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がん検診の受診率が低いのは

個人のレベルでも「最悪の事態を考えない」癖は国民性としてあるようです。日本人のがん検診の受診率は欧米先進国と比べると非常に低く、たとえば子宮頸がんや乳がんなどの検診率は欧米の半分程度だそうです。

もちろん人生哲学として、そういうものは受けず、いかなる時も運命を受け容れる、という人がいてもいいでしょう。しかし、どうも実際は「悪いものが見つかったら怖い」といった理由の人が多いようです。

要するに嫌なものは見たくない、という心理が働いている。

決して、「がんになったら、それも運命」と達観しているわけでもないのです。その証拠に、ほとんどの人が、本当に体の具合が悪くなってから病院に行き、がんと宣告されてから、慌てふためいて治療に入るのです。

しかし発見が遅ければ、それだけコストはかかるし、リスクも高くなる。早め早めに治療しておけば、コストもかからず、生還率も飛躍的に高まります。

北朝鮮についても、実は日本は長い間、同じようなスタンスでいた、つまり「そんなにひどいことにはならないだろう」と、最悪の事態から目を背けてきたのではないでしょうか。

彼らに核開発の意思があったことはずっとわかっていました。それをミサイルに搭載し、実用化を進めていることもわかっていました。今はそれほど危険でなくても、技術の進歩で、いずれ日本列島がすっぽりと北朝鮮の核の射程内に入ってしまうことは容易に想像できました。

それなのに、政治家も含めて日本人の多くは、悪いものは見ないようにしてきました。国際社会に「早目に処理したほうがいい」といったことを本気で訴えたりはしませんでした。

それどころか、私のように北朝鮮の脅威を訴える人間は物騒なやつだと見られかねなかったのです。彼らを敵視したら、かえって刺激して危ない、というのです。

下手に騒いだり、対策を練ったりするよりも、静かに見守ろう。そうすれば向こうの気が変わるかもしれない、体勢が崩壊するかもしれない、事態が好転するかもしれない……それはあたかも悪い病気が見つかったのに「しばらくすれば自然に消えるかも」と淡い期待をするのと同じではないでしょうか。

実際に、世界が見守っているうちに、時間は経ち、その間に北朝鮮は着々と技術開発を進めて行ったのです。「平和的な話し合いを」と言う人たちは、この間の経緯を忘れているか、知らないのか、どちらなのでしょうか。

リアリストとして考えよ

最悪の事態を想定しないという日本人の民族性が究極的にあらわれているのが日本国憲法でしょう。日本国憲法には「緊急事態条項」がありません。緊急事態条項とは、戦争や大災害のように国家存亡の危機が発生した場合に、憲法や法律の平時通りの運用を一時的に停止するというものです。

世界各国の中でこうした緊急事態に関する条項がない国などほとんどありません。

ところが、日本国憲法にはその条項がないどころか、これについての議論もタブー視されてきました。反対する人たちは「戦前に戻ることになる」「国家が国民を弾圧する」というのです。

彼らは、そうした条項が出来れば、「法の拡大解釈を招き、結果として国家権力が危険なふるまいをする」といった類の懸念を示します。

しかし、その根底にはやはり「最悪の事態を想定したくない」という心理が働いているのではないか、と私は考えています。つまり、外国がいきなり攻撃をしてくること、侵攻してきて占領することを想定したくないのです。

こうした思考法は、平時の時はまだいいでしょうが、もう今はそういう状況ではありません。今回、私は徹底的にリアリストの立場から平和を守るためにどうすべきかを考え抜き、『戦争と平和』という本を書きました。

「悪いことは見ないようにする」「そのうち何とかなる」といった空想主義的な考えから脱する人が一人でも増えれば、と願っています。

(おわり)