1月23日、米帝武装情報収集艦「プエブロ」号が朝鮮人民軍海兵によってだ捕された時、米国は「報復」には報復で、全面戦争には全面戦争で応えた朝鮮の軍隊と人民に屈服して自分らの犯罪行為を認める謝罪文にサインした。
当時の米大統領ジョンソンは、米国が生まれて歴史に残した謝罪文はただ、これだけだとし、米紙「ワシントン・ポスト」までも「米国が小国に一発殴られて鼻血を流している」と慨嘆した。
「プエブロ」号事件の教訓を忘却してニクソンは大統領になるやいなや、1969年4月、大型偵察機EC121事件を起こしたし、フォードは戦争挑発の口実を設けようと1976年8月18日、板門店共同警備区域内で斧(おの)事件を起こしたが、そのたびに当然な懲罰の洗礼を受けた。
このように、歳月を継いで悪らつに強行された米帝の反共和国挑発策動は毎度、米国の恥ずべき惨敗と死に終わった。−−−
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