【言語】中国人が実際には話さない「〜アルヨ」 イメージはなぜ広まった?[10/20]
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10/20(金) 11:00配信 ねとらぼ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171020-00000003-it_nlab-life
東京に引っ越してから、筆者は街中で外国人を見かける機会が増えました。
特に中国人の方たちには毎日といってもいいほど出会います。
彼らが日本語で店員と話しているのを見るたびに思うことは、マンガやアニメでよく見かける、
「〜アルヨ」という表現、あれ何なの……? ということです。
「アルヨ」は「ワタシ中国人アルヨ」のように、中国人特有の語尾とされていますが、
実際にそんな話し方をしている人など見たことがありません。どうして、このようなステレオタイプが生まれたのでしょうか?
まずは「アルヨ」の歴史をたどる前に、「役割語」という概念をおさえておきましょう。
●「役割語」とは?
例えば、小説に「ワシが佐藤じゃ。お主のことは山本から聞いておる」と話すキャラクターがいたとします。
すると読者のほとんどは何の説明がなくても、「佐藤」がおじいさんであることを理解します。
この「ワシ」「じゃ」「おる」のように、フィクションの世界で人物のキャラクター付けのために使われる言葉を「役割語」と言います。
「アルヨ」は、中国人を表現するための役割語。本物のおじいさんの一人称が「ワシ」とは限らないように、
中国人も実際に「アルヨ」と話すわけではありません。
では、どうしてこのような役割語が生まれたでしょうか。かつての中国人が使っていたから?
この仮定は半分正解で、半分間違いです。
●欧米人も「アルヨ」と言っていた?
「アルヨ」の起源は幕末にまでさかのぼります。
1858年の日米修好通商条約を皮切りに各地に設けられた外国人居留地では、欧米人や中国人によって
生み出された独特な日本語が話されていました。助詞が省略されていたり、語順がバラバラだったりといびつで、
「アルヨ」もここから生まれた表現だとされています。
つまり、この時点では「アルヨ」は外国人に特徴的な表現で、中国人限定のものではなかったのです。
その後、大正から昭和初期にかけて、日本人は台湾や満州に入植。中国人と日本人の接触が増え、
このときもやはり上記のようないびつな日本語が使われました。特に満州国で用いられたこうした
日本語は「協和語」と呼ばれ、中国人独特の表現となっていきました。
そうして、「アルヨ」のイメージが「外国人の使う日本語」から「中国人の使う日本語」に塗り替えられたというわけです。
現在では、「〜なのじゃ」と話す年配の人にはほとんど出会わなかったり、「〜だわ」「〜なのよ」といった
いわゆる“女性ことば”はフィクションの中でしか使われない表現になりつつあるなど、役割語の持つ意味も
変わってきています。「〜アルヨ」のような画一的な表現は、今後見かけなくなっていくのかもしれません。 >>801
横浜人「ニダニダ」
京都人「どすどす」
相模原人「ニダニダ」
名古屋人「にゃあにゃあ」
川崎人「ニダニダ」
広島人「じゃけぇじゃけぇ」
平塚人「ニダニダ」
鹿児島人「おいどんおいどん」
大和人「ニダニダ」 >>799
>ばってん、荒川さんもたいそうメジャーなもんじゃけ
あまり強くは言えんのじゃけんども
そこかしこに広島弁がはいっとるわ 知り合いの本省人のおねーちゃんの口癖はデスダヨだった
気が立つと抜き身の物騒な物だしてくるんだよなあ >>809
台湾人バカにする良いないね、このクサレアマ >>75
ざまぁぁぁぁぁぁぁぁ
はココでよく見かける ゼンジー北京のせい
変な関西弁が全国に広まったのと同じ理由では アイヤーはジャッキーチェンの映画で普通に言うと知った
燃えよデブゴンでも聞いてたんだろうが子供過ぎて覚えてない オマエら知らないだけで、近くの中華料理屋は普通に使ってるぞ アイヤーみたいにマジで言ってるのも混ざっていたから定着したでFA 野球の王貞治なんかも早実時代のインタビュー見ると使ってるからな 1879年にen: Hoffman Atkinsonによって出版されたExercises in the Yokohama Dialect
が あるよ〜の 元じゃないのか?
横浜ピジン日本語というやつで、19世紀に、
中国語と英語と日本語の合成で、横浜市に居住していた
英語圏と中国人の人々が、日本語を話す時のテキストにしていたもので、例文: ワタクシ テンポ ハイキン ナイ ナガイ トキ (私は長い間天保を拝見していない。I have not seen a tempo for a long time.)
とか、アルヨ などの言葉を「外国人の話す日本語」としたけど、
長い時間をへて、「中国人の話す日本語」に固定化したという。 助詞助動詞を抜いて最後にアルとナイで決定する
外国人が簡易日本語として習得するには悪くない
協和語の復活はありだと思う チュゴク人のアイヤーは実際耳にするとちょっと感動するw >>716
「沒有」メイヨウ mei youの
eiとyを省略して残ったものをくっつけると
広東語のmouになる。
ふたつの漢字の頭子音と頭子音以外の部分=韻を組み合わせて
新しい発音を表わすのを「反(かえし)」「切」「反切はんせつ」といい
後漢末からつかわれている。
万葉集の東歌アズマウタに
3516 対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも
万葉集原文:對馬能祢波 之多具毛安良南敷 可牟能祢尓 多奈婢久君毛乎 見都追思努<波>毛
「安良南敷あらなふ」は「有る」と「無い」をくっつけたもので
現代語に逐語訳すると「有るない」で協和語の「無いアル」と逆順。
筑波辺りから来た防人が作ったか防人の方言を真似て対馬防衛軍の
司令官が作った歌とされる。
つまり奈良時代の関東人と支那人は同じ発想www。
mouの香港漢字は↓を参照
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%87 ここで中国人のドジョウヒゲについても議論していただきたい。
サイボーグ009より古くに起源はあると私は睨んでいる。 >>1
どっちかというと、〜的って意味で形容詞に「の」を使うイメージ
美しいのことみたいな。 >>842
それも支那語の直訳的な支那人の言葉遣いだけど
鎌倉時代の古文書にも同じような「の」の使い方があるから
支那人を笑えない アルヨは
中国人デルモの梨衣名ちゃんも時々使ってアルねw アイヤーはガチで使ってた
初めて聞いたときはビックリした >>796
協和語の話をちゃんとしたらオマイのようなレベルの
低い5チャンネラーは付いてこれないだろうwww >>746
支那の国罵(=支那を代表する罵倒語)は「ターマーダ他妈/媽的」だという雑文随筆を魯迅先生が書いてる。
戦前あるいは戦時中に支那人が覚えた日本人のよく使う罵倒語として「八ヶ大的ba ge da de、七個小qi ge xiao」というのがある。 「きょうの料理」で陳建民が「私の中華料理、少しウソある。でもいいウソ、これやると美味しくなる」って言ってたのが広まったのかと 「ない」だろう。
語尾の「ある」は口癖みたいなもんで意味はないんだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています