日本では今、広い意味での台湾本ブームが起きている。さまざまな雑誌で日々、台湾特集が組まれ、大型書店の旅行関連書籍コーナーには、台湾旅行のガイドブックに比較的広いスペースが確保されている。

そんな中、総統就任式の2016年5月20日、そして17年1月に2冊の蔡英文本が日本で出版された。台湾と発売順序が異なるが、蔡英文氏の著書『蔡英文 新時代の台湾へ(英派 點亮台灣的這一哩路)』と『蔡英文自伝:台湾初の女性総統が歩んだ道(洋?炒蛋到小英便當――蔡英文的人生滋味)』である。

蔡氏が執筆したこの2冊以外にも、黄文雄氏の本が2冊、丸山勝氏の翻訳による張瀞文氏の本が1冊と短期間で続けざまに発売された。過去に日本で出版された歴代台湾総統の書籍を見てみると、李登輝氏の著作は別格だとして、陳水扁氏の本が2冊、馬英九氏の本が1冊もないことから今回、蔡英文本が大量に出版されたことは特殊な現象だった。

『蔡英文 新時代の台湾へ』は、昨年度の白水社における年間売り上げ第2位だった。ちなみに第1位は日本在住の台湾人作家・温又柔氏のエッセー『台湾生まれ 日本語育ち』。温氏の本が蔡英文本の約半年前に発売されていること、蔡英文本の定価が2000円、台湾元で550元を超える高値設定であっても売れたということから、この本の注目度を分かっていただけるのではないだろうか。

では、日本の読者はこの2冊をどのように読んだのだろうか? いくら日本に台湾ブームが来ていると言っても、台湾の政治情勢に関する報道は極めて限られている。つまりこの2冊は、多くの日本人にとって蔡氏の人となりを知るための「最初の糸口」となった。ここでは、ご縁がありこの2冊に翻訳者として携わった筆者が日本の読者に2冊がどのように受け止められたのか、そして出版に際する日本独特の事情についてあらためて書いてみたい。

称賛と「それに比べて日本は・・」という自虐

そもそも2冊は12年、16年の総統選を戦う上で「蔡英文の名刺」の役割を果たしていた。そのため、日本の読者にもおおむねポジティブなイメージを植え付けることになった。

出版社に届いた読者カード、アマゾンでのレビュー、筆者の周囲の感想から見えてきたのは、蔡氏という高い理想を掲げながらも現実的な決断が下せる、バランス感覚のある一国のリーダーがいることへの羨望(せんぼう)のまなざしと、一般人の感覚を持った政治家を台湾人自らの手で育て、表舞台へと導く市民社会が有効に機能していることへの称賛の声だった。

台湾人からすると、こうした日本人の感想を不思議に思うだろうし、就任1年を迎えた蔡政権の政策実現におけるスピード感のなさや、有権者に不人気の政策という支持率低迷の要素を挙げ、蔡氏への失望感が広がっていると反論する人もいるだろう。しかし、それでも日本人には台湾の方がまだましだと思えるのだ。

台湾人が思う以上に日本では、国民の政治、政治家への不信と失望感は強い。ここしばらく自民党は高い内閣支持率を背景に、もっと議論すべき法案を終始強気な態度と自分たちの都合で国会を通過させてしまった。政治主導だとして、さまざまな規制緩和を進めようとしたのはいいが、その過程で総理の個人的な「お友達」に便宜を図ったのではないかと疑われ、疑念は全く晴れないのだ。

しかし、国民の多くは自民党に対抗する強い野党が必要だと分かっていながら、その他の野党は自民党以上にあてにならないと思っている。確かに台湾人にとって蔡氏は多々問題があるかもしれないが、自分や周囲の人々のために政治家の権力や影響力を無自覚に行使していないし、そのことを疑われないという点において、まだ期待が持てるというわけだ。

ビジネス本としての蔡英文本

意外だったのは、蔡英文本を優れたビジネス本でもあると捉える人が少なからずいて、下手なビジネス本よりよっぽどためになると評価されたことだった。特に『蔡英文自伝』の中には、ビジネス本がよく取り上げる「リーダーシップ論」「合理的、論理的意思決定」「人材育成法」などのトピックが随所に実例と共に描かれている。

日本のビジネスパーソンにとって、蔡氏の考え方や手法が共感を呼んだようだが、台湾でそのような捉え方があったのかは気にかかるところだ。

http://www.nippon.com/ja/column/g00437/

(続く)