■韓国国旗の誕生

 壬午軍の乱の結果、韓国の謝罪使節団は日本の明治丸に乗船して仁川港から日本に向かった。この船中で現在も使われている韓国の国旗(太極旗)が生まれたのです

 その国旗が初めて日本で掲揚された事情を李博士が書いている。

 明治丸は船長だけはイギリス人のジェームスを雇っていたがこの船長が好奇心を持って 珍客朴泳孝修信使一行と話を交えているうちに、「朝鮮国王の使節が礼訪するのだから貴国の国旗を貸してくれればマストに掲げる」という話を持ち出した。

その時まで国旗の制定・使用をしていなかった朝鮮国王は、あわてざるを得なかった。

幸い一行が出発する 前に政府要路の間で、国旗問題が論議され、修信使は「必要なときには適当に作って使用 せよ」という国王の内諾を得ていたから
朴泳孝以下の使節団幹部は、明治丸の船上で、あら かじめ構想していた太極八卦を出し、アストン総領事の意見を求めた。

旗に関してアストンよりも詳しいジェームスは、「太極の図案はよいが、周りの八卦は複雑だから、四卦だけを 四隅に配するほうがよかろう」と
言い出して、一行これに同意して決定となり、ジェームス の好意で最初の国旗標本として大、中、少の三本を画いてもらった。

一行が神戸に着いてから、八月十二日、宿所西村屋の屋上に韓国旗が初めて掲揚された。その日から神戸に駐屯する 国外外交官は、この珍奇な国旗を写していった。