0001右大臣・大ちゃん之弼 ★ 転載あかん
2018/12/27(木) 11:25:07.70ID:CAP_USER文書は「朝鮮同胞に対する内地人反省資録」と題し、105ページ。33(昭和8)年4月、当時の陸軍少将、岩佐禄郎(後の中将、新潟県出身)が書いたと記されている。岩佐は当時、朝鮮憲兵隊司令部の所属。まとめた目的は「朝鮮人に対する好ましからざる多くの事柄を掲げ、反省を求めるため」だ。言論弾圧、思想統制を進めた軍に自省を求め、現地の日本人の行為を批判。融和を呼び掛けている。
掲載した差別行為は、岩佐が現地の朝鮮人に聞き取った68項目。32年1月から約1年間に病院、学校、公衆浴場などで行われてきたものだ。当時、朝鮮人は蔑称で呼ばれ、「就職希望の朝鮮人を『採用せぬ』と突き出す」といった記述から、雇用を理由なく拒否した様子がうかがえる。日本人の小学生が蔑称を連呼し、同年代の子どもを殴った記録もある。
散髪した客が朝鮮人と知り、道具を全て洗浄した理髪店の店主や、「今は忙しい」と朝鮮人の治療を拒んだ医師も。畑のハクサイを誤って踏んでしまった朝鮮人の女の子を3カ月間無給で働かせたり、店が汚れる―と朝鮮人の来店を拒んだりした記録もある。
日本近現代史が専門の荻野富士夫・小樽商科大名誉教授(65)=東京=によると、文書は国立国会図書館などにも所蔵されているが数は少なく「憲兵隊の一人が自省の念を込めて書いた点で貴重」とする。
矢沢さんは今年10月、所属する上伊那教育会の資料を保存している伊那市創造館(旧上伊那図書館)の地下室で別の資料を探している際、文書を発見。岩佐と伊那の関係については記録がなく、なぜ残っていたかは分からないが「軍の人間が『恥』の部分の日本人の加害者性を記し、その冊子が焼却処分を免れて残っていた。二重の意味で驚き」としている。
(12月25日)
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20181225/KT181221FTI090020000.php
信濃毎日新聞[信毎Web]
https://i.imgur.com/5QXeeXf.jpg
「朝鮮同胞に対する内地人反省資録」を手にする矢沢さん