「敵基地攻撃能力」保有すべきか 「やられる前に」乱暴すぎない? 「百発百中」なんて無理

度重なる北朝鮮の弾道ミサイル発射に「何とかしなくては」と思うのは当然だが、一足飛びに「やられる前に−−」という議論は乱暴過ぎないか。他国のミサイル発射基地などを攻撃する「敵基地攻撃能力」を日本は保有すべきなのか。【小林祥晃】

「発射前にミサイルを無力化することが最も確実なミサイル防衛だ」。自民党の安全保障調査会などが今年3月、敵基地攻撃能力の保有を政府に求める提言書をまとめた。検討チーム座長として議論をリードした小野寺五典氏が8月の内閣改造で防衛相となり、今後の動向が注目される。

敵基地攻撃とは何か。簡単に言うと、相手が攻撃の構えを見せた時、先に相手をたたくという考え方だ。初めて国会で議論されたのは、朝鮮戦争勃発から6年後の1956年。当時の鳩山一郎首相が「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」とした上で、「他に手段がない」場合に限り、敵基地攻撃は「自衛の範囲内」との政府統一見解を示した。この見解は別表のように政府答弁で言及されてきた。

イラストのように、日本のミサイル防衛は敵国の弾道ミサイルをイージス艦搭載の「SM3」、地上に配備した「PAC3」の2段構えで迎撃する仕組みだ。これに加え、発射直後の上昇中のミサイルを撃ち落とせるよう「3段構え」にするのが今回の議論の狙いだ。「敵基地攻撃」とはいうものの、打ち上げ前に発射台ごとたたけば国際法が禁じる先制攻撃になる。表の石破茂氏の答弁のように「発射の兆候」をつかめば「自衛のため」と言えるが、近年は数時間かけて液体燃料を注入するミサイルは減り、時間をかけずに発射できる固体燃料ミサイルが増えた。そこで明確に「反撃」と言えるよう上昇中でもたたくことを目指すのが、積極派の主張だ。

しかし、ジャーナリストの前田哲男さんは「『敵基地攻撃能力を持てば守れる』と考えるのは間違い」と話す。敵基地攻撃能力としてイージス艦に巡航ミサイル「トマホーク」などが導入されると推測した上で「ミサイルの撃墜は、ピストルの弾をピストルで撃ち落とすようなもの。百発百中は期待しがたい」と指摘する。

「北朝鮮の軍事施設は衛星写真で丸見え」と考えがちだが、それも違うという。「弾道ミサイルの多くは移動式発射台から打ち上げられ、発射直前まで山間部や地下などに隠れることができる。潜水艦から打ち上げられたらお手上げです」。7月28日にはこれまで発射実績のない内陸部から深夜に打ち上げられ「日米の監視警戒システムが即座に対応できなかった」と分析する。地図に示した通り、発射地点は分散しており、事前に把握するのは容易ではない。

防衛庁(現防衛省)官房長や内閣官房副長官補を歴任した柳沢協二さんも、敵基地攻撃能力の現実性に疑問を呈する。柳沢さんは日本が攻撃すれば、相手は残りのミサイルでさらに攻撃を仕掛けてくるとみる。「そうなれば戦争状態です。当然、何発かは国内に落ちる」

その1発が核弾頭を搭載していたり、都市部に落ちたりすれば、多数の死傷者が出る。「つまり、敵基地攻撃能力の保有だけでは本当の安心にはなりません。抑止力を持つことで相手の恐怖心を高めたら、相手はそれを上回る力を持とうとするかもしれない。相手の受け止め方次第の、あやふやな『抑止力』に、国の命運を任せていいのか」

憲法9条との関係はどうか。一橋大名誉教授の浦田一郎さん(憲法学)によると、56年に政府が統一見解を示した当時、自衛隊の海外派兵はできないというのが憲法解釈上の大前提だった。「例外」が他に自衛の手段がない場合の「敵基地攻撃」だ。当時の見解はそのまま妥当なのか。

浦田さんが問題にするのは、集団的自衛権との関係だ。政府は2015年、安全保障法制を巡る国会論議で「自衛の範囲内」という見解は、集団的自衛権の行使にも当てはまるとした。つまり、米国などが攻撃されるケースでも、敵基地攻撃が可能になる。「これでは『必要最小限度の実力』という専守防衛の理念まで崩れていく恐れがあります」。また、積極派が引き合いに出す「座して自滅を待つのか」という論理について「北朝鮮問題の背景にある核軍縮や核不拡散の課題から、このフレーズが目をそらさせてしまう」と嘆く。

ソース:毎日新聞 2017年8月30日
https://mainichi.jp/articles/20170830/dde/012/010/011000c
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