0001ねこ名無し ★
2017/10/27(金) 08:12:51.40ID:CAP_USER安倍強権政治の行く先は、一種のディストピア(反理想郷)であろう。自由な発言を阻害し、マスメディアを支配し、格差を拡大し、反抗する者は暴力で抑圧することさえ辞さず、SNSさえ監視する。まさにディストピアそのものである。
ぼくはそんな社会はまっぴらだ。だがこの世には、支配され抑圧されることを心地よく感じる人たちも、確かに存在するようだ。
ネット右翼といわれる一群は、スケープゴートを求めてネットの中を鵜の目鷹の目で探し回り徘徊する。そこで血祭りにあげるのは、自分より弱い立場の者。実は自分たちも支配され抑圧されているのだが、その不満のはけ口を、権力によって提供されているのだということに気づかない。
権力の煽動によって大衆が熱狂し、抵抗者を非国民扱いにして罵倒する。選挙運動最終日の秋葉原で現出したのは、まさにそんなおぞましい光景ではなかったか。
ぼくもネットで見た。日の丸の渦の中で熱狂し、「安倍さんガンバレ!」を叫び、「戦争反対」とか「アベ政治を許さない」などのプラカードを掲げた人たちを取り囲み、あげくに暴力を加えるさまを、ぼくは背筋の凍るような思いで見ていたのだ。
籠池氏に「安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ!」を唱和させられていた塚本幼稚園の園児たちを思い出させる光景だった。あれほど安倍晋三氏を慕い、その名前を冠した小学校を作ろうとまでした籠池夫妻は、安倍夫妻にいとも簡単にゴミ箱に捨てられ、いまも鉄格子のなかにいる…。
戦争も 見方かえれば 平和なり
『一九八四年』(ジョージ・オーウェル、高橋和久訳、ハヤカワepi文庫、860円+税)という有名なディストピア小説がある。なぜか、少し前からなんとなく気になって読み返していた。
「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる正体不明の独裁者が操る「ニュースピーク」という言葉が不気味だ。
戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり
それに疑問を持つ主人公のウィンストンが恋人ジュリアとともに、いかにして洗脳され支配され服従させられていくかが極めて詳細に語られる。それこそ身も凍るような監視社会の描写である。1949年に発表された小説なのだが、その時代にこんな凄まじい近未来(1984年)を思い描いていたとは、作家の想像力の奥深さはすごいものだ。
だがこのニュースピーク、いまの日本につながる気がしないか? ニュースピークの劣化版が「安倍話法」なのかもしれない。
最近読んだ『R帝国』(中村文則、中央公論新社、1600円+税)も恐ろしいディストピア小説であった。
「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」と書き出される。
隣国のB国との戦争である。絶対的権力を持つ「党」が、どのように国民を操り支配し熱狂へ駆り立てていくか。そして最後、またしても「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」、B国ではなく今度はC帝国への宣戦布告で終わる。まさにビッグ・ブラザーのニュースピーク「戦争は平和なり」なのだ…。
ぼくの本など挙げるのはおこがましいけれど、ちょうど今から10年前に『目覚めたら戦争。』(コモンズ、1600円+税)を出版した。その「はじめに」に同じようなフレーズを書いたことを思い出した。
「目が覚めたら、戦争が始まっていた」。そして、次のように続けていた。
「ある朝、銃声で目覚めるということが絵空事でなくなったのである。テレビが速報を伝える。『臨時ニュースをお伝えします。紛争地〇〇で活動中の自衛隊が、反政府武装勢力と交戦状態に陥り、自衛隊員五名が戦死した模様です』。そんなことが起きないと、誰が確約できようか…」
ほんとうに、こんなことが絶対に起きないと、誰が言えるだろう。「安倍一強政治」が続くならば…。
鈴木耕
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