牧太郎の青い空白い雲 「天皇陛下よりトランプが大事」な安倍晋三はニセ右翼だ!

50年ほど前、早稲田大の学生だった頃、友人たちから「右翼!」と言われた。

理由は分からない。保守系政治家と特別親しい政治学者・吉村正先生のゼミに入っていたこと。「学生会館の管理運営権を学生に与えろ!」という、妙ちきりんな学生運動に反対したこと。そのくらいしか思い当たるフシがないのだが、当時、若者は「左翼病」。右を見ても左を見ても、大学生は「左翼」だった。

それが、どうだろう?最近、安倍内閣に批判的なことを書くと、ネットで「左翼の新聞記者」と名指しで批判される。批判するのは結構だが、当方、「右翼」でも「左翼」でもない。ただし、天皇制は支持している。

「天皇陛下のもと、何人も平等であること」が必要だ、と思っている。民主主義の「自由と平等」は相いれない価値観である。徹底的に「自由」を追求すれば、「平等」ではなくなる。徹底的に「平等」になれば、「自由」はなくなる(事実、安倍内閣下の「儲(もう)ける自由」で、所得格差という「不平等」が起こっている)。

「天皇陛下のもと」という前提があってこそ、「自由と平等」がほどよく生かされる。これが天皇制と心得ている。

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「右翼」「左翼」という言葉はどこから生まれたのか?

それはフランス革命期の「憲法制定国民議会」(1789年7月9日)に由来する。議長席から見て議場右側に「国王の拒否権あり・二院制(貴族院あり)」を主張する保守・穏健派が、左側に「国王の拒否権なし・一院制(貴族院なし)」を主張する共和・革新派が陣取ったという。

それ以来「右翼」「左翼」という言葉で、保守vs.革新が色分けされた。

「右翼」には保守主義、反動主義、王党派、国家主義、ファシズムなどが含まれ、「左翼」には進歩主義、社会自由主義、社会民主主義、社会主義、共産主義、アナキズムなどが含まれる。

かなり「曖昧な色分け」ではあるが、「国王との距離感」が“色分け”の大事な要素になっている。

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安倍さんは「保守派」と言われる。ネット右翼の圧倒的な支持を得ている。

「美しい国」「戦後レジームからの脱却」「憲法改正」……。戦前の「大日本帝国」を理想と考えているように見える。憲法を改正して、戦争ができる国を目指し、天皇陛下を「元首」にしようとしている。「日本会議」という強力な右翼団体の影響を受けているし、総合的に見ても安倍さんは「右翼」と言ってよいだろう。

しかし最近、それが怪しくなってきた。

安倍さんの「右翼」は“見せかけ”ではないか?と思うようになった。安倍さんは皇室とも距離があるように見える。聞くところによると、歴代首相は年に何回か、天皇陛下とお話をする。国事行為をされた天皇陛下にそれ相応の報告をする。しかし安倍さんには、そうした話を聞かない。

その半面、安倍さんは「排他主義のトランプ大統領」にご機嫌伺いをする。何を言われても「ご無理ごもっとも」である。韓国でさえ、北朝鮮の対応でトランプ氏と距離感を保っているが、安倍さんは「トランプ一直線」である。

嫌韓、嫌中が愛国心!と勘違いするネトウヨではないが、排他主義が好きなのか?トランプ流差別主義に加担する。まるで、トランプ大統領が日本の「元首」であるかのようだ。

日本の「正統右翼」は明治の昔から、西欧帝国主義に反対してアジアの独立を目指した。外交面で不平等条約の改正を求めた。

今の安倍さんは「正統右翼」とは正反対の立場ではないか?日米安保条約があったとしても、何から何まで、トランプ氏の言いなりなっていいのか?もし、トランプ氏が暴走して、日本の国益を傷つけたら、日本は安保条約を破棄することができるのか?

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https://mainichi.jp/sunday/articles/20171002/org/00m/070/001000d

>>2以降に続く)