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「草の家」は、1989年に民立民営の平和資料館として高知市内にできました。

高知民医連の診療所事務長を務めてきた岡村啓佐副館長は、草の家の活動の特徴について「加害、被害、抵抗の三つの柱を軸に史実の発掘・研究・展示をしていること」といいます。

日本の中国への侵略戦争も、高知の歩兵44連隊が上海、南京などで何をしたのか具体的にたどる「中国・平和の旅」を何回もおこなってきました。

また、細菌弾をまき細菌戦用に中国人らを人体実験し虐殺した731部隊(関東軍防疫給水部)の隊員の聞き取りや中国現地ツアーもしてきました。

「抵抗」では、プロレタリア詩人・槇村浩をはじめ、戦争に命がけで反対した人たちやその反戦運動を掘り起こすことも。44連隊が出兵する際にビラを配った人たちがいたことを発見しました。

岡村さんは医療という仕事柄、731部隊の幹部が日本を占領した米国と戦犯免責を条件に人体実験の研究成果を売り渡した医療・医学界の“黒い戦後史”を追究しています。

証言者も得ました。高知出身者が多い731部隊のハイラル支部に所属した谷崎等さん(94)は数少ない生存者です。谷崎さんを訪ねると、ペスト菌を注射するネズミを飼育する任務や、終戦の天皇の放送など1945年のことを覚えていました。

「本部はすでに日本に帰っていたし、ラジオ放送の内容は、上層部は知っていた。私らには全然話がなかった。翌年の暮れまで取り残された。戦争は二度とやってはいけない。私には中国の兵隊を殺さないといけない口実なんかない。

むしろ“上官の命令は天皇陛下の命令だ”といいながら、毎日どれほどたたかれたことか。戦場に行っても中国兵より上官を後ろから殺したいと何度思ったことか」と話します。

「参戦したソ連は機関銃です。こっちは一発一発弾を込めては撃つ鉄砲です。勝てるわけがない。死んだら犬死にだと逃げることだけ考えた。タコつぼを掘ってもむかえ撃つのは火炎放射器です。墓穴を掘るだけだ」と皮肉も口に出る谷崎さん。

昨年は地元で開かれた戦争法反対の集会に参加しました。「安倍政権は戦争を知らんくせに、戦争をしたがる。ろくなものでない。私は戦争の怖さを知っている」

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(写真)南国市史跡として登録された戦争遺跡・「前浜掩体群」のひとつ
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(写真)南国市の久枝海岸には、戦争遺跡・トーチカが残っています

(おわり)