今年のNHK大河ドラマのタイトルは『西郷どん』。主人公の間では親しみを込めて西郷隆盛をこう呼ぶ。林真理子の同名小説が原作だ。いわゆる「維新3傑」がすべて登場し、NHKとしては明治維新150年の記念作ということだ。視聴率は14−15%で低空飛行中だが、決して西郷の存在感が弱いわけではない。数年前に朝日新聞が幕府末期の人物のうち誰が一番好きかという質問で西郷は3位に入った。1位は坂本龍馬、2位はこの2人に開化のインスピレーションを与えた勝海舟だった。

今は日本列島に草食男が多いが、19世紀半ば・後半は違った。熱血青年たちが疾走した。「維新3傑」の明治元年の年齢を見てみよう。西郷39歳、大久保利通38歳、木戸孝允35歳だった。明治政府の樹立を見ることなく先に亡くなった人も多い。対外膨張主義を主張して過激派の侍を育てた吉田松陰は29歳、薩長同盟を仲立ちした坂本龍馬は32歳、長州の武士の久坂玄瑞と高杉晋作はそれぞれ24歳、28歳で死去した。ほとんどが20−30代に刀を抜いて生涯の業を成し遂げた。

現在は20代半ばなら就職の準備で忙しく、30代なら財テクに悩む時ではないだろうか。150年前、彼らは人生の蓄積がまだ多くない状況でどうやってそのような足跡を残したのだろうか。当時、天が助けて天才と神童を日本にばらまいたのか。これを奇跡だと表現する人もいる。

しかし叩いて壊すことだったため蓄積なしに可能だったのかもしれない。高血圧に近い若い血気のエネルギーでアンシャン・レジームを崩した可能性があるということだ。そのためか、明治のリーダーたちの人気は若年層で高い。1月1日の早朝、NHKの生放送には龍馬の故郷の高知、西郷の出身地の鹿児島が出てきた。20代前半の女性が龍馬像の前で「龍馬のように世界を舞台に活躍したい」と話す姿、西郷の銅像の前に集まった青年たちが一斉に声を上げる場面が記憶に残る。

同じ青春なので感じる親近感もあるだろうが、さらに重要な要素がある。歴史的人物を象徴化させる日本人の手腕だ。人物の精髄を蒸留させた後、好みに合わせてブランドしたりカクテルにするというべきか。重いものが好きな人には重く、軽いものが受け入れられそうな人には軽く加工する。このような過程を通じて19世紀の明治のリーダーは尊敬・崇敬一辺倒の対象から抜け出し、時には身近な人生の先輩、時には幸運をもたらすお守りとしても近づいてくる。個人の日常の中に私有化するにはあまりにも重くて大きく見える人物だが。悲壮な最期を迎えた西郷までがかわいいキャラクターにされて、みやげ店のキーホルダーとしてぶらさがっている。

龍馬はこれ以上だ。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』がヒットし、実存と加工の境界があいまいになった。実際の人物は龍馬、小説の中の人物は竜馬と区分してはいるが、すでに混ざった後だ。実際でもフィクションでも望む意味を求める方法が神妙だ。意図的な粉飾と善意の再解釈が交差する。例えば龍馬の武器密貿易が日本最初の総合商社ビジネスとして称賛されたりもする。

ただ、今回NHKが選択した主人公の西郷についてはまだ評価が分かれる。近代と反近代、革命と反革命が一身に投射されている。これは外国人が判定することではない。我々に浮かび上がるのは彼の征韓論だ。後ほど征韓論は侵略として実行された。また、日本がアジアの盟主を自負する時に前に出すアジア主義の根源としても評価される。

西郷の故郷でも征韓論はきまり悪い雰囲気だ。外国人に観光資源として出すには適切でないからだ。西郷に関連する遺跡には征韓の代わりに「遣韓」または「朝鮮問題」と表記している。これもまた歴史のブレンドなのかもしれない。

どの社会でも過去を振り返りながら重い教訓を得たり、消えないわだかまりを掘り出たりもする。たいてい現時点に必要とするものを探す場合が多い。日本は今、過去から新たなエネルギーを探している。それが「明治維新150年」の用途だ。

ブレンド技術に関しては卓越しているため、望む象徴と意味を抽出するとみられる。NHK大河ドラマもその一つだ。原作では朝鮮から屈辱を味わったために征伐すべきだという形で軽く通過する。ドラマではこれをどう扱うのか見てみよう。

ナム・ユンホ/東京総局長

ソース:中央日報/中央日報日本語版【中央時評】NHK大河ドラマを見る理由
http://japanese.joins.com/article/186/238186.html