「こんな映画、日本なら左翼だのパヨクだのと一目だに置かれない」テーマなのだが、
一歩日本島を離れると,これだけ世界ががらりと変わる。

人の生活実感というのは、いいねイデオロギー大好き、長い物には巻かれよ、
何のかんの言っても既存価値、既得権益死守、金持ち優秀・貧乏自己責任、と言う
上から目線では決して語られない深刻さに満ちあふれている。真に解決しなければ
ならない、突き付けられている、本当は誰にとっても究極の問題に、正面から
向きあう知恵が問われているのだ。

成功して閉じたワールドで、品のいいスタイリッシュな私生活にいくら最高の評価を
求めようとしても、結局は一枚皮をめくれば過酷な過当競争でのサバイバル、
出生段階でのハンディもあるかもしれず、つかの間の運の良さから、賭博のような
不条理にもてあそばれる虚無感、いずれは死を迎えるときの総価値の崩壊などが
立ちはだかっている。

やはり本気で立ち向かうべきテーマは別のところにあったということなのだ。
たとえば現状の村上春樹がどれだけ熱狂で迎えられようとも、世界の評価は、
こうした問題に肉薄するほどの身の置き所に、視点を落とすことができるか否かに
かかっていると思う。

日本島は世界から孤立し、政治ともども独自の軽薄なウソと取り繕い、聞こえの良さ、
見栄えの良さに人生の足場をさらわれている。戦前戦中の幻想的復古主義と
そのもたらした帰結にいまだに向き合うことができず、島国の住民同士で傷を
なめあうだけで引きこもる、ネットで繰り返される上から目線の独善的なネトサポ
集団の言説で大衆を世論操作し続けていられるのも時間の問題だ。

いずれ現実価値の崩壊という、経済、倫理、社会システム全体の機能不全をともなって
おこる必然的な人為的災害に、なんの対処もできず私利私欲の阿鼻叫喚となって、ちまたを
さまようだけに終わりかねない。

しかし、チャンスはある。こうした勇気と度量を是枝氏のように世界に示せたのだ。
勇気を出して自覚しよう。人間の力技が真のテーマにむかうとき、本気の泣き笑い、
幸福への歩みが力強く始まるということを。
人生の成果や充実感はそこからしか生まれようがない。