終戦記念日の8月15日、日本では戦争による犠牲者の慰霊をするが、日本に併合されていた韓国にとっては『光復節』、北朝鮮は『祖国解放記念日』、いうならば独立記念日だ。

ちなみに戦勝国中華民国(台湾)と、日本と戦ってもいないのに“勝った”と言う中華人民共和国(中国)は、旧ソ連と同じく9月3日を『軍人節』や『抗日戦争勝利の日』と制定している。

8月15日に日本の首相や閣僚が靖国神社に参拝すると、なぜ中韓だけが騒ぐのか。いつから首相の靖国参拝が問題視されるようになったのか。

戦後初の首相である東久邇宮稔彦王から現在の安倍晋三首相まで、15人の首相が靖国を参拝している。特に1985年までは、ほぼ毎年首相が参拝していた。春秋の例大祭はもとより、終戦の8月15日に参拝することも何回かあったが、韓国も中国も何も言わなかった。

問題視したのは、日中が“蜜月”関係にあった時代だ。きっかけを作ったのは“戦後政治の総決算”を思想信条にした中曽根康弘元首相である。1985年8月15日に公式参拝を行ったのだが、これに対してさっそく中国が噛みついた。

「中曽根氏にもう少し気骨があれば、今日のような事態を招かずに済んだのです。ケ小平がどう文句を言おうと、翌年も翌々年も公式参拝を続けていれば、ケ小平は現実主義者ですから『抗議しても聞く耳持たない人間には言っても無駄だ』と思ったでしょう。

ところが、中曽根さんは中国に抗議されると、青菜に塩のようにヘナヘナとなり、翌1986年には参拝を見送ってしまうのです。日本の首相のみならず、閣僚が参拝するだけで、中国が文句を言うのは簡単な理由からです。中国は中曽根さんが公式参拝したから問題にしたのではありません。取りやめたことを問題としたのです」(評論家=石平氏)

中国は「お前は悪いことをしたと反省したからやめたのだな」と考えるからだ。さらに言えば、中国は日本に歴史問題で圧力をかければ、必ず平身低頭して折れて謝ると、この一件で味を占めた。こうして中曽根元首相の参拝中止以来、日中関係はおかしくなっていく。

「彼が日中関係を修復できないほど壊した元凶です」(同氏)

とんでもない“戦後政治の総決算”だったわけだ。

1986年に当時の中曽根康弘首相は靖国神社参拝を取りやめるが、それまでは過去10回にわたり中曽根氏は靖国参拝をしていた。しかも、1985年8月15日には、現職首相として初めて靖国神社に公式参拝していた。

ところが、1986年に朝日新聞などのメディアが1978年に合祀されたA級戦犯のことを取り上げ、公式参拝を問題視した。中国側も朝日新聞から「この問題をどう思うか」と取材を受ければ「公式参拝はアジア各国人民の感情を傷つける」と言わざるを得ない。かくして、中曽根首相は1986年に一転して靖国参拝を取りやめる。

このときの後藤田正晴官房長官が残した「内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝に関する官房長官談話」(官房長官談話)は次のような内容だった。

《A級戦犯に礼拝したという批判があり、近隣諸国の国民感情に配慮するために、首相の公式参拝を差し控える》

この官房長談話は、『河野談話』、『村山談話』同様に罪深い。A級戦犯が合祀されたのは1978年(新聞が報じたのは1979年)で、その後も大平正芳首相や鈴木善幸首相は靖国を参拝しているが、中韓両国からは批判されていない。

以後、日本のメディアが“ご注進報道”を行い、それに反応した中国からの圧力に日本が屈するという悪しきパターンが出来上がった。中曽根元首相は後年、靖国参拝を見送ったことについて、次のように弁解している。

《この参拝が中国内部の権力闘争に援用され、特定政治家の失脚につながる危険があるという情報を聞き、日中友好を維持するために参拝は行わなかった》(読売新聞=1992年8月14日付)
ここで言う特定政治家とは、日中友好政策を推進する胡耀邦(こ・ようほう)のことだ。こうした中曽根首相の姿勢に対し当時、中嶋嶺雄国際教養大学学長(現代中国学)は『神社新報』のインタビューでこう批判している。

https://myjitsu.jp/archives/28342

>>2以降に続く)