2016年8月、民進党(日本)の代表選を控えた蓮舫氏が日本と台湾(中華民国)の「二重国籍」状態にあるとの疑惑が浮上し、日本のネット空間をにぎわせた。その後、9月に入って、蓮舫氏は「台湾籍が残っていた」ことを明らかにし、「台湾籍」の離脱手続きを進めた上で、日本国籍の選択宣言をしたと表明した。

しかし、ネット上では蓮舫氏に対する批判が止むことはなかった。今年7月に入り、蓮舫氏は日本国籍の選択を宣言したことを証明するため、自身の戸籍謄本を公開した。だが、かえって「外国籍の親を持つ人々にとってあしき前例になる」といった声も上がることとなった。

そもそも、日本と台湾の「二重国籍」はどうして生じてしまうのだろうか。蓮舫氏の「二重国籍」問題からは、台湾人がかつて「日本人」であったことや、1972年の日台断交で在日の中華民国国籍保持者が自身の去就に迷ったことなどの歴史的経緯が透けて見えてくる。

それにもかかわらず、蓮舫氏本人や同氏の二重国籍問題を取り上げる日本人、さらには台湾のメディアも歴史的視点を語ることはほとんどなかった。

ネット上に流れたデマ

今年7月、蓮舫氏は自身の戸籍謄本、国籍喪失許可証、1980年代に所持していた中華民国パスポートのコピーなどを公開した。ところが、この蓮舫氏のパスポートに「中華民国駐韓大使館(京)」の印が押されていたため、ネット上では蓮舫氏の出自を巡りさらなる憶測が飛び交った。

「中華民国駐韓大使館」は蓮舫氏のパスポートを発給した機関である。80年代当時、海外にいる中華民国国民の旅券は、台湾にある外交部ではなく、全て在外公館で発行されていた。

近年は、海外で申請した中華民国パスポートは外交部で発給されるようになったのだが、2000年代ごろまで、例えば大阪在住の中華民国国民が中華民国パスポートを発給してもらう場合、そのパスポートの「發照機關」には「台北駐大阪経済文化弁事処」と記載されていたのである。

ただ、80年代当時の状況に立ち戻ってみると、中華民国と大韓民国の間に国交があった。そのため、日本在住の中華民国国民がパスポートを申請する際には、韓国の中華民国大使館に代理発給してもらっていた。蓮舫氏のパスポートにある「中華民国駐韓大使館(京)」の印は、ただそれだけの意味である。

しかし、ネット上ではこの印を「根拠」として「蓮舫は韓国華僑」である、「蓮舫は韓国籍を持つ華僑系中国人」というデマまで流れ、「この不可解な点について日本国民に説明を果たすべきだ」との声まで上がった。

もちろん、こうしたネット上のデマ一つ一つと向き合う必要はない。ただ、蓮舫氏のこの問題は、日本の国籍法の問題のみならず戦後の東アジア国際情勢も複雑に入り組んでいることから、「二重国籍」となる当事者本人ですら「自分がどうしてこうなったのか」をつぶさに説明することは難しい。

二重国籍化を招きやすい日本の行政対応

中華民国は「二重国籍」を容認しているが、日本はそれを容認していない(22歳でどちらかの国籍を選択したかを宣言する)、というのが一般的な理解であろう。ただ、日本において外国国籍の離脱・喪失について、「国籍法」では強制されておらず努力義務にとどまっている。

例えば、日本国籍の女性がイラン国籍の男性と結婚したとしよう。そのときイランは、その女性に対して自動的にイラン国籍を付与するのである。こうした事例に対して日本の法務省がどれほどまで厳格に「二重国籍の解消」に努め、剥奪を徹底しているのだろうか。日本国籍と外国国籍の両方を持つ者について、日本国籍が剥奪されたケースはないと言われている。

では、日本国籍と中華民国国籍を両方所持していた場合はどうだろうか。そもそも、1972年に日本は中華民国と国交を断絶し、中華人民共和国を認めたため、現在に至るまで日本は「中華民国」を国家として承認していない。

個人的な話になるが、台湾人の父を持つ筆者は、日本の役所に提出された自分の「出生届」のコピーを見たことがある。その「出生届」に必要事項を記入したのは父だ。届け書には「生まれた子の父と母」の本籍(外国人の場合は国籍)を記載する欄があり、父は「台湾」と記入していた。

http://www.nippon.com/ja/column/g00435/

>>2以降に続く)