なぜかインドでは中国人を見かけない

インドを歩いて奇妙なことに気づいた。どこに行っても中国人観光客に会わないのである。いわゆる“中国のプレゼンス”がほとんど感じられないのだ。世界中どこでも観光客だけでなく商人・労働者など様々な階層の中国人を見かけるのに不思議であった。

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デリーの世界遺産レッドフォート(赤い砦)の音声ガイドの看板。ヒンドゥー語、英語、韓国語の自動音声ガイドがあるとの案内。
インド以外の世界各地の観光地では通常英語、中国語という順番であるが。悲しいかな日本人ツーリストは韓国人団体さんより圧倒的少数派になってしまい日本語案内はなくなった由

3カ月間で出会った中国人旅行者は四川省の女学生と雲南省のアラサー女子の食品管理技士の2人だけであった。ベトナムを思い出した。ベトナムでも中越国境紛争の影響なのか中国人旅行者はほとんど見かけなかった。

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北インドのチベット系王国の古都サラハンのヒンズー教のビーマカーリー寺

「中国人は嫌いです」

7月8日。キナウル渓谷のレコンピオという町のバスターミナルで中国人と思われるカップルに遭遇。話してみたら彼らはミャンマーの隣のインパールの出身のインド人であった。

中国雲南省、チベット自治区、ブータン、バングラ、ミャンマーに囲まれたインド北西端のアッサムを中心とする7つの州ではモンゴロイド系住民がマジョリティーであるが日常言語は英語とのこと。

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モンゴリアン系カップル。旧日本軍を礼賛する親日的インド人

彼はインド軍の軍属でミサイル技術専門家であった。風貌が似ているので中国人に間違われることがあるが大変心外であるという。この地域の住民は中国及び中国人が嫌いと地域事情を語った。

彼らはインド人としてのアイデンティティーが強くインド人として誇りを持っており、隣接する共産中国は理念的にも受入れ難いと理路整然と語った。

ちなみに私が日本人と知ってインパールには日本兵の墓があり人々が大事に守っていると教えてくれた。

この地域の人々は非常に親日的でありインド独立闘争の英雄チャンドラ・ボースと一緒に英国支配から解放しようとした日本軍とインパール作戦は今でも高く評価されているという。

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中国国境のキナウル渓谷の軍用道路をローカルバスで走る

メード・イン・チャイナは蔑称?

インドでは中国製商品もどうも影が薄い。デリーで帽子、サンダル、時計バンド、ウオーキングシューズを買おうと歩き回ったが中国製は見当たらなかった。

欧州や東南アジアでこれらのアイテムを買おうとすれば中国製品が大半で中国製以外を見つけるのが困難なほどであるが。

デリーではこうした一般消費財においては欧米有名ブランドであろうとメード・イン・インディアばかりであった。しかも価格はインドの物価水準に合わせてあるので我々外国人にとってはお買い得である。

さすがに北インドでヒマラヤに近い地方に行くと亡命チベット人社会のルートでチベットから陸路中国製品が入ってくるので衣類・傘・履物など中国製品も売られていた。

しかし都市部から来た観光客や中流階級のインド人は決して中国製品を手に取ろうとしない。最初からメード・イン・チャイナを排除しているのである。

彼らに話を聞くと、曰く「メード・イン・チャイナは安かろう悪かろうで粗悪品ばかり」「同じ値段で品質が保証されたインド製品があるので中国製品は不要」「中国が嫌いだし中国製品も信用できないので買わない」とかメード・イン・チャイナはとかく評判が悪い。

改革開放後の中国経済発展を急追するインド経済

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10319

>>2以降に続く)