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2017/08/24(木) 09:55:11.60ID:CAP_USERそれが実現すれば、「習近平思想」が党と国家の指導思想として正式に認定されることになるのだが、このことは何を意味するのか。
中国共産党史上、指導者個人の思想が党の指導思想として認定された前例には「毛沢東思想」がある。1936年に党の主導権を握った毛沢東は、それから9年間をかけて権力基盤を固めたのち、45年開催の共産党第7回党大会で「毛沢東思想」を党規約に盛り込むことに成功した。
これで毛沢東は、党の政治的指導者の地位だけでなく、党の思想的「教祖」としての権威も手に入れた。その時からわずか4年後の49年、「教祖」となった毛沢東の指導の下で、中国共産党は国民党政府との内戦で奇跡的な勝利を収め、天下を取って中華人民共和国を建国した。
そして76年の毛沢東の死去まで、毛沢東思想が至高のイデオロギーとして党と全国人民を完全支配するようになっていた。一個人の思想がそれほど権威を持った背景には当然、中国共産党を内戦の勝利へと導いて国を開いた毛沢東の「偉業」があった。
毛沢東の死後、次の最高指導者となったケ小平は、改革・開放路線を推し進めて中国経済を成長路線に乗せ、かつての貧困国家・中国を世界第2の経済大国へ変貌させた。
この歴史的業績をもって、彼の死後の97年、「ケ小平理論」が党規約に明記されることになったが、それは毛沢東思想よりは一段格が下の「理論」にとどまった。
それに対し、総書記になってからわずか5年、これといった業績もない習近平氏が、建国の父の毛沢東と肩を並べて自らの「思想」を党規約に盛り込もうとしているのだ。「小人の背伸び」とはまさにこういうことであろうが、秋の党大会でそれが成功したとしても、習氏にとっての問題はそれからだ。
党規約に記載されるのは簡単だが、「習近平思想」が本物の指導思想として自らの絶対的権威を確立させていくのは大変難しいことだ。前述のように、毛沢東思想やケ小平理論の権威確立は、この2人の政治指導者の歴史的業績によって裏付けられたものであり、今の習近平氏にはそれがない。
したがって秋の党大会以後、自らの「思想」の権威確立のために、習氏はかつての毛沢東やケ小平と比肩するほどの業績を作っていかなければならない。しかし今の中国には、指導者が内政の面において毛沢東の建国やケ小平の改革開放に匹敵するほどの業績を立てる余地はもはやない。
これからの習氏にとって、歴史的業績を作り上げるための新天地は、「国の外」でしかない。
つまり、アジアと世界における中国の覇権樹立という、毛沢東とケ小平が夢見ていてつい達成できなかったこの申し分のない「偉業」を、習氏は自らの手で成し遂げることによって初めて彼の「思想」は本物の「指導思想」となって支配的権威を確立でき、
習氏自身は初めて、毛沢東やケ小平を超える「教祖」として中国に君臨することができるのである。
したがって、今秋の党大会において「習近平思想」を首尾よく党規約に明記させた後、2期目からの習近平政権はきっと、それこそ不退転の決意を持って南シナ海と東シナ海に対する軍事的支配と、「一帯一路」の展開による世界への経済支配を両輪とする世界制覇戦略を全面的に推し進めていくこととなろう。
「教祖」になろうとする中国共産党独裁者の野望はこうして、アジアと世界に災いをもたらそうとしているのである。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
http://www.sankei.com/world/news/170824/wor1708240007-n1.html
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習近平国家主席。“個人崇拝”を高める動きが出ている=中国・北京(AP)