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▲「日本側韓日併合調書」の原本写真(右側)と大韓帝国純宗皇帝が頒布した調書原本

[新韓国文化新聞=キム・ヨンジョ記者]1910年の今日(8月29日)は朝鮮王朝をたてて519年、大韓帝国を宣言して14年で国が滅び日本の植民地になった国辱日です。

寺内統監と総理大臣イ・ワンヨンはすでに8月22日「併合条約」を結びましたが、私たち民族の抵抗を恐れて発表を後回しにし、条約締結を隠したまま元老大臣らを軟禁した後、8月29日に純宗に国を日本に渡すという詔勅を下すよう強制しました。

公布された併合条約にはすべての統治権を日王に渡すという内容が書かれていました。しかし、この強制協約は無効であることを証明する文書が2010年に公開されました。

ソウル大イ・テジン名誉教授が日本東京国立公文書館で入手して公開した「日本側韓日併合調書」写真資料によれば1910年8月29日、日本明治日王は韓日併合を公布した調書に国璽「天皇御璽」をおして、日王の実名の「ムツヒト(睦仁)」と署名があります。

一方、同日の大韓帝国純宗皇帝が頒布した調書原本には国璽の代わりに行政的決裁だけ示す「勅命之宝」という御璽が捺印されています。また、純宗皇帝の実名のイ・チョク(李拓)の署名がなく、これは国際法上無効であることを示す根拠といいます。

私たち民族は日帝のこの様な凶計にともなう韓日強制合併に屈せず、9年後、上海で大韓民国臨時政府をたてて命をかけた激しい抗日運動を繰り広げました。

その中で1909年10月26日、安重根(アン・ジュングン)義士がハルビンで侵略の元凶、伊藤博文を処断し、また、1932年4月29日、上海で尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が爆弾を投げて倭軍上海派遣軍司令官白川、上海の日本居留民団長、河端貞次などを処断することによって日帝の朝鮮侵略を全世界に知らせました。

キム・ヨンジョ記者

ソース:新韓国文化新聞(韓国語) 今日は国恥日、しかし、この日韓日強制協約は無効
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