満蒙(まんもう)開拓の歴史などを長年研究している伊那市西春近の元教員矢沢静二さん(66)が、1910(明治43)年の日韓併合以降、朝鮮半島で日本人が朝鮮人に行った差別の実態をまとめた文書を同市創造館で見つけた。残飯を食べさせ、無給で長時間働かせた―といった実例を数多く掲載。当時の軍人が日本人に反省を求め、融和への願いを込めて限られた範囲で配った文書で、戦後、全国の市町村役場で戦時機密資料が一斉に焼却処分された中、残った。県外でも見つかっているが数は少なく、研究者は「貴重な資料」としている。

 文書は「朝鮮同胞に対する内地人反省資録」と題し、105ページ。33(昭和8)年4月、当時の陸軍少将、岩佐禄郎(後の中将、新潟県出身)が書いたと記されている。岩佐は当時、朝鮮憲兵隊司令部の所属。まとめた目的は「朝鮮人に対する好ましからざる多くの事柄を掲げ、反省を求めるため」だ。言論弾圧、思想統制を進めた軍に自省を求め、現地の日本人の行為を批判。融和を呼び掛けている。

 掲載した差別行為は、岩佐が現地の朝鮮人に聞き取った68項目。32年1月から約1年間に病院、学校、公衆浴場などで行われてきたものだ。当時、朝鮮人は蔑称で呼ばれ、「就職希望の朝鮮人を『採用せぬ』と突き出す」といった記述から、雇用を理由なく拒否した様子がうかがえる。日本人の小学生が蔑称を連呼し、同年代の子どもを殴った記録もある。

 散髪した客が朝鮮人と知り、道具を全て洗浄した理髪店の店主や、「今は忙しい」と朝鮮人の治療を拒んだ医師も。畑のハクサイを誤って踏んでしまった朝鮮人の女の子を3カ月間無給で働かせたり、店が汚れる―と朝鮮人の来店を拒んだりした記録もある。

 日本近現代史が専門の荻野富士夫・小樽商科大名誉教授(65)=東京=によると、文書は国立国会図書館などにも所蔵されているが数は少なく「憲兵隊の一人が自省の念を込めて書いた点で貴重」とする。

 矢沢さんは今年10月、所属する上伊那教育会の資料を保存している伊那市創造館(旧上伊那図書館)の地下室で別の資料を探している際、文書を発見。岩佐と伊那の関係については記録がなく、なぜ残っていたかは分からないが「軍の人間が『恥』の部分の日本人の加害者性を記し、その冊子が焼却処分を免れて残っていた。二重の意味で驚き」としている。 

(12月25日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20181225/KT181221FTI090020000.php
信濃毎日新聞[信毎Web]

https://i.imgur.com/5QXeeXf.jpg
「朝鮮同胞に対する内地人反省資録」を手にする矢沢さん