「己未年三月一日正午、はじけよ潮のごとき大韓独立万歳」。毎年、この時期なると思い出す歌がある。窓の外の風景はまだ厳しい冬だが、この歌詞を口ずさんでいるといつのまにか胸が熱くなる。1919年3月1日、韓半島(朝鮮半島)に「大韓独立、万歳!」の声が響いた。これは世界的に類例のない規模の独立運動だったという点で驚きだが、筆者は民主主義、平和、非暴力を原則にした民衆の時代精神と平和意識に注目したい。 

  「2000万人の韓国人を威力で拘束すれば『東洋の永久な平和』は保障できない」「今日の我々のこの偉業は正義・人道・生存・繁栄のための民族の要求であり、ただ自由の精神を発揮するものであり、決して排他的な感情に向かってはいけない」<1919年己未独立宣言書から> 

  当時の独立宣言書を見ると、わが国は消えた1919年にも民衆は依然として平和と自由・人道主義を夢見ていたことが分かる。残念ながら、その日の叫びはすぐには大韓の独立につながらなかった。もしかすると1919年に中国の五・四運動を主導した傅斯年の言葉のように「三・一運動は不可能なことを知りながらもした革命」だったのかもしれない。しかし平和と正義・人道主義を要諦とする三・一運動精神は大韓民国臨時政権の樹立につながり、その過程で大韓赤十字会が誕生した。韓半島に人道主義精神が復活したのだ。 

  大韓赤十字社の誕生は1905年に遡る。外国勢力の侵略で浮沈が激しかった当時、国際社会に中立国として立とうと高宗(コジョン)が大韓帝国赤十字社を設立した。しかし大韓帝国赤十字社は1909年、日帝によって廃止されるつらい歴史を経験した。 

  1905年に大韓帝国赤十字社が中立外交政策の一環として設立されたとすれば、1919年に臨時政府が設立した大韓赤十字会は安昌浩(アン・チャンホ)、李喜敬(イ・ヒギョン)、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)、安定根(アン・ジョングン)など愛国志士の意に沿って独立運動に献身した。赤十字看護員養成所を通じて独立軍の負傷者を治療し、力を合わせて独立運動資金を集めた。日帝の弾圧の中でも国際赤十字会議に出席するなど大韓赤十字会を通じた独立運動は止まらなかった。赤十字人道主義運動はわが国の屈曲した歴史の中でも光を放った。韓国戦争(朝鮮戦争)戦傷者救護のために、四・一九革命当時の負傷者治療のために、五・一八民主化運動で血を流す市民のために活動したのも大韓赤十字社だった。南北関係改善のために先に手を差し出し、売血が多かった時代に献血文化を定着させたのも赤十字だった。 

  三・一運動100周年を迎え、これを記念するための各界各層の動きが活発になっている。大韓赤十字社も三・一運動の精神を思い出しながら、変化という大きい波の中でも変わらない人道主義の価値を伝播し、人道主義共同体の建設に率先していきたい。平和と共存の時代へ進む大韓赤十字社の歩みをより多くの人々が共にすることを望む。 

  朴庚氏iパク・ギョンソ)/大韓赤十字社会長

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[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]2019年02月28日 13時44分