記憶遺産 朝鮮通信使の登録に期待 福岡「猫の島」に足跡

江戸時代に朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節団「朝鮮通信使」に関する日韓の歴史資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されるか関心が高まっている。

仏パリで開催中のユネスコの諮問委員会が審査し、月内にも結論が出る見込みだ。資料には福岡藩が相島(あいのしま)=福岡県新宮町=で朝鮮通信使を接待した記録も含まれ、関係者は「相島とのつながりを広く知ってもらえるチャンス」と期待する。【下原知広】

「ここには朝鮮通信使をもてなす客館がありました」。新宮漁港から渡船で約20分。相島漁港に近い畑の中に建つ「朝鮮通信使客館跡」の石碑を指さしながら、歴史愛好家らでつくる「相島歴史の会」事務局長の今村公亮(こうすけ)さん(72)=福岡県春日市=が胸を張った。

相島は新宮町の沖合約7.3キロの玄界灘に浮かぶ周囲約6キロの小さな島だ。近年「猫の島」として脚光を浴びる島は、徳川将軍の代替わりのたびに朝鮮王朝の信書を持って江戸を訪れた朝鮮通信使が、長崎・対馬、壱岐の後に立ち寄る滞留地だった。

通信使は1607〜1811年に12回日本に派遣されたが、うち11回(往復22回)、相島に寄港した。福岡藩はその度に客館を新築し、多い時で500人になる一行を豪華な食事でもてなした。第10次の来島時には東西約117メートル、南北約126メートルの敷地に41棟の建物が建てられた記録が残る。

島には朝鮮通信使の上陸のため造られた波止場「先波止(さきはと)」(長さ約47メートル、幅約5メートル)も残る。一部はコンクリートで覆われているものの、当時の石積みの様子を間近に見ることができる貴重な史跡だ。先波止に上陸した一行は、太鼓やほら貝などの鳴り物に迎えられながら約1時間かけて客館に向かったとされる。

日韓両国が記憶遺産への登録を申請している朝鮮通信使の記録は111件(333点)あり、このうち1件(15点)が相島関係。朝鮮通信使に関する史跡の調査や新しい史実の掘り起こしに取り組む今村さんは「相島と朝鮮通信使の関わりはあまり知られていない。記憶遺産に登録されることで、より多くの人に知ってもらえればうれしい」と話す。

客館跡の近くにある神宮寺の中澤慶輝(よしてる)住職(78)も記憶遺産登録を心待ちにする。昨年7月「日本と朝鮮半島の交流の舞台になった歴史を後世に伝えよう」と島の玄関口でもある相島漁港の近くに「朝鮮通信使乃島」と刻んだ高さ約1.5メートルの顕彰碑を建立した。今村さん同様「朝鮮通信使と相島の歴史を知ってもらいたい」と語る。

https://mainichi.jp/articles/20171027/k00/00e/040/360000c


朝鮮通信使ユネスコ世界記憶遺産の登録は…(山口県)

去年3月、ユネスコの世界記憶遺産として登録申請されていた、朝鮮通信使に関係する資料が登録されるかどうか、27日深夜から28日未明にかけて発表される見通し。資料には下関市や上関町などに残る25点も含まれている。

ユネスコの世界記憶遺産に登録申請されているのは、朝鮮通信使の外交や文化交流などを記録した資料333点で、県内に残る25点も含まれている。資料は去年3月に下関市などが加盟するNPO法人、朝鮮通信使縁地連絡協議会と韓国の釜山文化財団が共同で申請していた。

朝鮮通信使は江戸時代に朝鮮王朝から徳川幕府に派遣された外交使節団で、当時、破綻していた2つの国の国交を回復させ、江戸時代の260年間、友好関係を築いた。『平和の象徴』とも称される朝鮮通信使は江戸に向かう道中、下関にも11回上陸していて、下関市立歴史博物館にもユネスコに申請された資料が9点収蔵されている。

町田館長は「資料には、平和を維持してきた方法と知恵が凝縮されている。必ずユネスコ記憶遺産に登録されると確信している」と話していた。世界記憶遺産に登録されるかどうか。発表は27日深夜から28日未明の見通しで、下関市や上関町では結果を心待ちにしている。

http://www.news24.jp/nnn/news8709766.html