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府議が担当者に認可手続きの進捗(しんちょく)状況を問い合わせた後の翌年1月、条件付きの「認可適当」の答申が出た。

殺到した抗議ハガキの山には、福岡県内の町長や広島県の県議会議員など、政治家を含む右派系の人脈からのものもあった。前出の私立中学校の教員は言う。

「ハガキが届き始めた当初は、中国に進駐した旧日本軍が、現地で歓迎されているように見える写真などが印刷されたポストカードに、短い抗議文が書かれていたものがほとんどでした。ポストカードには『プロデュース・水間政憲』と書かれていました」

水間氏は近現代史の研究家で、慰安婦問題などを調査研究している。雑誌「WiLL」の16年6月号には、学び舎の教科書を「トンデモ歴史教科書」と批判する記事を寄稿している。

また、自身のサイトでは、抗議ハガキに使用されたポストカードを40枚セットで2千円で販売。サイトでは、学び舎の教科書を採択した中学校に「『OB』が抗議すると有効」だとして「OBとして募金に一切応じないようにします」と書いて理事長や校長に抗議するよう呼びかけている。

本誌が水間氏に抗議を呼びかけた目的について取材すると、

「ポストカードは抗議活動ではなく、一次資料を見たことのない学校の教員に啓蒙活動をしただけだ」

と回答。各校に同一の書体で印刷された抗議ハガキが大量に届いていることについては、水間氏は「知らない」と関与を否定した。

また、中学校にポストカードを送った人のほとんどが水間氏の知人ではなく、ネット上で抗議活動に賛同した人たちだと説明した。

抗議をした人たちは、教科書の記述を問題視しているが、そもそも学び舎の教科書は、学習指導要領に従って、文部科学省の教科書検定を通ったものだ。

文科省の担当者も「通説的な見解のない事項については、通説的な見解がないことを明示して、生徒が誤解する表現をしないよう求めています。検定を通過した時点で、教科書はその基準を満たしている」と話す。

学び舎の教科書で慰安婦問題に言及しているのも、日本の戦後史を扱った項目の一部分にすぎない。資料として、旧日本軍の関与の下で慰安婦の募集や移送が本人の意思に反して行われたことを公式に認めて謝罪した1993年の「河野談話」を紹介。

同じページのコラムで、世界各地の戦時下の人権侵害について触れられているだけだ。日本政府による「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」との公式見解も掲載されている。

現場の教員から、怒りを通り越してあきれたという声も出ている。

「検定を通った教科書を採択しているのだから、抗議は文科省にするべき」(関西の私立中学校教員)

抗議ハガキは、次の採択で学校関係者が尻込みをするよう、圧力をかけたかったと思われるが、学校側は冷静だ。本誌の調査で「抗議があった」と回答した7校のすべてが、次の歴史教科書の採択に「影響することはない」と回答している。

抗議行動が逆効果になったとの指摘もあった。

「採択した教科書は4年間使用することが原則ですが、教師から要望があれば1年間で変更できます。昨年度に使用して学び舎の教科書に問題はなかったですし、抗議があったから変更したと思われたくはないので、変更することはありません。
私たちは、生徒にいちばん適した教科書を使って、授業をすることが第一ですから」(別の私立中学校教員)

90年代半ば以降、おもに保守系言論人でつくられた「新しい歴史教科書をつくる会」を中心に、教科書の採択が社会問題化している。

藤田英典・東京大学名誉教授(教育社会学)は言う。

「沖縄県の八重山地区では、11年に特定の教科書を採択させるため、教育委員会に政治が介入したことが問題になった。教員や地元住民の反発も起きた。
意見表明の自由は尊重されなければならないが、教育の現場に脅迫的な介入をすることは許されません。ましてや政治家の抗議が事実とすれば、不当な介入と言わざるをえません」

灘中に問い合わせた国会議員に取材を申し込むと、事務所担当者から「『政府筋からの問い合わせ』と言った記憶はない。電話も圧力ではなかった」との回答があった。

灘中の和田校長も「政治家からの問い合わせが圧力と感じたことはなく、その後の抗議ハガキによって圧力を感じるようになった」と話している。

防府市の松浦市長に抗議ハガキを送った理由をたずねたが、期日までに回答はなかった。

(続く)