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しかし、ニューヨーク・タイムズ紙にトルーマンとマッカーサーの会議録が掲載され、マッカーサーが「中国の介入はない」と断言していることが明らかになります。これは政府のリークによるものでした。当初、マッカーサーはこの件に関し、名誉毀損(きそん)だとわめいていました。

議会の公聴会で、民主党議員がこの件をマッカーサーに追及したところ、マッカーサーはまともに答えることができませんでした。

虚言癖が明らかになりながらも、マッカーサーは国民から絶大な人気を誇っていました。マッカーサーは翌年に控えていた大統領選に出馬するため、全国を遊説してまわります。最初は各地で熱狂的に迎えられましたが、聴衆は次第にマッカーサーの中身のない演説に飽き飽きしていきます。

マッカーサーが話せば話す程、彼の人間性の浅さが露呈し、人々の支持は急速に失われていきます。最終的に、共和党の大統領候補者に指名されたのは、マッカーサーの元部下のドワイト・アイゼンハワーでした。

自軍の兵士を横領で餓死させた韓国軍幹部

さてこの間に、韓国では常識では考えられないような事件が起こっています。劣勢に追い込まれていた韓国軍は、新たに徴兵制による「国民防衛軍」を創設し、戦力の増強をはかりました。

ところが、その兵士たちに届くはずの食料が横領され、なんと約9万人の兵士が餓死してしまいました。1951年1月に起きた「国民防衛軍事件」です。

国民防衛軍にかき集められた新兵たちには未成年や病人も多く含まれ、そのほとんどは銃の扱い方も分からないような状態でした。中国「義勇軍」と北朝鮮軍にソウルを奪い返されると、50万人の国民防衛軍はなすすべもなく、南の大邱や釜山へと後退しました。

その過程で、国民防衛軍のために用意された軍事物資や兵糧米などを、同軍の幹部たちが横流ししてしまったのです。極寒の中、徒歩で撤退していた国民防衛軍の兵士は食糧不足でバタバタと倒れ、文字通り「死の行進」となりました。

この横領の背後には、国防長官の申性模(シン・ソンモ)ら、政府中枢からの指示があったことが明らかになっています。横領で得た利益の一部は、李承晩大統領の政治資金に回されたとされます。

これらのことは韓国メディアによって報じられ、焦った李承晩は国民防衛軍幹部数人を処刑し、申性模国防長官を解任しました。申性模以外にも、複数の軍幹部が関わっていたはずです。

戦いを継続できる状況ではなかった

アメリカのマッカーサー、韓国の李承晩。連載でみてきたように、このコンビは米韓側に最悪の状況をもたらしていました。米韓側は、北朝鮮や中国とまともに戦争を続けられる状況ではなかったのです。こうした状況を踏まえ、トルーマン大統領は停戦を模索しはじめます。

1951年6月にソ連がこれに応じ、以後、休戦に向けた交渉が続きますが、難航しました。1952年の1年間は交渉が放棄されていた時期が多かったのですが、1953年3月、ソ連のヨシフ・スターリン書記長が死去すると交渉が動きはじめました。アメリカでは1月に、大統領がトルーマンからアイゼンハワーに交代しています。

1953年7月27日、板門店で北朝鮮・中国と国連軍の間で休戦協定が結ばれました。この休戦協定は「停戦の合意」に過ぎず、いまだに朝鮮戦争は正式に終わっていません。2人の「ダメ指揮官」の呪いは、現在まで続いているのです。

宇山卓栄(うやま・たくえい)
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。個人投資家として新興国の株式・債券に投資し、「自分の目で見て歩く」をモットーに世界各国を旅する。
おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『“しくじり”から学ぶ世界史』 (三笠書房) などがある。

(おわり)