日本の隣国である中国、韓国、ロシアはどのような歴史観を持ち、どのような日本観を持っているのか。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が、隣国の歴史教科書をもとに分析する。

歴史とは、ギリシャ語でいうところの「クロノス」と「カイロス」で出来上がっています。「クロノス」とは時系列という意味で、流れていく時間を指し、一方の「カイロス」とはタイミングです。つまりある出来事が起こって、その前後で世の中が大きく変化した瞬間を指す。この「カイロス」の比較で、その国の歴史観を知ることができるのです。

そのために、最も有効なテキストが歴史教科書です。歴史教科書には、その国の次世代を担う若者が知っていなければならない知識や思考法が詰め込まれています。

今回は、中国、韓国、ロシアの歴史教科書を読み解きながら、その3国がどういった思想と歴史観の上に立って日本という国家を見ているのかについて考えてみたいと思います。彼らが中等教育(日本の中学・高校に相当)の現場において、どのような日本観を植え付けているのかを学べば、日本が国際社会で生き抜くために必要な知恵が見つかるはずです。

分析にあたっては、2012年から2014年にかけて各国で使用された高校レベルの教科書を編集部で独自に邦訳したものと、明石書店が刊行している世界の教科書シリーズからそれぞれの国のものを、合わせて利用しました。

「行き詰ったら変える」

まずは中国から見ていくと、中国の歴史教科書は、階級闘争史観と徹底したリアリズムに貫かれていることがよくわかります。

古代ギリシャの民主主義の歴史やヨーロッパの宗教改革など、古今東西の改革を扱った高校教科書「歴史上重大改革回眸」の序文「編者の一言」の一節にはこう書かれています。

〈中国の古典『周易』には「行き詰ったら変える。変えたら通る。通ったら続ける」と書いてある。改革とは変えることであり、時代に遅れた旧制度や旧文化と旧思想を取り除き、豊かな活力のある新制度や新文化と新思想を創ることである〉(『歴史 選修1 歴史上重大改革回眸』人民教育出版社)

簡単に言ってしまえば「行き当たりばったりでいいから、上手くやれよ」ということです。マルクス・レーニン主義的な発展史観ではなく、臨機応変であることこそが歴史から学べることだ、と言っているのです。

重要なのは、この言葉が歴史教科書自体にも適用される点です。この教科書を学んでいて、行き詰るところがでてきたら、そこは切り捨ててしまえばよい、自分の都合のいいものに入れ替えてしまってもいい、ということです。中国が共産党の一党独裁でありながら事実上、資本主義化しているのも、この言葉で簡単に理解ができます。社会主義に「行き詰ったから変えた」のです。

ここで私が思い出すのは、イギリスの歴史教科書です。同書の最終章で、「この教科書は大英帝国について私たちの解釈だけでまとめたものだ」と、内容についての不備をわざわざ指摘しています。

その上で、虐げられたものへの章が少ないこと、女性に関する記述が少ないことなどが、列記されている。この教科書では、歴史が単一の物語ではなく、複数存在することを自然と気付かせる構成になっているのです。

中国の教科書はイギリスのそれと同じく、学ぶ者に常に考え続けることを要求し、何事も懐疑的に見ることを教えています。そして原理原則に捉われず、最後の帳尻を合わせればいい、という非常にリアリズム的な思考を持つ人間を育成しようとしていることが読み取れます。

明治維新を徹底研究

この「重大改革」を扱った教科書の中には、日本の明治維新も取り上げられています。教科書には章ごとに設問が作られ、学習のまとめを行うことが一般的ですが、ここに教科書制作者の意図が最もよく現れていると言っていいでしょう。

〈当時の日本の国内外の環境と結びつきを、資料を使って調べ、明治維新がなぜ成功したのかをディスカッションしなさい〉(同前)

明治維新を徹底的に研究し、短期間で日本が帝国主義国になった理由を分析しようとしています。

http://bunshun.jp/articles/-/4519

>>2以降に続く)