[チョ・ヨンホンサロン][1112]川前宗家の蘊酒法
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チョ・ヨンホン建国大客員教授・文化コンテンツ学

茶禮という単語はウリマル(※韓国語のこと)に残っているだけで、実態は消えた。

その具体的な礼法は日本に残っていた。

古代文化の中心部では消えても、周辺部ではしっかりと保存されている場合が多い。茶禮がそうだ。

織田信長、豊臣秀吉の茶の先生を務めた日本茶道の宗匠・千利休(1522〜1591)。

彼の15代後孫である千玄室を一昨日、北京茶道の行事で見る機会があった。

韓国年齢で95歳になるが外国行事を主管していた。

「裏千家」の生きる伝説であると共に東洋の貴族文化を代表する。

一生涯茶道で鍛えてきた節制と品格を身につけていながらも、話す時は素朴な表情だった。

日本の茶禮を見ながら「朝鮮は何か?」を考えさせられた。酒禮だという気がする。

高麗仏教が茶を重視したならば、朝鮮王朝に入って儒教が盛んになり、茶の代わりにに酒を祭祀に使用した。

安東義城金氏・川前大宗家に伝わっている「蘊酒法」文書がまさにそうした伝統を代弁する。

1700年代後半、この家の宗婦(晋州姜氏の祖母)がその内容をハングルで記録しておいたものだ。

57種類の酒を作る法を記録しておいた。

イファ酒、カンチョム酒、サムヘム酒、ペクジャ酒、チャンギャンククリョル酒、ソワンモユオクギョンジャン酒などだ。

「蘊酒法」を研究しているこの家の子孫・金明均(63)は両班の二つの業務が「奉祭祀、接賓客」だが、二つの仕事に欠かせないものが酒だったと答えている。

蘊酒法の序文には「酒は、身命を感動させて、賓客を和暢させる」という内容が書かれている。

両班家で酒を醸造する理由は、先祖の身命を感動させて家を訪れる客人を楽しませ振る舞うことだった。

仏教が茶なら、儒教は酒だった。(省略…)

ソース 朝鮮日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&;mid=sec&sid1=110&oid=023&aid=0003318789
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