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インドは元来天然資源や農産物が豊かな大国であるが他のアジア諸国に比べて経済発展が遅れていた。ソ連型の計画経済や輸入代替工業化政策に訣別して1991年以降経済改革により急速に経済発展。特にIT産業分野では世界的に存在感を増している。

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サラハンからキナウル渓谷へ向かうローカルバス

デリーから北へ移動して北インドを3カ月間旅行したがインドの目覚ましい経済発展を目の当たりにすることになった。

北インドは気候的に涼しくシムラー、マナリーなど伝統的に避暑地が多いが、北インドのどこに行ってもホテルやゲストハウスの建設ラッシュであった。小さな村でも朝早くから家族総出で民宿を建てていた。

スズキマルチなど国産車やロイヤル・エンフィールドなどの国産バイクに乗って家族連れやカップルまたは友人どうしで旅行する中産階級のインド人で宿泊施設はどこでも大繁盛。

北インドを旅行している外国人は大半がバックパッカーで地元にあまりお金を落とさないがインドの急増する中流階級の旅行ブームは貧しい北インド経済を確実に潤していた。

インド人の嫌中的心情

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インド料理の定食ターリの北インド版。一見豪華に見えるが菜食料理である

今回の旅行をつうじてインド人から嫌中論を何度も聞いた。近年の経済発展を背景にインド人が自信を持ち始め中国への対抗心が高まっているように感じた。

1962年の中印国境紛争では周到に準備した人民解放軍の不意打ちにインド軍が対抗できず不本意な形で停戦ライン設定を強いられたという忸怩たる思いはインド人に根強く残っているようだ。

中国共産党は1949年の建国以来絶えず領土拡張を志向してきた。建国直後のチベット併合、その後のチベット侵攻によりダライ・ラマはインドに亡命して亡命政権を樹立。

インド政府は爾来ダライ・ラマ亡命政権を手厚く保護してきたが、今回北インドを旅行してダライ・ラマがヒンズー教徒、イスラム教徒を含めて広く深くインド人から崇敬されていることを目の当たりにした。

そもそもヒンズー教は仏教と同じルーツを持つ兄弟であるとインド人から何度も聞いた。チベット仏教を弾圧する無神論の共産主義中国とはインド人は心情的にも相容れないようだ。

青年篤志家の中国論

本編第2回で紹介した青年篤志家サンジーンとは彼のりんご農園の休憩所で雨宿りをしながら数時間おしゃべりした。急速に発展するインドにおける知識人の生の声を聴けて楽しかった。

りんご農園経営からインド経済の発展さらにはインドを巡る国際情勢へと話題は尽きなかった。

そんななかで彼の中国論は格別興味深いものであった。

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中印国境付近の断崖絶壁を切り拓いた軍用道路はローカルバスの定期ルート

彼の見解を整理して以下引用したい:

〇米国もロシアもEUも中国との経済的相互依存度が高く中国の覇権主義的行動に対して現実的には宥和的政策しか取れない。

〇インドは中国への経済依存度は比較的低い。インドは必要な工業製品を国産しているので安価な中国製品は浸透しない。

〇インドは多様な宗教・民族を擁する世界最大の民主主義国家。漢民族による少数民族支配を進める共産党独裁中国とはイデオロギー的に相容れない。

〇チベットは元来強大な王国であった。事実インドのヒマーチャル・プラデーシュ州もインド独立以前はチベット王の代理が支配する地域であった。史実を検証すればチベットは歴史的に中国領ではない。インドは共産中国の覇権主義を決して容認しない。

〇インドは中国に対抗できる軍事力を保持している。特に中国との国境紛争地帯の山岳部の戦闘では人民解放軍を圧倒できる。さらに対中国向けに開発された核戦力を有する。

〇今後中国は急速に人口構成が高齢化する。他方でインドは若年層人口が大きく今後も経済成長が持続する。今後十数年で中国経済にキャッチアップする。

〇21世紀において覇権国家中国に対峙できるのはインドである。インドは米国・ロシア・日本などと連携して中国を牽制しつつ地域の安定と平和を維持する役割を果たす。

(続く)