林えいだい氏死去 記録作家 強制連行、公害問う 83歳

福岡県田川市を拠点に、戦時中の朝鮮人強制連行や、カネミ油症など公害被害の実態を取材してきた記録作家の林えいだい(本名林栄代=はやし・しげのり)さんが1日午後2時40分、肺がんのため同県内の病院で死去した。83歳。福岡県香春町出身。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。後日、森川登美江・大分大名誉教授を実行委員長にお別れの会を開く。

林さんは神職の家に育った。9歳のころ、父親が特高警察に連行され、拷問を受けた後に死亡。炭鉱から逃げてきた朝鮮人を助けたことが理由だった。その時の朝鮮人から「教育を受けていない俺たちに代わって、あんたが俺たちのことを書いてくれ」と言われたことがジャーナリストを志す原点となった。1968年以降、58冊の著作を通して日本の現代史の陰を掘り起こした。

早稲田大中退後、帰郷。炭鉱の臨時作業員や香春町役場職員、旧戸畑市(現北九州市)教育委員会の職員を務め、当時「七色の煙」と呼ばれた北九州の大気汚染の深刻さを写真集「これが公害だ」の自費出版や写真展で告発。70年からフリーランスとして活動し、長崎県・五島のカネミ油症患者を取材、74年に「嗚咽(おえつ)する海」を出版した。

筑豊や長崎の炭鉱に連行された朝鮮半島出身者の労働実態、戦中戦後に受けた差別について、当時の炭鉱労務係や警察関係者など「加害者側」からも精力的に取材し、記録した。

80年代からは戦時中に小倉造兵廠(しょう)で風船爆弾の製造を担った元女子挺身(ていしん)隊員をはじめ、日本兵として出征した台湾の先住民部隊「高砂義勇隊」、大戦末期の特攻隊の記録発掘を通し、国民を無謀な戦争に巻き込んでいった日本の軍国教育の実相に迫った。

95年に自宅に資料館「ありらん文庫」を開設。がんを発症した2013年以降も入退院を繰り返しながら取材活動を続け、戦争や強制連行問題について国内外の若い研究者に助言。薬の副作用で動かしにくくなった指にテープで万年筆を固定し、書き続けていた。

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/355474/

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