■麻生副総理兼財務相は「武装難民かもしれない…射殺ですか」と発言!

そして9月23日、きわめつけが、麻生太郎副総理兼財務相の「朝鮮半島有事の際の難民が日本に押し寄せる可能性」についての、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」という発言だ。

この発言を見過ごしてしまったら、日本はなんと好戦的で差別意識に満ちた野蛮で非人道的な国なのかと、世界中から非難を浴びせられることだろう。

■「武装難民」射殺で蘇る94年前の「不逞鮮人」虐殺の扇動

仮に朝鮮半島有事となり、避難民が大量に日本にやってくるという事態について考えたとき、そうした避難民の中には1950年代から1984年にかけての在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮へ移住した人、その日本人配偶者や子供、そして北朝鮮に拉致された被害者やその家族も含まれていることは十分にあり得る。

北朝鮮からだけではなく、韓国から避難してくる人々も多数いるだろう。地理的関係からいえば、北朝鮮よりは南に位置する韓国からの避難民の方が多いはずだ。その中には韓国人と結婚した日本人、同盟国の米国人を含む在韓外国人も多数含まれるだろう。

こうした人たちの中から「武装難民」を特定し、「射殺」を「真剣に考えるべき」と副総理が公的な場で扇動する。法治国家であれば到底許されるべきことではない。関東大震災の混乱に際して震災で被災した朝鮮人を虐殺した、94年前の軍や警察や自警団の、悪意と偏見と差別意識が亡霊となって突然、蘇ってきたかのようである。

現在日本に暮らす在日韓国・朝鮮人の中には、朝鮮戦争の戦火を逃れて、あるいはその直前、米軍政時代に軍や警察からの弾圧や暴行、虐殺から逃げ出すために日本へ逃げてきた人も大勢いる。朝鮮戦争勃発当時(1950年)、まだ米占領下にあった日本への避難は、その多くが密航であったと思われる。

作家の柳美里氏は、母親がこの朝鮮戦争当時に難民として韓国から日本へ戦火を逃れてきたことを明らかにしている。以下に柳美里氏のツィートを紹介する。

柳美里 @yu_miri_0622

難民は、難民と認められていないだけで、朝鮮戦争時も、ベトナム戦争時も、日本に逃げて来ています。
私も、朝鮮戦争時の難民の子孫です

柳美里
@yu_miri_0622

わたしの母は、朝鮮戦争時、5歳でした。伯父、叔母も、子どもだった。祖母は4人の子どもを連れて戦火を逃れ、漁船で日本に逃げてきたのです。
7:38 - 2017年9月24日

また、ノンフィクションではないが、在日朝鮮人小説家の梁石日(ヤン・ソギル)氏が在日詩人で文学者の金時鐘(キム・シジョン)氏をモデルに書いた『大いなる時を求めて』(http://amzn.to/2wiTmdg)には、朝鮮戦争直前の1948年の済州島四・三事件当時、粗末な船に隠れ命懸けで玄界灘を日本へ密航して来た当時の避難民の姿が描かれている。

続きます