<鳥取大地震74年>教訓生かし初動確認

◇各地で防災訓練や慰霊祭

死者・行方不明者1210人を出した鳥取大地震(1943年)から74年となった10日、各地で関連行事が開かれた。この日を「防災の日」と定めている鳥取市では、市職員や市民らによる大規模な総合防災訓練を実施。岩美町では、地震で犠牲となった朝鮮人鉱山労働者や住民の慰霊祭があり、参列者が冥福を祈った。(田村勇雄、河合修平)

鳥取市の総合防災訓練には36機関約500人が参加し、初動対応や避難の手順、救援物資の分配方法などを確認した。

午前10時、鳥取市で震度6強の地震が発生し、大津波警報が発表されたとの想定。市役所では危機管理課の職員らが対策本部を設置し、被災状況などの情報収集に当たった。

同市雲山の市立面影小では午前10時過ぎ、近隣住民ら約160人が続々と体育館に避難。食料や水などの救援物資をリレー方式で運搬した後、列を作って受け取っていた。車いす利用者の避難支援訓練では、坂道や段差にさしかかると前輪を上げるなど、実際に車いすを押して手順を学んだ。

子ども4人と参加した主婦、稲村育世さん(35)は「子どもたちを連れて避難する大変さを事前に知ることができた。どの道を通って避難するかを家族で話し合い、備えておきたい」と話した。

同市佐治町の市立佐治小でも住民約80人が参加し、心肺蘇生法や初期消火などの訓練を行った。

◇朝鮮人労働者ら悼む

岩美町荒金の旧岩美鉱山(荒金鉱山)近くの供養塔前では、地震で犠牲になった朝鮮人労働者や近隣住民らの慰霊祭が営まれ、遺族や地区住民、在日本大韓民国民団県地方本部の関係者ら約60人が参列した。

同鉱山では、地震で泥の堆積所のえん堤が決壊し、約4万3000立方メートルもの泥が下流の集落に流れ込んだ。朝鮮人労働者や家族、地域住民ら65人が犠牲となり、うち20人余りの遺骨が見つかっていない。

慰霊祭で、地元自治会の炭山茂和区長は「この地に犠牲者が今も眠っていることを忘れてはならない」とあいさつ。同本部の薛幸夫(ソルヘンブ)団長は「私たちの先輩を哀悼の意をもって鎮魂したい」と述べた。

その後、朝鮮半島の民族楽器で鎮魂の調べが奏でられ、参列者が次々と供養塔に献花した。

以下ソース

ソース:読売新聞 2017年09月12日
http://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20170911-OYTNT50346.html